いま読んだら、文学作品を鑑賞する以上の体験ができるだろうなと思っていた。二十歳のころ読んで以来になるが、引っ越しで処分して手元にはなかった。
同じように、コロナ禍がいざなうらしく、新刊は売り切れが続いていた。メディアでも取り上げられたのだろうか、ネット上では古書の相場がマスク並に跳ね上がっていた。それで、読むのが今さらになってしまった。
古書チェーンで、意外にも2冊が並んでいた。片方は開いてもいないような綺麗さで、売上カードは挟まったままだった。話題に釣られて、普段は活字など拾わない人がアマゾン等で注文し、案外地味な文体と頁数の多さに辟易、読みもせず手放したものだろう。
おかげで新刊を少しだけ安く入手できた。
私は先に“今さら”と書いた。本書は5月23日に紐解き、24日の夕方、読了した。明日25日には、東京の緊急事態宣言解除が予測されている。
しかし、読んだのは良いタイミングだったと、いま思う。まだ渦中にあるとはいえ、一定の振り返りができる地平を得つつあり、作品の世界観に浸りながら、一方でリアルに生起した惨禍を、多少は俯瞰できたからだ。もちろん俯瞰させてくれたのは本書の導きにもよるのだろうけれど。
今回は、かつて読んだときとは、まったく異なる読書体験になったといえる。二十歳の私は文学史年表に沿って読書することで、時代の変遷を、乗り越えられてきたことどもを、追体験しなければならないと考え、その流れの中でカミュも手にした。そのとき『ペスト』を、型通りに『ナチス』の隠喩として私は読んだ。したがって、本書を、レジスタンスの書、反抗の書として、記念碑的作品のように解釈したのだ。それは、また訪れる災厄かもしれないが、とりあえずは過ぎ去った話なのだった。
本書の序盤で、病名が公表される前、医師たちがこういう会話を交わす。
「ほんとうのところ、君の考えをいってくれたまえ。君はこれがペストだと、はっきり確信をもっているんですか」
「そいつは問題の設定が間違っていますよ。これは語彙の問題じゃないんです。時間の問題です」
もはや過ぎ去った災厄の話とは思えなかった。引用した会話は、そのまま本年1月や2月に、医療関係者らが呟いていたものと言われても信じてしまいそうだ。
本書は、戦後ほどなく、1947年に発表されている。大戦中、フランスはドイツの占領下にあり、フランス人は否応なく選択を迫られた。その体験が作中人物らを、選択を迫られた人間として描かせたのだろうか。リウーをはじめ、保健の活動(いまでいうボランティアか)に参画する人々を支えているのは、否、これを描くカミュの筆致の基礎は、限りない人道主義と誠実さである。
「まあ、いってみてくれませんか」と、彼はいった。「いったい何があなたをそうさせるんです、こんなことにまで頭を突っ込むなんて」
「知りませんね。僕の道徳ですかね、あるいは」
「どんな道徳です、つまり?」
「理解すること、です」
「今度のことは、ヒロイズムなどという問題じゃないんです。これは誠実さの問題なんです。こんな考え方はあるいは笑われるかもしれませんが、しかしペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」
「どういうことです、誠実さっていうのは?」と、急に真剣な顔つきになって、ランベールはいった。
「一般にはどういうことか知りませんがね。しかし、僕の場合には、つまり自分の職務を果たすことだと心得ています」
一方、仲間内の神父は神の摂理から「おそらくわれわれは、自分たちに理解できないことを愛さねばならないのです」という。医師は答える。
「僕は愛というものをもっと違ったふうに考えています。そうして、子供たちが責めさいなまれるように作られたこんな世界を愛することなどは、死んでも肯んじません」
読んでいて、現今のコロナ禍のほうこそが、『ペスト』を模した小説なのかと錯覚に陥りそうになった。
物語の終盤、もう一人の語り手タル―が、仕事の合間、医師リウーに語る長広舌は、本作を読み解く上で重要である。
「僕は確実な知識によって知っているんだが、誰でもめいめいに自分のうちにペストをもっているんだ。なぜかといえば誰一人、まったくこの世に誰一人、その病毒を免れているものはないからだ」
著者は、内なるファシズムを指して語らせたのだろうか。でも、今回私は、本書を遠い目で読むことはできなかった。
解説で訳者がこう書いている。
本来ならば一般の読者には取りつきにくいと思われるこの作品が、こんな爆発的な成功を収めた理由はなんであろうか? それはこの作品の簡潔なリアリズムが、さまざまの角度からきわめて明瞭な象徴性をもっていて、読者の一人一人がその当面の関心を満足させるものをそこに見だしうるからだと、カミュ研究家アルベール・マケは言う。
まさに。
この二日間、私は『ペスト』に抗うリウーたちの10か月間を読みながら、コロナ禍の5か月間という“当面の関心”について、理解しようとし、反省し、ポスト・コロナに想いを馳せた。
やはり、今回は文学作品の鑑賞を凌駕する体験だった。
カミュは、ペストが終息した後に、最後のページでリウーにこう言わせている。
ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり
いつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろう
(隠喩として)ポスト・コロナは同時に、プレ・コロナなのであろう。しかしそれを、緊急事態解除の前夜、私は現実として読んだのだ。
