フィギュアスケートについて詳しくはないし、ファンでもないのだが、鈴木明子のスケーティングが好きだった。
いつも、一生懸命に、完全燃焼しているように見え、ステップは観客の興奮を呼ぶ。何故か、いつも感動させられていた。
若くしてやめていく者が多い中、二十代後半になっても進歩し続けた。摂食障害で挫折した過去もあった。そういう予備知識が、感動をより大きくしていたのかもしれない。
ネットサーフィンしていて著書のあることを知り、中でも評判の良かった本書を選んだ。
と、安直な思いつきで買い求める人が少なくないのだろう。挫折から復活した努力の人というイメージは、こうした自己啓発本の題材としてうってつけだ。出版社の思惑通りに手を出してしまったわけだ。
フェイスブックの文面みたいな軽さにがっかりしてしまった。インタビューしたものを原稿に書き起こしたのだろう。引退直後だから、これは当たるという出版社の狙い打ちが前面に出ている。
ファンは期待して手にしただろう。鈴木明子本人も、不本意な出版だったのではないだろうか。タイミング的に旬を見計らったのは否めまい。
とはいえ、怪我で目標大会を棄権し、リハビリにもモチベーションの上がらない今の私には、示唆を含んだ一節が幾つかあった。
【その日の自分は、前の自分ではありません。でも、過去からなにかを引っ張り出そうとするのです。でも、いまの自分に効く薬は過去から調達することはできません。
状態がいいときも悪いときも、「いまの自分」を受け入れることが大事なのです。
「あのときはこうだった」と過去にすがるのはよくないと思います。
だから私は、過去は引っ張り出さないようにしています。】(P40)
先日読んだ『ゼロポイント』という本では、嫌な過去を思い出さない(過去のせいにしないため)とあってハッとさせられたが、競技に関しては鈴木明子のいう通りだなと感じた。いままさに私が振り払うべきは「あのときは~だったのに」というやり場のない自己嫌悪なのである。
以下の一節も、関連する挿話だ。
【「もし、病気になる前にもどれたら?」
そう考えても、なにも変わりません。
「もどろうと考えているうちはダメなんだ」
ある日、そう気がつきました。
「元にもどる」ことを目指すのではなく、成長しようと。
過去ではなく、未来を見るようになりました。】(P91)
そして、本気で取り組んでいく過程で気づく自分の“逃げ”を以下のように表現している。
【「私は、技術的なことよりも、メンタルを支えてくれるコーチがほしい」
「でも明子は、技術がしっかりしていても、不安になるの?」
たしかにコーチの指摘の通りかもしれません。技術的な部分に自信が持てないから不安になる。フィギュアスケートという競技では、「最終的な強さとは技術だ」と言われ
、納得するしかありませんでした。
メンタルが強い、弱いという言い方をよくしますが、それは逃げかもしれません。技術的な部分も含めて、自分がしっかりしていれば揺らぐことはないのです。】(P103)
ここには強く同意する。私は、陸上競技に心血を注いできたが、たとえば駅伝などでプレッシャーに負けず自分の走りをするためには、まさに繰り返された練習を土台にした、自分の経験と技術が武器となる。それがなければ、プレッシャーに負けて体調を崩したり、まわりのペースやコースや天候に左右されてしまう。本気で取り組む過程で、こうしたシビアな部分から目を反らすわけにはいかなくなる。メンタルのせいにしていては、いつまでもダメだろう。
と、努力家でストイックな鈴木明子だが、以下のような視点も持っており、私も今後、気を付けようと思った。
【いつもいつもパーフェクトでいたい。
できないけど、そうしたい。
でも、できないから、余計に苦しくなるという生活を送っていました。
ストイックと言えばストイックなんでしょうけど、強がっていただけなんだなといまでは思います。
やわらかさがありませんでした。遊びの部分がないと、もろい。だから、意識して、「まあ、いいか」を持つようにしたのです。】
と、参考になるところは幾つかあったが、鈴木明子の熱いスケーティングから勝手に期待していたものは、本では得られなかった。
文学作品は、作者の評伝や伝記に関わりなく作品そのものを鑑賞すべきだし、フィギュアスケートもまた、その滑りが全てを物語っていたのだなと思う。
ってわけで、本ではなくDVD があるなら観てみたいものだ。
ランナーとして挫折中の私に、本書が幾つかの参考を与えてくれたのは確かだけれど。
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