城犬のおいど

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陸奥国 船岡城

2024-09-08 16:20:41 | 城館
陸奥国 船岡城 <フナオカジョウ>
別称芝田城・柴田城・船岡要害・四保館
城郭構造山城
築城年不明
廃城年不明
指定史跡指定なし
住所柴田郡柴田町船岡館山19 [MAP]
スタンプ設置場所
御城印販売場所

概要
ここ船岡の地は、江戸時代の初め頃(慶長初期 1600年頃)までは四保村とよばれ、領主四保氏の居館四保館のあったこの舘山も四保山であった。
四保山は、奥州街道と白石川を挟むかたちで韮神山と対峙し、軍事上の要衝だった。この丘陵上に築かれた四保館は、沼や堀・川に峻険な地勢と相まって、天然の要塞というべき山城である。
鎌倉時代に、この地域を治めた一族は、御家人小山氏の一族だったが、この地名を採り四保氏を名乗ったとされる。
16世紀の初め、柴田家の祖 四保但馬定朝がここに住み、二代宗義の時、四保姓を柴田に改めた。柴田氏は、文禄2年(1593)、志田郡桑折(大崎市三本木桑折)に所替えとなる。
その後、船岡の地は、伊達政宗の家臣屋代勘解由兵衛景頼の所領となる。屋代氏は二の丸に住んだが、慶長12年(1607)に改易となった。
この地に、原田氏(甲斐宗資、甲斐宗輔の父)が桃生郡大瓜(石巻市大瓜)から移封されたのは元和元年(1615)のことである。
原田氏は山上には屋敷を設けず、
家中屋敷に二屋敷分を取り居屋敷とした。しばたの郷土館のあたりであったと考えられる。しかし、寛文11年(1671)3月27日に起きた寛文事件(伊達騒動)により、原田家は改易となる。
その後天和元年(1681)に、寛文事件の波及を身を挺して留め落命した柴田外記朝意の子中務宗意が、登米郡米谷(登米市東和町米谷)から再び船岡に戻った。元禄7年(1694)、
7代宗僚のとき「三ノ丸」に居屋敷を築造し、以来170余年を経て明治維新を迎えることになった。
※現地看板より

大手門跡


駐車場


みだれ坂

柴田家の居館に上がるには、お堀にかかる橋を渡り、「大手門」をくぐり、坂を登り、登りきったところにある「詰の門」から「三の丸」に入ったと伝えられています。
この坂道は、「みだれ坂」とよばれています。約11度の斜度で、南へ約50メートル登ったところで、くの字形に曲がり、今度は北へ約45メートル登ります。
くの字形に折れ曲がるこの場所に、60平方メートルほどの平場があります。道幅は8~10メートルと、意外なほど幅広く見事なものです。
「詰の門」は、明治になり、柴田家の菩提寺である大光寺の山門に移築されましたが、大正7年の大火によって焼失しました。
※現地看板より

三の丸跡

寛文11年(1671)、大老酒井雅樂頭邸で、原田甲斐宗輔による刃傷事件(寛文事件)が起こりました。
事件の拡大を最小限に留めた功労者とされた柴田外記朝意の嗣子中務宗意(6代)が、天和元年(1681)登米市東和町米谷から船岡へ移封されました。
当時は、原田氏と同じように家中屋敷内に二屋敷を居屋敷としていました。元禄7年(1694)、7代宗僚のとき幕府老中より船岡要害屋敷普請の許可が下り、三の丸のこの屋敷が明治維新まで柴田家の居屋敷となりました。
三ノ丸は、「仙台領古城書立之覚」によると方70間としていますが、実測では、東西155メートル、南北95メートルの矩形 であります。
明治2年の春、建物の一切が焼失しました。現在は大手門から詰の門に至る「く」の字の坂(みだれ坂)と三ノ丸西側に残る土塁、屋内にあったとおもわれている城中井戸が当時の面影を伝えています。
※現地看板より

城中井戸

船岡要害三の丸、柴田家の居館(屋敷)内で使われていたという井戸(城中井戸とよばれた)である。
昭和58年、柴田町出身の直木賞作家大池唯雄の詩「城中井戸」の碑が、船出会有志により建立されました。
井戸の覆い石板に左・柴田家の「右二つ巴」、右・伊達宗家から賜った「丸に立て三つ両引き」の家紋が刻まれています。
※現地看板より

馬場跡




2024/7訪問


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