グレートジャーニーにはまったのは冒険に近い過酷な旅と旅先の様々な人達との出会いにもあるけれど何より関野吉晴という人物に惹かれたのが大きい。あれだけたくさんの人達に歓迎され受け入れてもらえるのは懐の深さだろう。そして、人は人種による違いはなく、どれだけ人に優しいか、いかに格差が小さいかが大事との考えを知ったのも嬉しかった。自分もそう思う。
22-3-1
3月に入ったせいか日差しが穏やかな暖かさに感じられた。週間予報を見ると最高気温はすべてがプラスになっていて真冬日とはおさらばになりそうだ。最低気温のマイナスはまだまだ続いているがそれも4度までに。厳冬期は完全に脱した感じがする。これからも降雪はあるだろうが太陽が解かしてくれる。でも、氷の歩道は残っているから気を抜かずに冬を終わらせたい。
22-3-2
予約していた『札幌市の100年』を先月末に手に入れた。さっそく見てみると期待していた内容とは違う部分が結構あって喜びも半分といったところだった。懐かしい街の風景やその時代を感じさせる生活や人物の写真はいいのだがきわめて個人的なスナップ写真や集団写真の多さにはがっかり。関係者には嬉しくてもそうでなければ見てもしょうがない。価値は半額程度か。
22-3-3
ロシアのウクライナへの侵略と破壊と殺戮が信じられないという意味では3.11の津波以来かもしれない。しかし、そこには決定的な違いがある。3.11は人間の力では防ぎようのない自然災害だったけれど今度のは人間の仕業による破壊と殺戮なのだ。それゆえ防ぎようがあったはずなのにそれができなかった。これを繰り返すのが人間なんだと思うととにかく悲しくなる。
22-3-4
続き。ロシアの侵略戦争の裏ではパラリンピックが開かれている。もし同時に放映されていたら名ばかりの平和の祭典より間違いなく悲劇の方を見る。幼い子供達が命を奪われる現場の方がずっと気になる。祭りはひとときの歓喜になっても瞬く間に覚めるが悲劇は心に深く根をおろす。祭りは繰り返せるが悲劇は取り返しがつかない。人間世界は矛盾に満ち溢れている。
22-3-5
中学時代に心に響いた戦争に関する小説と映画がある。それは『西部戦線異常なし』と『ニュールンベルク裁判』。先のは第1次大戦に志願した若者が前線で狙撃され死亡したがその日の報告は西部戦線異常なしという内容で、次は第2次大戦後にナチスを裁く裁判で命令に逆らえば殺される立場の人間が死刑を宣告されるというもの。ここで戦争の怖さを教えられた。
22-3-6
3週間振りの卓球。相手が雪かきや猛吹雪のせいで体育館に来られなかったせいもあり、ようやくできて嬉しかった。毎回同じことを書いているが無心に球を打ち、動き回ってかく汗はたまらなく気持ちいい。健康のためなんていう意識はまったくなく、とにかく時間を忘れるほど楽しいのだ。当然結果として役立ってるのはわかるけど、意識して歩く散歩とは明らかに違う。
22-3-7
6月末の個展へ向けてしっかり制作している。制作は予定通り機械的に進められるわけではないので予断はできないけれどほぼいいところまで来ている気がする。あいまいになるのは創造力や意欲や集中力にはどうしても波が出てしまうからだ。もちろんそれらを高めたまま持続できればいいのだが、そううまくはいかない。不調なときを見越した上での余裕も持っていたい。
22-3-8
11月5日の車との接触事故の調書作成が4ヶ月も過ぎた今頃になってようやく行われた。当初はすぐにでもやるような話だったのにここまで遅くなるとは驚いた。そのために北警察署へ。初めてドライブレコーダーを見せてもらったが、ぶつかった直後に自分の姿が消えるところに事故の生々しさを感じた。でも、他人を見ているような不思議な感覚もあった。これにて完了。
22-3-9
昼の陽気はさることながら朝夕の明るさも近づく春を感じさせる。朝目覚めたときカーテンから漏れ出る光の強さでおおよその時刻を推測できるようになった。明るさは天候によって変わるので確実性はないけれどなんとなくわかる。今朝は6時頃かなと思って時計をみると6時ちょっと過ぎだった。もう少しで夕食は灯りなしでも食べられそうだ。明るさは活力につながる。
22-3-10