明日から三月!
めぐみガーデンも春の装いしました。
みなさ~~~ん、見に来て下さいネ。♥。・゜♡゜・。♥。・゜♡゜・。♥。
活水チームも、外国語大学の国内外の学生の皆さんも、だーれでもネ!
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・・・人間とはじつは「取扱注意」の品物なのだという。
<善い方にも悪い方にも転び
状況によって天使になったり悪魔になったりする>からである・・・・
聖書 イザヤ書6章1-8節
題「神のことばを聴いた預言者イザヤ」
▽「預言者」とは、「神のことばを預かる人」のことです。
聖書中、イザヤは有名な預言者の一人で、宮廷で王に仕える預言者の働きをしていました。
BC742年、ウジヤ王が死に、若いイザヤは国の将来を思って失意と不安のどん底に陥ります。
その時、イザヤは初めて神の声を聴いたのでした。
▽聖書は神のことばですが、チャペルや、教会の礼拝で聖書の話を聞いても、
ピンとこないことがあるかもしれません。
けれども、私たちが、悲しみと不安のどん底に立たされる時、
聖書のことばは、私たちの心に静かに力強く語りかけます。
神のことばが生きて働いて私たちを助けてくれるのです。
そこで、イザヤが神のことばを聴いた経緯を見てみましょう。
▽まず、悲しむイザヤに神様が近づいて来られました。
イザヤはその時、主の臨在(りんざい※主がそばにおわれるという意識)と、
清い天使出現の幻を見て、
初めて自らの汚れた姿に気がついて、
恥ずかしさと恐れでいっぱいになりました。
そこで、思わず、「災いだ。わたしは滅ぼされる。
わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。
しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た。」(6)
と、 叫びだしたのでした。
▽神の臨在の中で、罪を恐れるイザヤに罪の赦しの宣言がされました。
天使は祭壇の上で燃えている炭火をとって、
自分の汚れを恐れるイザヤに、
「見よ、これがあなたの唇に触れたので
あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」(7)と罪の赦しを宣言します。
▽心が清くされたイザヤは恐れから解放され、自分が行くべき道が判断できました。
主の声がイザヤに届きます。
「誰を遣わすべきか。 誰が我々に代わって行くだろうか。」(8)と。
罪が赦され清くされたイザヤは、 もはや、迷うことなく、
「わたしがここにおります。 わたしを遣わしてください。」(8)と、
自分の行く道へと立ち上がったのです。
▽私たちもイエス様の十字架の祭壇の火によって、
罪が赦され、清くされる時、不安や恐れ、迷いから解放されて、
小さなイザヤとされて、神が喜ばれる道を大胆に歩むことができるようになります。