涙目筑前速報+

詰まるところは明日を知る。なだらかな日々につまずいて
向かうところはありもせず、未来の居場所だって未定―秋田ひろむ

言葉を取り戻せ

2018-11-20 00:56:28 | 音楽
amazarashiの新曲が素晴らしかった。
今回の日記はその新曲と、彼らが今回立ち上げたコンセプト「新言語秩序」についてを書く。

毎回毎回新曲が出る度にスゲェ良い曲だなって言ってる気がするけど、今回の曲も素晴らしかった。
とりわけ俺が気に入っているのは「独白」というカップリングの曲だ。
カップリングではあるが、おそらくこれが今回秋田ひろむの一番言いたい事なんじゃないかと思う。

前作「地方都市のメメントモリ」でひとまずの表現したいこと到達点に辿り着いたamazarashiの秋田ひろむが次に持ってきたのは言葉の力強さだった。

ミュージシャンの、とりわけロックミュージックをする人はお上に逆らってなんぼなところがあるんだけど、この人の場合はまたちょっと切り口が違う。
厭世的な部分は大いにあるんだけど、「思えば自分も人の事言えたことじゃねぇな」「否定ばっかしていたら結局虚しい自分だけが残っていた」という内省的な部分、内輪に向かう要素が凄い強い。
今回の「新言語秩序」で言及するのは「SNSで見受けられる相互監視的な部分」だ。
やはり内輪に向かうイメージが強い。こういう所が俺は好きだ。

我々一般人が相互監視する世界。
確かに昨今のネット炎上を発端に規制される表現ってのはそのケースが沢山見受けられる。
去年のガキの使いのハマちゃんの件もそうだし、とんねるずの保毛尾田保毛男もそうだったな。

勿論価値観は時代によって変わるもんだし、SNSの発達によってそこらへんの有象無象でも有名人と同じ声で発信できるようになった。
お蔭で不正や不義の類は隠されることなくすぐに世に出て叩かれる風潮が出来た。

不倫がここまで叩かれる事に対して、テレビ屋の連中は嫉妬で片付けたがる。
もちろんそれも混ざっているだろう。
だが俺は、世の人全員が単に不満のはけ口として叩いているわけじゃないって事だとも思っている。

反面、この価値観が時として潔癖になることもあって、それによって縛られることだってある。
まとめブログ脳みてぇな排外主義的ななろう小説作家が過去にぶちまけた暴言がほじくり返されて非難されることもあれば、自分達の先祖や日の丸を誇りに思った歌を書いたミュージシャンの歌が非難されるご時世だ。
他人様の創作物を二次創作して金儲けしようとした連中が叩かれる一方で、ヒーローモノが原作となる深夜アニメキャラの抱き枕が出たら制作・原作の会社に抗議をする奴が現れた。
ヘイトスピーチやLGBT差別運動も、非難されてしかるべきケースも行き過ぎと感じるケースも数多く見られた。
今回語られる「新言語秩序」では、その「行き過ぎた社会」がモチーフの世界なのだろう。
お上ではなく、我々下々の者が率先して気遣いを強制し・監視し合う世界とでも言えばいいか。

そういった世界に対して、ミュージシャン秋田ひろむは問いかけるわけだ。


「言葉を憎む人間を作ったのが言葉だとしたら、人は言葉で変われる」
「言葉を殺すという事は変わる機会を殺すという事だ」

―アプリ「新言語秩序(テキスト第三章)」より引用



例えば、何かの物事に触れた時の一般的な感想として、誰もが良かったこと・カッコいい事はカッコいいと言うし、逆に良くなかったこと・ダセェ事はダセェと言うだろう。
それを聞いた俺がカッコいいと言われた側であれば気分が良いだろうし、ダセェと言われた側だとしたら気分が悪くなるだろう。
確かに人は言葉で変わる。少なくとも俺の中ではそうだ。

だが、言葉を殺すという事はその選択肢すらも失われてしまう。
上記でダセェと言われれば気分は悪くなると言ったが、10年後にはまた別の受け取り方をしているかもしれない。
10万行の言葉をかけて説明されれば、考え方も変わるかもしれない。

仮に変わらなくても、その気分を害された悔しさを元に何か新しいことが出来るかもしれない。
一方で俺自身も色々な事を言う中で、身近な人や見知らぬ誰かに何らかの影響を与えているかもしれない。良くも悪くも。

良くも悪くもというが、良いと思っていたことが単に妄信していた事だってこともある。
悪いと思っていたことが実は真実なのかも。

良い事も悪いことも、ちょっとしたことで裏返ることだってある。
その清濁併せて呑んで形成されていくのが人間だと俺は思っている。
だが、言葉を殺すという事はその形成の機会すら失われてしまう。

そこで産み出てくるのはそれこそ作中で語られるテンプレート言語のような存在しかいないだろう。
テンプレート言語で形成されたような人間は否定しないし、自分自身にもそういう所はある。
だが「テンプレート言語のような人間しかいない世界」は肯定されるべきではない。
そういう画一的な世界は昔からディストピアと呼ばれ、作品となってきた。

良いと受け取った言葉も、悪いと受け取った言葉も、人間の心は互いに影響し合う。
そしてそれが積み重なって人格が形成されていく。
「独白」の終盤はそれを力強く謳っているのだと思う。


言葉は積み重なる 人間を形作る 私が私自身を説き伏せてきたように
一行では無理でも十万行ならどうか
一日では無理でも十年を経たならどうか

奪われた言葉が やむにやまれぬ言葉が
私自身が手を下し息絶えた言葉が
この先の行く末を決定づけるとするなら
その言葉を 再び私たちの手の中に

再び私たちの手の中に
今再び 私たちの手の中に
言葉を取り戻せ


―amazarashi「独白(検閲解除ver)」より一部引用



この終盤のくだりこそ、今回秋田ひろむが一番言いたかったことと俺は考えている。
この心を打つフレーズを階段を昇っていくかのようなメロディでたたみかけるのは非常に素晴らしかった。
いつものことながら、感動した。

また、シングル音源版で「独白(検閲済みver)」で出してきた手法も見事だなと思った。
一部分の歌詞を公開することでこの歌が伝えるべきことを受け手側に想像させ、この曲こそ今回一番重要な曲なのではないかと印象付けているのだ。

今回も満足度の高い作品だった。
これで武道館のライブに行っていたらもっと感動していただろう。
つくづく仕事で行けなかったのが悔やまれる。有給を取ってでも行くべきだったのかも。
武道館の内容は是非ともDVDで欲しいところだ。

そして、この「独白(検閲解除ver)」の音源は早く提供して欲しい。
次回のアルバム収録は勿論の事、先行DL専売でも良いから欲しい。
新言語秩序アプリを立ち上げてロック解除後にフォアグランド再生させれば聴けるが、手間が多少かかってしまうのだ。

あとはライブでこれが聴けたら最高だろう。
2019年に都内でもライブスケジュールがあるみたいなので、時間が合えば行きたいと思っている。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 遂げられない恨みをくべろ | トップ | 2018年12月~2019年4月にかけ... »

音楽」カテゴリの最新記事