Amazonで安い古本を探して入手した。『高橋和巳作品集3』、1969年発行の初版本である。裏表紙には、かつての持ち主が記したものだろう、エピグラフのような走り書きがあった。
《暗緑色のとぐろをまくうずの中に、
男が一人いた。
うずの中の一点を見つめ、
モウ膜に写るすべてを
ぼんやりと、
その脳裏に刻みこみながら。
しかし、その刻みは、うすれてゆく記憶の中で、
その形を変えてゆく。
ただ、しらみゆく夜の如く、
暗緑色のうずも、記憶も
うすれてゆく。》
六全協の時代の共産党に属し、あるいはシンパだったかつての学生らのその後を描く。
分裂し転向し、ある者は追いつめられ、その矛盾や不完全燃焼が十年の時を経て噴出していく。
およそ小説としての作りを無視した、でなければ超越してしまった文体。対談集かと見紛うほどに、彼らは長口舌し演説し合う。それでも破綻していない。強い求心力を持った小説である。
読む者を、傍観者の立場から引きずりおろすかのような力。それは今の時代には疎まれる作風だろう。高橋和巳作品の多くが、絶版なのである。
年表的な知識としてしか知らなかった50年代左翼党派の分裂とその後の対立。その根の深さに、本作を読んで私は打ちのめされそうになった。連赤の事件も、延々と続いた内ゲバも、この作品の表現した“憂鬱”さを鑑みれば、合点がいってしまうのだ。
しばらく私は感想を書くことができなかった(いまもろくに書けてはいないが)。事を総括せずに過ごしてきた私をも指弾する読書であったし、それは党利に振り回された無数の人々の怨念を想わせる経験でもあった。
