仙台から80歳の母が来てくれた。
7年前くらいに
ガラケイを贈ったが使いこなせずにいて、そのガラケイは東日本大震災の時に食器棚の下敷きになり壊れてしまった。
その時に使わないから要らないと言うので携帯電話契約を無しにした。
なので、携帯電話をもっていない=わたしが不安。
母は東北新幹線で来たのだが、携帯が使えないので東京駅ではなく、大宮駅で下車してもらい出迎えた。
わたしたちが関東に引っ越して
7年目にしてやっと我が家に来てもらったのだ。
もっと早く来てもらえばよかったが、なんなんだろうね…
それくらい掛かった、
わたしの心の鬱が晴れるのが。
特に母とは。
孫の次女の結婚が決まって結婚相手のご両親との会食にも参加し、
ナナカゴ家の皆と会い、
長女の結婚も間近で三女もおそらくもうすぐで、
三人の孫達がそれぞれに成長して幸せな未来を築こうとしていることが嬉しかったらしい。
孫達の幼い頃の
写真を見て感激で涙したりもした。
そして
1泊だけの短い旅行だったけれど、
亡くなった父と一緒に行きたかったという白川郷へ、わたしと二人だけで。
この旅行は、娘達がわたしと母とゆっくり行っておいでと
わたしの誕生日に
1泊2名の宿を選べるというカタログをプレゼントしてくれて叶った旅行だ。
だから余計に孫達のそういう気持ちにも感激したのだろう。
北陸新幹線で富山まで行き
富山駅の近くの真新しいホテルを選んでの宿泊。
13階の広い角部屋からは富山市内の夜景がとてもキレイに見られた。
もっと時間があったら、富山市内もブラブラしたかったな。
お食事も朝夕どちらも美味しかったし。
言うこと無し!
白川郷へは高速バスで向かった。
合掌造りの家々が古の佇まいのまま見事に残されていて、
わたしが小さい頃だから50年以上も前の田舎の風景にタイムスリップしたような気持ちにさせられた。
母もそうだったのであろう。
父の写真を忍ばせてきていて、父に語りかけていた。
小さな家の前の白い笠の電球があーこんなの有ったぁ…と
畦道は母の実家の裏の道のようで、小さい頃その畦道を歩いて祖母の和裁の手習い所まで迎えに行った記憶が甦った。
白川郷を囲む高くそびえる山木がまっすぐ空に向かっている、
ああ日本の原風景なんだろうなぁこれが…
保存するのは並大抵では無いだろうなと思った。
母は今回のことを「この5日間は本当に幸福だった」
と言っていた。
わたしも幸せだったよ、お母さん。
そして
来てくれてありがとう。
そして娘達よ、ありがとう。
富山では16℃くらいたったのに、
母を見送って家に戻ったら、
家の中が30℃!
そして旅行に行く前から喉が変だったのだが、もろに熱が上がりだし、
休みの最終6日目は寝込んだ。
なんて柔な体になってしまったのか!
気持ちは幸せなのに
体はギシギシ痛んでた(笑)
そうそう
わたしの最寄り駅に着く前に
母は大宮から仙台にノンストップで先に仙台に着いてしまうという!
一時間ちょっとで
東北新幹線「はやぶさ」は速っ!
こんなに時間が掛からないなら
もっとおいで~(笑)
そうそう!
今回母は
わたしより健脚で元気なことがよ~く分かった!
80歳に50代のわたしは完敗!(笑)