関東でさえ、あの揺れ、震源地はどんなに揺れたか!
私は怯えて、
ただただ家族がどうなったか心配していました。
主人は近くに出掛けていて、すぐに帰ってきました。
長女と次女は
携帯電話が繋がらず、繋がったのは次の日の昼で。
三女は地方都市の大学だったので独りぼっちで、三日間も携帯電話が繋がらず。
仙台の実家とは10日間音信不通で。
母は避難所生活をし、過労で倒れて腰を打って救急車搬送されたそうです。
携帯電話は地震で壊れてしまったから、mixiの地震災害コミュニティで探して、見ず知らずの方から安否をお知らせいただきました。
私が仙台に行きたくとも交通機関が不通になっていて、看病に行けたのが二週間経ってからでした。
ガスも水道も止まっていて、寒い中、母は自宅で独りで寝ていました。
家の中は特に台所がめちゃくちゃになって、危ないからと町内会の方が簡単に片付けてくださっていました。
母はその中で、身動きの取れない体で、配給の水と食料で凌いでいました。
ご近所さんにはお世話になりました。
やっと水道が回復したのが、1ヶ月近く経ってからで、ガスは更にあとでした。
三年が経過して、忘れてはいけないと思いますが、
忘れることなどできません。
思い出すと胸が詰まって、あの時の恐怖の感覚がフラッシュバックしてきます。
私などは被災してはいないのに、こんな気持ちになるのだから、被災された方の気持ちはどんなに辛いものだったか、遥かに想像も越えるものでしょうね。
私は
あの地震直後かなりの期間、特に津波の映像を正視できませんでした。
今日はそれを観ました。
そして、まだまだ復興されていない現状をテレビで見ました。
被災された方の三年間のドキュメントも見ました。
涙、涙、涙。
早く復興することを願います!
↑は昨日書いたんです。
この地震で確信を持ったことは、「何が起こるかわからない」ということ。
明日はどうなるかわからない。
さ、今日を生きましょうってことで、仕事に行ってこようっと。