1月31日(土)早朝、
「父がわたしに下さった杯は、飲むべきではないか」(ヨハネ18:11)
のみ言葉で目が覚めた。
「苦しみ」それは、父が差し出された杯。
避けることも、誤魔化すことも、「私の責任ではない」と言い逃れもできなくはない。
けれど、それが、父が私へ差し出されたものであるなら、
そのまま、受けるべきではなかったか!
1月31日(土)早朝、
「父がわたしに下さった杯は、飲むべきではないか」(ヨハネ18:11)
のみ言葉で目が覚めた。
「苦しみ」それは、父が差し出された杯。
避けることも、誤魔化すことも、「私の責任ではない」と言い逃れもできなくはない。
けれど、それが、父が私へ差し出されたものであるなら、
そのまま、受けるべきではなかったか!
今日は雨、
お昼に、”おでん”をつくった。
100円で立派なお大根を入手したのがその始まり。
今回は”すじ肉”も入れることにした。
ゆでたまこ、ジャガイモ、ごぼう天、山芋入りコンニャクと、目玉の大根。
少し豪華版。
だし昆布、トビウオだし、お砂糖、塩、お醤油、それにおでんのもとを入れてだし汁をつくる。
(※わたし流)
材料はすべて、あく抜きをして、全部入れて、
グツグツ煮た。
✿
チョットまだ固そうだけど、待ちきれず、お大根の味見をした。
ヤッパリ、芯があって、まだ美味しいとは言えない。
✿
夜が来た。
お昼つくったおでんに火を入れ、
また、グツグツと煮た。
チョット美味しそう!
✿
大根、ジャガイモ、コンニャク・・・
しっとりと味が染み込み、柔らかく、申し分なく美味しい!
✿
”すべてのことに時がある”
と聖書は言う。
私たちの人間性もまた、
神様の御手の中で、
あく抜きされ、煮詰め直され、熟されて、
誰が食べても、「あ、美味しい!」と言ってもらえるのかもしれない。
✿
そのようにしながら、
時々刻々
神の時に備えられていっているのかもしれない。
ランが咲くまで、あと少し!
▼
後日、おでんは、礼拝後教会の皆様と愛餐し喜ばれた。
2月12日現在、ランは一向に咲く様子もなく・・・
新年牧師会から帰り、書斎に入ると、
ランの蕾は一層膨らんでいるが、まだ青い。
けれども蕾をつけた茎には、甘い蜜が露のように滴っている。
そこに、何かゴミの様な小さなものを発見!
取り除こうとして近寄よって見れば、
ナント、それは小さな小さなカメムシの子ども。
1匹と思えば、全部で10匹ほども点在している。
どこから来たのだろう。
窓は閉めて致し・・・。
✿
カメムシは招かれなくてもチャンと美味しいものを見いだして、
誰が教えたわけではないけど、
不思議なように、
どこからともなく、ゾロゾロと
美味しいものの周りに集まってきた。
✿
私たちが頂いた十字架による無条件の罪の赦しの福音ほど、
人間の魂にとって美味しいものはない。
(少なくとも、私にとってはそうだった!!)
これ以上のものはない!
✿
小さな虫でも生まれ備わった触覚でそれを探り当てるとするならば、
主イエスの十字架による罪からの赦しと解放、
この旨味と魂の満足!
ここに、
真に飢え乾いた心をもつ人は、
神から与えられている霊の触覚でそれを探り当てるに違いない。
神の国から滴りおちるめぐみの露を慕って。
✿
「だれでもかわく者は、
わたしのところにきて飲むがよい。
わたしを信じる者は、
聖書に書いてあるとおり、
その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう。」
ヨハネによる福音書7章37-38節
✿
主イエスが祭りの終わりの大事な日に、
人々に向かって叫ばれたように、
私も叫ぼう!
昨晩のこと、
パソコンに向かい説教準備が終わったのが、深夜12時。
突然、パタリとパソコンの画面が暗くなり、
全く機能しなくなる。
✿
「どうしよう、そうだ、強制終了だ!」
しかし、それも、全く機能しない。
明日の礼拝までにプリントアウトしなければならないものが入っているというのに・・・
✿
けれども、その時なぜか一瞬、
「神様は眠りなさい」と仰っておられるのかもしれない」という思うが頭をよぎる。
✿
と、同時に、
「そうだ、いつかの冷蔵庫のように、電源を抜いて、暫くして、また電源を入れて、
アトは、神様とパソコンの自助能力に任せるのはどうだろう?」と、閃く。
✿
眠り支度をした私は、
閉じたパソコンに手を置き、
「神様、明日の朝までにパソコンの修復、宜しくお願い致します。」
と祈って、安らかな眠りについた。
✿
SSSSS
✿
朝6時、パソコンは完全修復!
思わず
\(^o^)/
ハレルヤ、主よ感謝します!
✿
信仰とは、
神様を信頼して、委ねること
全てを委ねること!
神様を全く信頼すること!
✿
今回の信仰のレッスンは、
私にとって
決して
小さいことではありません。