私が28の頃、叔父さんが白血病で入院したと言う知らせを聞き、札幌から帰郷しました。
叔父さんは実家から歩いて行けるところに住んでいて、お酒が好きで、私の母の手料理を肴に父と呑むのが好きでした。
叔父さんは若い頃自衛隊に入隊していたくらい健康でスポーツが得意な人で、昭和一桁生まれの人の割りにはすらりと背が高かったです。
それなのに、52才と言う若さで病に倒れ、還らぬ人となりました。
あの時、 白血病は新鮮な血液を輸血しなければならず、
血液型がA型の叔父さんは、兄弟が6人もいるのにAB型ばかりで、私の父も
母もAB型、私も弟もB型で輸血が出来ませんでした。
私の友達に話をしたら、友達の旦那さんが輸血に協力してくれて…
本当に有り難かったです。
気さくで優しい叔父さんでした。
でも奥さんは少し偏屈な人でした。
叔父さんが新鮮な魚のお刺身や珍味を好きなのに、そういうものは食卓に上らなかったようで、好き嫌いが激しい人でした。
何よりも叔父さんの兄弟が嫌だったのか、親戚付き合いが煩わしかったのか、叔父さんの実家にも葬儀や法事の時以外は来ませんでした。
気さくな叔父さんは、私の両親のような頻繁すぎるくらいの親戚付き合いを羨ましがっていました。
その叔父さんの奥さんが、先日亡くなりました。
80才でした。
天命を全うしたのだと思います。
亡くなる前に、独身の一人娘に「誰にも知らせないように」と言っていたそうで、告別式には叔父方の兄弟はもちろん叔母さんのお姉さん二人にも知らせず、誰も参加しなかったそうです。
叔父方の兄弟たちは、告別式の次の日に残された一人娘に聞かされて、慌てて大雪の中お焼香に向かったそうです。
寂しい告別式だったでしょうに。。
頑なな叔母さんだったのね、最後まで。
残された一人娘のために、
叔父さんの兄弟たちや一緒に行った従兄弟たちは、何かあったら知らせるんだぞと言ったそうです。
親戚付き合いは大変だけど、やはりこんなときは居てくれて良かったと思いますが、叔母さん似の彼女はどう思ったか…
私はこのことを母から聞いて、色々考えさせられました。
そして
懐かしい昔が思い出されたり、これからのことを思ったりしました。