2020年9月4日(金)
台風9号の風の恐ろしさの余韻から、まだ、さめ切っていないというのに、
伊勢湾台風並みと言われる10号が、やがて長崎を通過すると言う。
頻繁にコロナ感染注意を促していた町内アナウンスは、
いつしか、台風注意に変わって
「今日のうちに備えをしてください」と、
ひきりなしに促す。
5時、コロナ対策の為の家庭礼拝用の
週報と説教要旨をポストinするや否や、
飲料水の確保とガソリンスタンドに急ぐ。
町中が備えの人たちの車のラッシュ。
時間は焦るが、
本命の日曜礼拝への備えができたので、
どこかしら心は軽やか。
5日(土)
兄からの携帯の呼び出し音で目覚める。
電話の向こうから、
「必ず、窓にべニア板を張り、避難所に行くように」と、
甲高い声が、ビンビンと響く。
9時過ぎ、
ともかく、30分先のホームセンターへ車を走らせる。
べニアよりも軽いスタイルフォームが良いと判断するが、
すでに細ではなく、幅広しか残っていない。
軽のミラでも積めそうな、
兄が薦めたべニアを2枚と白い発砲スチロールを2枚
人混みを搔き分けて入手。
次はテープ売り場へ。
ここでもまた人だかりに潜り込んで、(釘が使えないので)、
しっかりした両面テープを買おうとすると、
側にいた人が、「養生テープがないわね」と、話しかけてくれたので、
初めて、災害用の窓の補強には、
養生テープというものがあることを知った。
が、すでに、事遅しで、
あるものの中から両面テープなど2種類を選んだ。
帰る際、朝食もまだだったとを思い出し、
くるりのパンの店頭で軽いランチ。
帰るなり、どんよりしてくる空と競争するかのように、
ガラス窓の補強に急いだ。
6日(日)
空は次第に台風雲に覆われてきているものの、
雨はまだ降ったり止んだりで、風もなく余裕ではあるが、
台風はすでに鹿児島で影響を及ぼし始めていた。
コロナ感染で家庭礼拝のための要旨を郵送しているし、
今日は私一人での礼拝になるかもしれないが、、、
と、思っていたら、
いつもの時間にN姉が入ってこられた。
その時の私の心をここにどのように表現して良いか、
、、、、
ことばが見つからない。
それは、
何年か前の大雪の日曜日の朝のこと。
ジーっと窓から道路を眺めていた姉妹に、
(姉妹の夫はクリスチャンではないにも関わらず、)
ショッピングセンターの前で客待ちをしているタクシーを指して、
「あれなら行けるね」と、言われたトカで、
雪かきをしている私の目の前に、
ハーハ―と白い息を吐きながら、満面の笑顔で礼拝に来られた時の
姉妹と重なった。
礼拝を終え、迎えにこられた姉妹の夫は、
いつもになく、車を教会の駐車場に止めたかと思うと、
ガムテープを取り出し、
昨日私が不器用に防災用に貼り付けたべニアと発砲スチロール
を、更に強化して姉妹と共に帰って行かれた。
昨日、私はホームセンターでガムテープも布テープもそうしたテープ類は、
完全に売り切れ状態だったのを知っていたので、
いったいどこで入手してこられたのだろうか、とも思ったが、
それ以上に、
女所帯の私たちの小さな教会を慈しんで、このような配慮をしてくださる
ご夫妻を神様が備えられたことに、
ことばにならない感謝を覚えた。
神さまは、主の名のゆえに、一杯の水でも差しだす人を決して忘れられることはない。
そのようなお方でいらっしゃることを私は知っているし、
主を否まない人はすでに主の側の人とされていることも。
そして午後、
私は、あるだけのテープ類と、段ボールを捜しだし、
窓という窓に貼りつけて台風を待った。
🌬
そして夜、
五島の友人のHから電話が入った。
(’いつもの声。)
驚いたことに、福江の鉄筋のアパートからでなく、
山の上の実家にいるという。
そこは、リフォームはしてあるものの、
土台が江戸時代のものだけに、
今回の強風に耐え得るシロモノとは思えなかった。
「そこにいたら、家ごと吹き飛ばされるヨ!」
「今ならまだ福江に引き戻せるし、避難場所にもいける。早くしないと!!」
と、急き立てる。
けれど、友人の声は、いつもと同じ。
「知ってる。吹き飛ばされることを覚悟でここに来た。」
(理由を話す)その声もいつもと同じ。
「それで、もしかしたら、これがさいごのお別れになるかと思って電話している。
だから、何かがあったら来てね」(H)
(半分笑ているような、いつもの声、半分冗談だと思っていたが、ハット気が付いく!)
「それって、死ぬことを覚悟していると言う事?」(私)
「何かがあったら来てね、って、葬儀のこと?」(私)
無茶苦茶な話に思える。
しかし、Hは本当にそうしようと決心してそこにいる。
一旦決めたHの意志を変えることは、神様以外には誰もできない。
祈るほかない。
私は、名前を伏せ、事情を書かず、ともかく、彼女が守られることを
全国の祈りのサポーターの方々に頼んだ。
台風10号五島通過は0時から3時。
ここ長崎時津もまた、0時過ぎると急に風の音が強くなり、
みるみる狂暴な狼のような響きのように、
台風は牙をむき始めてきた。
1時過ぎ、とてつもない風の音を聞く。
(それは、実際聞いた人でなければわからないだろう)
怖くて、
思わず膝をかがめて、
「神様、お願いです。助けてください。
あなたは『苦難の日に私を呼べ、わたしはあなたを助ける』と、言われました。」
と、頭を布団にこすりつけて、祈った。
「五島のHを助けてください」と、強い風が吹く度に反射的に祈った。
同時に、礼拝堂のべニアが飛んだら周りに被害を及ぼすかもしれないと、
祈りの中で思いつき、いてもたってもおれず、
「べニアが飛びませんように、教会から近所に被害を及ぼさないように守ってください」
と祈った。その祈りの中で、
ガムテープでべニアを補強して帰っていかれたN夫妻のことを思い出し、
そのことがどんなに大切なことであったかを知った。
ともかく、無気味な風の音が聞こえてくる度に祈った。
そうせずには、じっとしていられなかった。
その祈りの中で、
「神は、み使いを使わして、神を畏れる者の周りに陣をしいて助けられる」
というみ言葉を思いだし、
なぜか、私たちの教会の屋根に2人のみ使いがいてくださると思えた。
そして、
「み使いをHのもとへも使わしてください」とも祈っていた。
聖霊の助けの為にはよく祈っていたものの
「天使の助けを!」と祈ったのは、初めてのことだった。
風の激しさがつのる中で、Hに「大丈夫?」とメールと入れると、
「祈りの中で、主の守りが確信できたから、平安、ZZZ」と、眠りマークで返信。
私は、風の音が怖くて眠りどころでなくのに、、、スゴイ信仰だと、驚きを超えて
呆れてしまうほどだった。
そして、朝。
お互いに守られたことを喜び合い、感謝しあった!!
死と直面した夜を超え、
大きな戦いを勝利して迎えた朝だった。
夜明けと共に、
電話が入り、次々とラインが届く。
こんなにも、多くの人たちの祈りの応援があったことを
あらためて感謝し、聖名を崇めた。
Hだけでなく、祈りの中にあった人たちも全員守られた!!
このような勝利の朝があっただろうか。
このような台風がまた来て欲しいとは夢だに思わないが、
今思えば、
私の一生で、このような経験をさせて頂けたことが感謝でならない。