長崎めぐみ教会 tearoom 2

日本イエス・キリスト教団 長崎めぐみ教会から、楽しいお知らせ、牧師のつぶやき、日記、メッセージなどお楽しみください!

8月さいごの日曜日

2018-08-26 17:03:56 | ひつじかい日記(2)

 

2018年8月26日(日)

8月さいごの日曜礼拝を終えて、汗がひいたところでブログに向かう。

月日の速さに、ここでも、軽いカルチャーショックを感じている。

忘れないうちに、ここ数週間の主だったところを書き留めておくことにしよう。

以下、思い出を刻んで、

12日(日)午後 ここから私の夏休みに突入だ!

小倉のフェリー乗り場を目ざして、高速バスに乗った。

車中、何度か、休暇を共に過ごすM牧師からラインが入った。

小倉発→愛媛 フェリー泊。

M牧師が早めに手続きして下さったおかげで、私たちは女性専用ルームで、数十名のかたがたといっしょに

夜を迎えることができた。

お風呂も備えられ、ジャンボフェリーだったので、揺れも感じず、私は横になるなり眠っていた。

 

13日(月)

愛媛港で朝を迎え、私たちは24時間営業のジョイフルで朝食にした。

旅行の費用として、まずは、3万円づつ出し合って、ガソリン代やこれからの食事代を共有にした。

食後、「ぼっちゃん」で有名な夏目漱石ゆかりの温泉に浸かった。

少し料金高めで、和室とお茶のセットされているメニューを選んだが、

和室では、とても足が伸ばせる状況ではなく、チーーンと座って、お茶を飲むのがせいぜいだった。

チョット、あてが外れてソンした気分になったが、

温泉に浸かれたのは感謝だった。

<念のために>ここは、石鹸シャンプー類は持参で、ただ、浸かるだけに・・・

🚙

続いて、M牧師運転で、高松新生教会に到着。

やさしいO牧師が待っていてくださった。

O師のお部屋は、これでもか、といわないばあかりに、ピーターラビットがぎっりしと共存、

お皿も、🍵も、すべて、すべて、ピーター一色だ!

 

ランチは予約してくださっているということで、

レストランに急いだところ、

そこは、高松田村町教会の側にあり、

やがて、懐かしいK牧師夫妻が同席された。

 

お日様のようにやさしいK牧師は、ご高齢で引退を考えておられるご様子だったが、

お顔はお若いころよりも、さらに輝いて、まぶしい聖徒のお姿がそこにはあった。

食後、障害者の為に特別に配慮された礼拝堂を見学させて頂いた。

🚙

O牧師は、続いて、大川キリスト教会へ車でご案内してくださったが、

残念なことに、牧師夫妻はお留守だった。

以前、ここに赴任されたことのあるM牧師が、在任中、長い小動物と格闘されたかをリアルに話されたので、

かなり、それが印象深く残ってしまった。

🚙

続いて、少し早いものの、O牧師が予約してくださっていた、

さぬきうどんの老舗で夕食。

全て食事は割り勘で、ということだったが、私たちは何度か食事を接待させていただくことで、

O牧師の宿泊ご接待に謝意を表わし、後は、ご厚意に甘えさせていただくことにさせて頂いた。

勿論、教会への感謝はすでに予算化されている。

 

夜、シャワーを浴びて、グッスリと眠りにつく予定だったが、

べっどから落ちないようにとしがみついているうちに朝を迎えた。

 

14日(火)

朝食後、散歩がてら、明日の水曜日は故郷の岡山に帰る予定だったので、

乗るはずの電車の駅などを確かめた。

その駅で、O師の車を待ち合わせをし、M師ともども、徳島栄光教会を経て羽ノ浦方面へと向かった。

羽ノ浦に、今旅の一番目的だった骨折で入院され、リハビリ中のT師が入院されている病院があるからだ。

🚙

徳島栄光教会は見学をあらかじめ連絡していたわけではなかったが、

ステキな奥様と牧師先生が、快く全館を案内してくださった。

🚙

お昼は、羽ノ浦キリスト教会の教会員の方がされている

「ヨハネ3・11」という名前のレストランにO師がすでに予約をいれていてくださった。

車を止めると、そこは、全くプリンスエドワード島の赤毛のアンを思わせる世界が広がっていて、

出迎えてくださった方の服装も、アンの世界そのものだった。

おききすれば、佐世保出身だということで、私は大変な親しみを抱いた。

 

ランチは1000円にすれば、豪華すぎる手焼きのチョコレートケーキがデザートについていて、

近くに住んでいるたなら、何度でも来たくなるお店だった。

まあ、こんな感じです。

 

続いて、

親愛なT牧師を見舞う。

ダブル骨折で一時は4人の人たちにかかえられなければならなかった程が、

今はご自分の足で歩いておられるお姿に聖名を崇めた。

9月からは使命の地に完全復帰されるご予定でリハビリに励まれているT牧師、

ガンバレー!!

🚙

羽ノ浦キリスト教会から、小松島栄光教会へと車は向かい、

すばらしい会堂をビデオに収めた。

先生方は親切で、温かくお迎えくださった。

 

ある牧師夫人は、私を見て、「た、た、高江洲先生」かなり驚かれたが、

その真意が、私のふっくらとした姿にあることは言われなくても、なぜか、すぐにわかった。

🚙

阿南教会は牧師夫妻がお留守でお会いできなかったが、

田園地帯に綺麗な教会堂が点々とあって、

四国における宣教の実を目で見させて頂く思いだった。

 

15日(水)

母教会の岡山は備前の香登教会の朝の祈り会を目ざして、電車で瀬戸大橋を渡り、

高松新生教会を出発して、2時間もしないうちに香登についていた。

わたしが青年会の頃、フェリーを乗り着いて四国に渡った頃とは違って、

四国は本州に陸続きになっていると思った。


香登では、

何も連絡をしないで突然出席させて頂いたので、

祈祷会に出席されていた方々が、祈祷会の最中だというのに、

ビックリして立ってでてきてくださる方もいた。

若い先生方も今週は夏の休暇で、四国へ行かれているとのことで、

少し、さみしげだった。

かつて、お世話になった、K牧師夫妻が食事に招いてくださったので、

牧師館にいたところ、これまた、懐かしいN姉が私を見て、あわてて近くにあるご自分の家に帰られたかと思うと、

ホカホカのうな重を追加でもってきてくださった。

デザートも岡山の果物が満載で、

美味しい、ヨカひと時をもたせていただいた。

 

16日(木)

はやくも、今日で私たちは四国をleaveする。

祈りが沸騰する朝の祈り会を終え、

O師お手製の牛乳パンで朝食を頂き、早々に私たちは、新生教会を後にした。

向うは道後温泉と、私たちの教団の四国教区教会巡りさいごの教会の愛媛キリスト教会。

担当のK牧師はヤハリ夏期休暇でお留守だったが、綺麗に整えられた礼拝堂を外からビデオに収め、

昼食の場所を探した。

ネットで探したお店は、ランチをしただけでなく、私たちのためにあつらえたかのように、

身体を休めるスペースをも備えてくださった。

 

わたしたちは、さいごの道後のお湯につかり、

フェリーの人となった。

何だか、懐かしい四国路。お遍路さんならず、

四国天路歴程の旅となった。

 

M先生、🚙の運転と会計まで、お世話になりました。

O先生はじめ、四国教区の諸先生がた、また、香登教会の朝の祈祷会の老聖徒の皆さま

まことに、まことにありがとうございました。

天国に行っても、きっと忘れられない旅になりました。

 

 

 

 

 

 


平和の鐘よ、鳴り響け!

2018-08-10 06:51:54 | ひつじかい日記(2)


2018年8月6日(月)

午前、この暑さで、不調を来された方を訪問。

以前、私が体調を崩していたとき、

ポカリスエットが届けられて、みるみる回復した時のことを思いだして、

アクエアリス(失礼ながらも、その日のバーゲンであったので、)を、お届けした。

訪問先の駐車場でご主人に出会った。

少し回復されている様子をお聞きできて、感謝だった。

「来週の礼拝にはでたい」というメールが届いた。


 

8月7日(火)

今日は、五島の友人を見舞った。

(近頃、お見舞い続きだ)

友人はかつて、「何もしないで良い、来なくても良い」と言ったが、やはり気になり、

朝8時のフェリーで福江中央病院へ。

骨折して、入院二カ月がたっていた。

8年前、長崎赴任より5年余り、めぐみ教会に献金を送り続けてくれた

教会にとっても大切に方である。

純心さと愛に溢れている友人ではあるが、

チョット理解しにくい一面もあって、

「来ないで良い、と言うなら、追い返される可能性もあるわけだ、・・・」

と思いつつ、病室を訪ねたら、

以前からすれば、ふっくらとしてきている私の顔形を見分けることができず、、、

私であることに気が付いた時の衝撃で、追い返されるどころか、

「何を食べるとそんなに太れるのか?」

と、しきりに聞かれた。

「68キロはあるだろう?」と、言ったので、「いや、63キロだ!」と、

正確な数字を伝えた。


1時間たっても話はつきず、「さいごにお祈りをしよう」ということになり、

バスの時間に間に合わないといけないからと、私の祈りを早く打ち切らせて、

しっかりと私のために祈ってくれた

共に、年はとったものの、ヤッパリ友達はイイものだ。

 


午後、

遅めのランチを福江商店街のお寿司屋さんでとった。

ナント、吉永小百合さんらしき人が店主夫妻らしき方々と一緒に写っている写真が貼られていて、

吉永さゆりさんは、これが、70才を迎える人の顔だろうか?と、思えるほど若々しく、

お寿司屋さん夫妻は、本当にこの写真の方と目の前におられる店主が同じ方かと思えるほどで、

見分けるのに少し時間がかかった。

 

続いて、

H姉に連絡をとると、車で迎えに来てくださって、

ターミナルの2階で短い礼拝のひと時をもつことができた。

元気そうなH姉の姿を見るだけで救われる思いだったが、

最近私自身が恵まれている詩篇121篇を分かち合った。

私たちはいつ主が来られても良いように備えをしてゆく必要があると、

最近、トミに感じている。

来春からはめぐみ教会で毎週礼拝がご一緒できますように!

帰りのフェリーから見た東シナ海の夕日です。

実はこれが楽しみだったのです。

 

8日(水)

聖書研究祈り会

今日は役員奨励の日で、私としても、とても楽しみな水曜日。

担当だったM姉は、「十分な準備ができなかった」と、少し落ち込んでおられるご様子だった。

けれど、「何も与えられなかった」と、ありがままに、真実に告白される姉妹の姿こそ、

人の手によらない、真実なメッセージ以上のメッセージに思えた。

姉妹が神さまに愛されている所以を垣間見る思いだった。

 

9日(木)

今日は、長崎原爆投下祈念日。

今から71年前、一瞬にして、7万人の命が消えた。

以後、原爆病に苦しみながら、倍以上の人たちが次々と亡くなられた。

 

平和公園には県の主だった人たちは勿論のこと、今年は国連総長の演説もあるとのことで、

投下時刻の11時2分に合わせて、急遽、出かけることにした。

正式な会場には、招かれていない人は入れてもらえないが、

入り口付近で、マイクから流れる演説をはっきりと聞くことができた。


この街で生きている人たちは、

原爆の悲惨さを世界に発信していく使命があることを、マイクを手にされた人たちは誰もが訴えていた。

外国から来られた国連総長でさえそれを言われていた(と、思うが、、何分通訳がなかったので、)


日本の総理大臣の声も、はじめてマイクどおしできくことができたが,

隣におられたご婦人方が、

原爆とは全く関係のないことを、ズーート話されていて、

総理の演説の時にだけ、なぜか、

「この方は少し舌たたらずな言い方をされる」と、演説に関することを言われたので、

その印象の方が深く残ってしまった。

ところで、総理の演説は何だったのだろう?

 

 長崎から、平和の鐘が世界に向かって鳴り続けることを、

と、願いつつ、、、

 

 

 

 

 

 

 

 


旅人の詩(詩篇121篇)

2018-08-01 18:28:51 | 説教メモ

2018年7月26日(日)礼拝説教から

題「旅人の詩(うた)

 詩篇121篇は、「旅人の詩」とも言われている。正確には、エルサレム神殿への「聖地巡礼者たちの歌」。現在エルサレムに、AD70のローマ軍進撃以後、目に見える建物としての神殿はない。イエス・キリストは、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起こすであろう」(ヨハネ2:19)と言ったが復活のキリストこそ、新約時代の神殿。人生は、イエス・キリストと出会う旅であり、キリストが伴ってくださる巡礼の旅。人生の目的地は、この世の旅路を終えた時、造り主のみもとに行くことで、今日という一日もまた、天の御国への巡礼の旅(8節)の中にある一日。御国を仰ぎつつ、深く詩篇121篇を味わおう。

.神の助け(1-4

作者は、シオンの山、神の住まわれる所を仰いで、「どこから私の助けは来るのだろうか」と尋ねる。真の助けは、天地を造られ、「私」をも造られた神からくる(2)。「どうか主があなたを助けて」(3)新共同訳。「主はあなたの足が滑るのを許しなさらない」(3)バークレー訳。いかなる不注意からの踏み違いも、あるいは圧倒するような誘惑も、信頼し従っているたましいをそこなうことはできない。(Ⅰコリ10:13)主に信頼する人を、主は「油断される」(まどろむ)ことなく見守り助けられる(3,4)

.神の守り(5-8

「右の手をおおう陰」(5)働き、命の支える「右手」を守られる。「太陽」(6)は、日中を支配する力、「月」(6)は、夜を支配する力(創世記1:16-18)。主は、日中を支配する力からも、夜を支配する力からも守られる。つまり、昼も夜も関係なく、私たちは一寸の隙もないくらい神から目を注がれて、始終守られている(6節)。あらゆる悪から守られ、魂を守られる方(7)8節「出る」は、旧約的には、巡礼への出発。「入る」は、エルサレムに到着し、祭事に参加するために神殿に入っていくことを意味した。しかし、新約的には、「出る」は、この世の人生を終えて、この世のから死ぬということになり、「入る」とは、永遠の命、復活の命を持って、造り主である神のもとに入っていくことを意味する。


さいごに、ルターの言葉から、

我々は、喜んで、そして安心して、我々の救い主、贖い主に我々の魂、体、命の全てを委ねよう。主は御自分の言葉に忠実な方なのだ。我々は、この世で夜、床に入って眠りにつく時、命を主に委ねるではないか。我々は、主に委ねた命は失われることがなく、眠っていた間、主のもとで安全なところでよく守られ、朝に再び主の手から返していただいていたことを知っている。この世から死ぬ時も全く同じである。」