仮面ライダーセイバーの第43章を観た。
正直言って、セイバーは観ていて「ちょっとしんどい」と思っていたのだが、この回はツボにハマった。
大体、ヒーローというのは世のため人のために戦うものだが、セイバーはライダー達がそれを確かめ合う場面が多いせいか、それがどうもしんどかったのだ。
お役に立ちますとか誰かのためにとか守りたいとか真の強さとか、そういう熱意は少し制御を誤ると、かえって話をややこしくする。
いや実際ドラマはそうやって話を盛り上げるわけだし。
別に「自分さえ良ければいい」というのではない。
ただ、あくまでも自分を大事にすることから始めて、日々を丁寧に暮らすことが、回り回って住みやすい世の中を作るのではないのか。
そういう意味では、自分ファーストな蓮とデザストは見ていて安心、のはずだったのだが、ヒーロー物のお約束としてそういうキャラがただ安心なだけでは示しがつかないから、色々と悩んだり危なっかしい展開も強いられていたのが不憫である。
そもそも蓮が「自分は弱い」と思い悩むのは理不尽ではないか。
小太刀二刀を操る彼なら、一刀を盾もしくは牽制に使って相手の武器を封じ、もう一刀で一方的に攻撃するという、戦略的にはこの作品中最強の位置にいるからだ。
だから彼が変な人ブレイズの真似ではなく、本来の二刀と体術の変幻自在スタイルでデザストと熱く語る場面は納得である。
あの殺陣は音楽も含めてガツンと来たので、久しぶりに数回観直してしまったし、「お前はそのままでいいんだよ」というデザストの台詞は、現時点で今作一番の強いメッセージを放っていた。
とりあえず、この第43章だけで、セイバーを観た甲斐があったと思う。
そういえばデザストには「強さの果てを見たくないか?」という台詞もあった。
これは「誰よりも強くなりたいと思わないか?」「誰も見たことのない景色を見たくないか?」等々、様々な解釈ができる都合のいい意味深い言葉だが、私は「自分が世界を救わなくても、とりあえず自分を救いたいという意欲さえあれば、足りない部分は周りと補いあって何とかなるものだと信じてみないか?」という意味に受け取った。
これなら「俺が世界を救うんだ」と闇雲に力みまくっているノーザンベースの面々の頭を冷やすのにも丁度よかろう。
ちなみにライダーは今でも録画したものをアユ君と観ているのだが、11日はアユ君が模試で忙しかったので12日に観た。
受験生の彼がライダーを、特に今回のような力作をどう観ているのか、多少の興味はありつつも訊こうとは思わない。
そういう私をデザストなら「お前もこっち側だ」と評しそうであるが、さあアユ君がどっち側に進むのかはそれなりに楽しみである。
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