表題作はノーベル文学賞の授賞記念講演である。先輩作家で日本人初のノーベル文学賞を授賞した川端康成の講演『美しい日本の私』をもじったものだ。
大江健三郎の授賞当時、高校生だった私は、定型を辿るように“文学に目覚め”、そして幾分か右側に偏った少年だった。
その条件から、私には大江健三郎という大作家が、素通りできぬ存在に感じられた。少年にとり、最大の権力者は学校であり教諭らだ。それらが概ね、左側の考え方に基づいて生徒を指導していた。世の中を知らない少年には権力=左翼であった。
似たような発想に立脚しているように見受けられる大江健三郎が、国際的な権威ある賞を取った。私の思い込みには拍車がかかった。偉そうなことを言うやつらは皆、左だ、けしからんと思った。
そういう嫌悪感は、それから数年続いた。一人暮らしを始めて新聞をとるようになると、ときどき大作家が登場し、外国の著名人と往復書簡みたいなことをやらかして掲載される。カタカナが多用され、翻訳みたいな文体で書かれるその書簡に、文学青年の私は憤りを新たにしたものだ。
かつて左翼の権化として忌避した大作家が、アカデミックな、インターナショナルや強者として、また違った反感を与えたらしい。
そんな経緯があって、本書は長く長く私にスルーされてきた。この間、若いときの偏見は解消し、小説や沖縄及び広島に関するエッセイも読んで、共感を得るに至っていたにもかかわらず。皮膚感覚で、あの授賞後の講演や書簡に対する嫌悪が尾を引いたものらしい。今回たまたま、東村山『ゆるや』の軒先で¥100で見つけなければ、この新書は手にすることもなかったかもしれない。(古書店での偶然の出会い、店の雰囲気が推してくる本というものの貴重さを再認識した)
前置きが長引いたが、読んで良かった。出版から27年経って、大江健三郎を突き動かしていた反省のような態度、そこから導かれる展望は、多くが前進せず、打ち砕かれたかにみえる。そういった停滞を思い知らされる読書となり、愉快ではなかったが、汲むべきことの少なくないのは予想以上だった。
また一種の文学評論だが「井伏鱒二さんを偲ぶ会」での講演『井伏さんの祈りとリアリズム』は秀逸だった。
“自分として感情を移入できる側面だけに限って書く時、小説にリアリティが生じる”
“私たちは小説家という一人の人間が見る見方でしか世界を書けない”
ロシアやフランスでの文学を敷衍しながら縦横無尽に論評する中で、井伏鱒二文学の価値や輪郭を顕にしていく。大江健三郎という人は、評論の才にも恵まれた人だったのかと感心した。
世界史的な時代の交差点に至ることで、思わぬ論考が営まれることもあったのかもしれない。私が権力と誤解していた左側の人たちにとって、90年代初頭は、青天の霹靂とでもいうべき転換期だったのである。
