【3月27日(日)の岩手訪問記録】
6時40分~
・東横イン盛岡駅前 出発
7時00分~
・東北道 滝沢PAに到着 きょうされん秋田支部からの2名と合流。久慈市に向けて出発
・途中、2回の給油。久慈市内では、給油制限が解除されており、満タンにする
9時過ぎ~
・久慈市社協訪問、話しを聞く
・社協が運営している日中活動(社協建物のある敷地内にある)は、利用者、職員、施設は無事。自宅が流された方がいる。直後は利用者の方も避難されていて、不安がって、職員がずっとつきそう状況があったが、今は落ち着いている。金曜日から開所している。自宅を失った方は、4人、雇用促進住宅の空き部屋(仮設住宅の代わり)などに入っている。震災直後は、停電もあったがわりと早くに復旧。水は困ったが、敷地内の温水プールの水をつかって、トイレ等対応した
9時40分頃~
・久慈市市役所を訪問。
・市内の事業所に被害は見あたらない。避難所に逃げている方はいるが、今はわからない。個々のところまではつかめていない。市内事業所一覧表をもらう。
・手持ち地図で場所を確認後、移動。途中のコンビニでお昼のおにぎりを購入。コンビニは、空いている棚もあるが、おにぎりなどはそろっていた。
10時~
・久慈市内通所施設を訪問。職員さんに出会い状況をお聞きする。
・利用者、職員とも人的被害なし。職員1名の家一部損壊。利用者は5名程家を流され、避難所生活。そこから別の場所に移った方もいる。灯油、重油、ガソリン、食材等不足している。金曜日から施設を再開した。
10時半過ぎ~
・野田村訪問、話を聞く。
・障害関係施設はない。在宅の方などはいると思うが、安否確認がまだまだすすんでおらず、把握は出来ていない。高齢者のGHは2カ所あったが、それも把握できていない。避難所は10カ所。多いところで80人~90人近くいる。
・町役場前は、壊滅的な状態。町全体の物資センターを役場敷地内体育館に設置されていた。
・避難所を2カ所訪問
※「海蔵院」というお寺…
・自宅を流された精神障害の方1名、話を聞くことができた。
・自宅で通院しながら過ごしていたとのこと、作業所等に通っていたわけではないとのこと。困っていることはないですか?何か心配なことは?の問いかけに、母親に確認しながら、「大丈夫」と答えてくれた。眠ることも出来ているし、薬もあるとのこと。落ち着いた雰囲気であった。避難所に入っている医療関係者に聞くと、岩手医大と久慈市民HPの精神科が連携していて、ケアをしているので、現状は大丈夫とのこと。
※久慈工業高校を訪問…
・障害者の方はいないとのこと。
12時過ぎ~
・コンビニで買ったおにぎりで昼食、昼食後、田野畑村に向かう
14時過ぎ~
・田野畑村役場を訪問、話しを聞く
・村内の障害者施設は1ヶ所。建物、利用者は無事であった。利用者で床下浸水の被害の方が1名。親戚のところに逃げている人もいるのではないか
・19日段階で、避難所生活をされている障害者は27名。その後、自宅に帰った方もいる。避難所では、高齢者の方も含めて保健師が3名でフォローしている(臨採1名含む)。何とか気力でやってもらっているが体力的には限界にきている
・14名が遺体で確認。26名が不明、引き波で海に流された可能性もある。津波の被害は甚大、がれきの対処も大変、三陸鉄道、島越(しまのこし)では駅まで流された
・地区によったら、まだインフラもダメなところがある
・訪問後、被害の大きかった島越を見に行く。何もなくなった状態。
15時50分頃~
・田老町の道の駅「たろう」に到着、雪がかなり降ってきたので、これ以上の訪問は困難と判断、明日の動きについて打ち合わせ。道の駅に宿泊することにする
18時頃、地元の方が道の駅に来られてお話しを聞くことができた
・家は高台にあったので流されなかったが、仕事の船2隻が津波で打ち上げられて使えなくなった。お兄さんが津波で死去。悲しいというより「みんな死んだな」涙も出なかった。大変だが、被災者自身が自分たちで何とかという気持ちをもたないと本当の意味で復興につながらないし、行政もそういった支援をするべきではないか。
・行政ももっと柔軟に対応して欲しい。物資は、避難所には行っているが、自宅で過ごしているあるいは、自宅で親戚等が避難してきているところには届いていない。地元のものを活用するという気持ちもあまりない。
・今後、漁師で高齢の人は、もう仕事に戻れないのではないか。お金をかけて船を再建するのも難しい。これから、働ける場所があるのか、そういったことが心配。
野田村内
野田村役場前
田野畑村(島越地区)
岩手県先遣隊行動地図
11032531sn.doc
岩手県先遣隊行動表
11032531sl.xls
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