”その人は流れのほとりに植えられた木。
ときが巡り来れば実を結び
葉もしおれることがない。
その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。”
詩篇1・3
神の庭園に植えられた木は、どの木も成長し、いつも大きくなる希望をもっています。
(ギリシア神話にでてくる)ミダス王物語りでは、王が手に触れた者は全て金に変わったと
言われています。信仰者が手がけたものはすべて繁栄をもたらすのです。
「その人のすることはすべて、繁栄をもたらす」(詩1・3)
しばし希望を捨ててしまうクリスチャンたちは、このみことばをどのように聞くでしょうか。
すべて繁栄をもたらすのです。「すべて」です。
「命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う」(詩篇23・6)
「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、
万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマ8・28)
このようなみことばは誇張でしょうか。どこかで間違っているのでしょうか。
けっしてそうではありません。人々がそう言い、自分ではそう考え、運命は逆行しているように
見えても、繁栄はなおあなたと共にあります。やがて時が経てば、罪を犯すことだけが希望の芽を
つむということが判ってきます。
私の人生への神の計画は必ず成就します。この希望は、洗礼を受けた時、救い主イエス・キリスト
から与えられました。新しい信仰者として歩み出したばかりの人であっても、やがて完全に成長し、
繁栄するのです。
たとえすべてが反対しているように見え、自分のうちにはけがれと罪があり(あることを認めている)、
不従順であり、罪に誘惑され、世が敵対し、サタンがわなにかけようとしていても心配はいりません。
やがて時が来れば、私は喜びをもって神のみ前に立ちます。それは神が永遠の昔からあらかじめ定めて
おられたみ旨をなしとげてくださることに他なりません。
主の恵みに満たされて、
魂も心もからだも
すべて主に仕えゆくことの
いかに幸いな人生よ。
ーO・ハレスビー聖書日課「みことばの糧」よりー