MZの手下の日記

なんということもなく、このたび、日記を開設しました。昔の文章のいくつかも、すこし手を入れて移しています。

愛妻の丘

2019-07-28 16:00:00 | 上州を旅する
嬬恋というのは、いい響きの地名だと思う。なんでも日本武尊(やまとたけるのみこと)が、亡き妻を偲んだことにちなむという。亡き妻とは、古事記にある弟橘媛(おとたちばなひめ)のことだろうか。もっとも、ろくに古事記などは読んだこともないので、真偽のほどは分からない。さて、その嬬恋村に、キャベツ畑の真ん中で愛を叫ぶ「愛妻の丘」という場所がある。





四阿山(あづまやさん)の東麓にあり、遠くに浅間山、近くにキャベツ畑がある丘である。丘の上には、叫び台と呼ばれる台と、ハグ台と呼ばれる台、そして鐘がある。ここに、二人で訪れて、まず、鐘をつき、次に叫び台の上で愛を叫び、最後にハグ台の上でハグをするのだそうである。



丘からの眺めは、たいへん素晴らしい。浅間山は雲に隠れて見えなかったが、田代湖から糠塚山、村上山、桟敷山、湯ノ丸までが一望に見渡せる。



毎年9月には、ここで、「キャベツ畑の真ん中で愛を叫ぶ」イベントが開かれるそうである。だが、ここに滞在している間、愛を叫ぶ人もハグする人もいなかった。帰ろうとしたとき、バスツアーの一団がついて、これだけたくさんの人がいれば、誰かがするかと思ったが、結局誰もしなかった。自分もそうだが、なかなか人前でできるものではないようである。



とはいえ、素晴らしい眺望を堪能し、キャベツ畑の中を家路についたのである。




旧中込学校と鉱物学教科書

2019-07-27 15:00:00 | 佐久を訪ねる
七月のある日、佐久市中込にある旧中込学校を訪ねた。旧中込学校は、明治8年に建てられた、日本で最も古い学校建築だそうである。疑洋風建築と呼ぶそうで、パッと見たところは、ハイカラの洋風建築だが、実際は、日本の建築技法が多く採用されている建築らしい。太鼓楼と呼ばれる塔とベランダが印象的な素敵な校舎である。



この学校を建てる費用は、当時の中込の村々の有志の募金などで賄われたそうである。激動の明治の初めに、村民たちが身銭を切って、子供たちの教育に投資したことに感慨を覚えた。長野県は日本有数の教育県だそうだが、その県民性は、遠い明治の初め、ひょっとするとそれ以前にまで、その由来を遡れるのかもしれない。





学校は、昭和44年に重要文化財に指定され、それを機会に解体修理を行い、復元された。その後も平成7年に、平成の修理などが行われ、校内には、写真の第一教場などが復元されている。二階の教員控所や第二から第四教場などには、往時の教材などが展示されており、なかなか興味深い。



その展示の中に、鉱物学教科書や、博物教科書なども見つけた。鉱物学教科書には、理学士伊藤貞市補訂とある。後の帝大教授である。若いころ、鉱物学を志した自分にとって、恩師に連なる名前が出てきたことに、少し驚くとともに、なんとなく嬉しくなった。しかし、高等小学校などで、こんな難しいことを教えていたのだろうか?もしそうなら、今日の大学生などより、よっぽど賢いのかもしれない。




表に回って、校舎の鬼瓦を見てみると、中込の文字を見つけた。これは解体修理のときに復元されたものらしく、併設された資料館には、往時の本物の瓦、まったく瓜二つのものが展示されていた。オリジナルをもとに復元したのだから、オリジナルと復元された瓦が似ているのは、当たり前なのだが・・・。

昔の学校は、個性的でおしゃれだと思う。それに比べると、最近の学校は箱が並んでいるようで、校舎を見ても、つまらないと思う。ただ一つの問題は、冷房がないので、汗をかきかき、見学したのである。