先日『悪人』を読み、デビュー作や芥川賞受賞作も読んでみようと思って手にした。表題作の他、『flowers』を併録している。
『パーク・ライフ』は『悪人』と異なり、とてもシンプルな中編小説だ。特に事件もないし、ドラマティックな展開もない。ただ語り手の周囲で、様々な人間模様が展開され、それらが車窓の景色のように拘りなく流れていく。
しかし、つい読まされるのは、描写の的確さ、正しさのためだろうと思う。正しさといえば妙な言い方かもしれないが、そうか、そういう表現があったか、まさにその通りだ! といった感じの、意表をつく正しさなのである。
例えば、
『マンションを出ると、春の夜特有のシーツに残る体温のような生あたたかい風が頬を撫でる。』
まさにその“ような”感じだよな、と激しく同感するが、普通は出てこない比喩であり、感心することが少なくなかった。
そうした視点の鋭さに由来するであろう的確さが、日常的で何事もない描写を文学たらしめていく。最後に“スタバ女”が言った独り言も、まるでこの作品のクライマックスとして、加えられるべくして加えられた最後のピースに思えてしまう。
どうということもない話、展開であるのに、どうということもない独り言に、何故か感銘を受けている。巧みな文学作品だと思う。あえて、日常性から逸脱しないという制約を課したかのような筋であるのに、さきほど二回目の通読をしたときも、流し読みのつもりが引き込まれてしまっていた。
もし、先に引用した表現が、
『マンションを出ると、春の夜特有の生あたたかい風が頬を撫でる。』に過ぎなければ、その僅かな差で、当作品は軽薄な中間小説的代物になっていただろう。
併録の『flowers』は、やや趣を異にした作品ながら、語り手のスタンスは似ているし、描写の的確さは同様だ。表題作よりもやや詩的な表現法で、花々や、においや、温度などを描いていく。
やはりこうした作品を描き得ていたからこその『悪人』だったんだろうと思う。なんとも懐の深い書き手である。
