つい先日、カミさんが所用でファミマに行ったついでに、目についたチュロスを手土産に購入した。
ちなみに私はドーナツの類いは避けているので、カミさんも私の分は買わないのだが、チーコさんの食卓にのっていたそのパッケージを見て、私は「あー、やっぱりコンビニのデザインはよく練られているなあ」と思った。
何しろもう随分長い間(多分、年単位で)、コンビニで買い物をしていないから、つまりコンビニの商品をまじまじと見るのは久しぶりである。
にも関わらず、「あ、コンビニのドーナツか」と、何となく分かるのだから、長期にわたってコンセプトが統一されているのだろう。
とはいえ、コンビニのデザインに全く触れていないかというとそうでもない。
TVを見ればCMが目につくし、通勤途上で三十秒ほどコンビニの中を歩くことがよくある。
このコンビニ回遊は、買い物が目的ではないから商品は見ていない。
コーヒーの匂いを嗅ぐために入店しているのだ。
私は通勤電車内では、ほぼ眠っているので、歩きながらコーヒーの香りを浴びると丁度いい目覚ましになる。
…その、「コーヒーの匂いが目覚ましになる」という発言に対して
カミさん「え、そんなにコーヒーの匂いってする?」
チーコさん「匂いを嗅ぎたいというのは分かる。けど目覚ましにしようとは思わん」
カミさんもチーコさんも、私よりずっとコンビニを利用しているのだが、それでもその環境の捉え方にはこれだけの差があり、恐らくはそのことがコンビニの世界観の奥行きを増しているのだろう。
ちなみに私はコンビニはあまり良いものとは思っていない。
だが、もはやコンビニはそんなネガティブな見方さえ、自身の構築要素として取り込めるほど大きく成長してしまったと思う。
ひょっとしたらこの先、老い方さえも「コンビニが存在する」という前提で設計されそうな気がしているのだが、できれば私はコンビニがあっても無くても何とかなる程度に身心の状態を整えておきたい。
…と思うのは、私が「生まれた時にはまだコンビニが存在していなかった」世代だからだろうか。
デジタルネイティブならぬ、コンビニネイティブ?のチーコさんやアユ君は、コンビニが無かったらそれなりに困るのだろうか。
…などという発想も結構短絡的か。
アユ君なんて私以上にコンビニを利用してなさそうだし。
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