葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

文明というハンデ。

2014-11-03 08:05:04 | 養生
 鍼灸や按摩、マッサージは、大昔に完成した医術です。
 その頃の状況や時代背景を鑑みるに、日常生活で自然な運動、動きを存分にしていたことは想像に難くありません。

 そういう、みんながみんな自然に体を動かしていたということを前提として、古典的な医術は成立するのでしょう。
 となると、体を動かす機会が減り続けるような文明社会では、鍼灸や按摩、マッサージの効き目もまた減り続けているのかもしれません。

 いや、だからといって「みなさん、フィットネスクラブに通うとか、バーベルを持ち上げるとかして運動しましょう」という単純な話ではありません。
 運動のための運動というのは、目に見える結果を出しやすい(といっても、せっかちな人は結果が出るまで待てないようですが)代わりに、今一つ味わいにかけます。

 真のフィットネスは、日常の立ち居振る舞いの中にあります。
 本当に、ただ立ったり歩いたり、手を伸ばして何かを取る、といったことの中にです。
 そういった動きを、じっくりと味わって行う。
 それは大昔の、生活の中にあった自然な動きと通じる行為であり、鍼灸や按摩やマッサージを受けた時に、その効果を余すことなく享受するための感覚を養うのです。

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