春分の日を迎えてこれからは春がぐっと近づく。公園の木の根元の雪が円く解けて土と草が顔を出している。雪解けはここからどんどん広がっていく。山に囲まれた田舎育ちなのでこの光景は子供のときから目に焼き付いている。さらに雪解けが進むと山の陽だまりには福寿草が芽を出し黄色い花を咲かせる。白一色からの黄色なのでなおきれいに見えた。これも春の思い出。
22-3-21
極悪非道な残虐行為をしている者が強気に出て一方的に被害者にされた方が弱い立場に立たされる不条理。これが勝てば官軍になる武力による戦争だと言えばそれまでだが、これでは殺された人達があまりにも哀れ。しかし、世界はこれを容認し続けてきたから多くの国がさらに武器を増やしたがる。そして、同じ悲劇が何度も繰り返されてしまう。人間は簡単に後退する。
22-3-22
思わず泣けてしまう映画を上げるとすれば『ひまわり』はその代表格になる。2度目に観たときも内容はわかっていても泣けてしまった。初めて観たのは22歳の頃で狸小路にあった遊楽地下だった。列車の中で号泣する場面と広大なひまわり畑はしっかり記憶に残っている。今、この映画はいろいろな所で放映されているという。戦争によって引き裂かれる愛は現実になった。
22-3-23
3月は去ると言われるが、ロシアのウクライナ侵略によってさらに早められた気がする。今では夜の6時と9時と10時のニュースを見るのがすっかり日課のようになってしまったのだ。とにかくそれまでののんびりした夜の過ごし方とは一変した。早く元に戻りたいがまだまだ先は見えない。そして、こちらは楽しい時間だけど日ハムの試合も入り込むのでもっと忙しくなりそう。
22-3-24
とても重要で当然の判決。安倍元首相の街頭演説にヤジをした人が警察によって排除された裁判で警察の行為は表現の自由の侵害で違法という判決が出た。地方裁判所だが正しい判断に一抹の救いを感じる。日本をロシアや中国のような国にしないさせないためには今の両国の言論の自由を許さない社会とその結末を忘れずに覚えておくのが大事。なってからでは遅い。
22-3-25
開幕前から何かと話題を振りまいていた新庄監督の日ハムは2連敗したとはいえ昨年までとの違いは選手やチームに暗さがないことだろう。これまでは連敗するとどんよりした空気が漂っていたが今年はそれがないのがいい。もちろん勝った方が嬉しいけれど貪欲に挑戦している姿勢が伝わってくるのでこちらも新鮮な気分になり大目に見ていられる。これからも楽しみ。
22-3-26
続き。日ハムは3連敗。でも悲壮感や落ち込む様子は見当たらない。チーム全体が新庄監督の目指す新たな戦い方に挑んでいる最中なのを理解しているからだと思う。その基本は観客にとって楽しくてワクワクする野球であって勝つことばかりを目指す野球とは違うところにある。たとえ10連敗しても気にする必要はない。何せ解説者の予想は最下位なんだから気楽にやれる。
22-3-27
小学校の体育館での卓球サークルを退会。コロナの発生から休みの日が増えたことと引越しのため歩く時間が増えたせいもあって行く機会はぐっと減っていた。昨年の3月からは一度も顔を出さなかったのでやめる決心をした。10年前に卓球をするきっかけになった所なので残念ではあるけれど仕方がない。北区体育館の方はより大切になるので何としても続けるつもり。
22-3-28
テレビのニュースで「97%の産地偽装が混ざっていた」と伝えていて何か変だなと感じた。ゆっくり言い直してみて「混ざっていた」だとわかった。偽装は異常なのでこの言い方が間違っているわけではないけれど、正しいものが3%しかないのだから混ざっていたのはこっちの気もする。でも「3%の本物も混ざっていた」というのも違うか。こんなことを惑わせるとは情けない。
22-3-29
最近の水彩画の制作は偶然から始めている。画面全体に水を張り、そこに皿に溶いた絵の具を垂らし、画面を色々な角度に傾けながら広げていく。そして、色を変えてそれを繰り返す。そのときは具体的な構想を持たないようにする。ある程度進んだ段階でゆっくり眺めて、おもしろいと思えるものを探し出す。それをきっかけにして作品に仕上げる。そこからは必然の世界。
22-3-30
続き。連想という意味では美術の授業でやった人もいると思うが、ふたつに折った紙の片方に無作為に絵の具を置き、真ん中で折った後にできる左右対称の形から何かを連想させるというロールシャッハに近いかもしれない。違うのは対称形ではなく、そこから制作が始まるということだろうか。点であれ線であれ刺激させるきっかけがあればそこから発想は生まれる。続く。
22-3-31