遠藤周作の、(いわゆる純文学的な)代表的作品は若いときにあらかた読んだ。しかしその後、あまり手にしないのは、どこにでもたくさん並んでいて、いつでも読めると思うのと、あとは北杜夫と同様、作品によって落差があって、(こちらの勝手な)期待が裏切られる気がして、躊躇してしまう、という理由もありそうだ。
本書を手にしたのは、妹が「面白かった」と言っていたから。読書に関するセンスは悪くないはずの彼女が言うのだからと興味を持った。
すらすらとんとん、隙間時間を最大限利用してすぐに読んでしまった。中間小説というか、大衆文学的で読みやすいのだが、といって娯楽性を追求した作品でもなさそうだ。
戦後まもなくの東京。ひもじい大学生の下宿暮らし。「ゼニコがほしいなあ。オナゴと遊びたいなあ。」という彼らの嘆息は、時代性のギャップを超えて私にも実感できる感覚だ。
また、“私が棄てた女”との出会い、その不埒な経緯は、「誰だって・・・男なら、することだから。俺だけじゃないさ」と語り手が語るように、確かに私も否定はできず、つい感情移入させられたのだった。
と、文学的敷居がだいぶ下がったところで、本作のテーマは確固として機能してくる。恥ずかしげもなく言えば、それは“愛”というもののことである。これを素直に読者が受け取れるように誘導するため、本作は大衆文学的雰囲気を纏って表現されたのかもしれぬ。
ジャンル的には大衆文学に分類されかねない本書だが、一筋縄でいかない。なにしろ、素直に引き込まれた、面白かったのである。その多才には驚くばかりだ。
