ナナカゴ日記 ただいま幸せ60代

60代。突発性難聴。備忘録。呟き。まだまだスーパーパートw

10月21日(土)のつぶやき

2017年10月22日 | Twitter

10月20日(金)のつぶやき

2017年10月21日 | Twitter

10月19日(木)のつぶやき

2017年10月20日 | Twitter

明日でやっと終わりだぁ!

2017年10月19日 | スーパーパートの仕事


お弁当の部屋での仕事が
明日で終わり!
ばんざーい!
\(^^)/
あれ?まだ終わってなかったの?と言われそうか?(笑)


いろいろ有って凹んだが
とりあえず
終わり。

明後日からの古巣、寿司へ戻る。
寿司の今後のシフトはまだ確認していないが、わたしが戻るせいで
自分のシフト時関数が減った!と文句を言われた。
また寿司に戻ることになりました、よろしく~と挨拶に行ったのに、初っぱなからパンチ食らった!(笑)

それは私のせいではない。
シフトを作った人のせい。
そして午前中のひとが少ないと言うが、あなた自分の言っていることが分かってる?
わたしはわたしと交代した人より契約時間が多いのよ。
午前中からしっかり入るのよ!
そして午後が多いって?
ごちゃごちゃ言っているけれど、
あなたはシフトを決める主任じゃないでしょ?

と、言いたかったけれど飲み込んだ。

ああヤダヤダ

あっちにもこっちにも
文句を言う奴がゴロゴロ居て。


ま、やるれることをやる!
それしかない!






十日近く風邪引きで体調が悪いのも
ストレスと凹みが原因かもしれない。
あと天気かな。

このイキナリな寒さと雨降りだもの。
軟弱な体には堪えているらしい。
らしいってね、
自分の体なのにコントロール不能なんだわ。

ま、元の仕事に戻ったら落ち着くものと期待したい。

やれることをやる。

ってさっきも書いて
毎日しつこく書いてないか?(笑)
自分に言い聞かせているから
いいのいいの
ここは
わたしだけの秘密の場所。


って、ブログ公開しといて何をいまさら?(笑)




年を取るとしつこくなってね(苦笑)。
風邪も長引くし。
傷も治りにくいし。
しようがないなぁ

良く眠って
細胞を新しくしないと
生まれ変わるってやつ?(笑)

眠れよ!

今夜も無理みたいだな
昼間寝過ぎたから~


#スーパーパートの仕事
#突発性難聴


10月18日(水)のつぶやき

2017年10月19日 | Twitter

突発性難聴になってから丸三年経ちました!

2017年10月18日 | 突発性難聴になって

発症した当初は
もう少しまともになっているかと
三年後を思い描いていましたが、
なんのなんの~
あの頃と症状も同じで
慣れたかと言ったら
慣れたとも言えますが、
回りがもう普通に聞こえると思っているのが
誤解を生んで
あの頃より生き辛いです。


突発性難聴になりたての方が
不安を抱えて
ここに来てくださったとしたら
参考にならないかもしれません。


一人で過ごすのには
耳鳴りはなんとかなってますが、
大勢の中で何かをするのは限界を感じています。

耳鳴りは我慢出来るようになったと思います。
時々ウンザリはしますが、
聞こえの部分で私だけが障害と感じているようです。
回りは分からない人とか無愛想な人とおもっているようです。

コミュニケーションがスムーズではないんです。
でも、他人はそうは取らないようです。
出来ない人、通じない人、空気を読めない人
そんな感じにとられているみたいです。

それでも耳がこうだからと分かってくれたなら良いのですが、
分からないみたいです。
耳鳴りや響きや聞こえの悪さでイライラ集中出来ないことが理解されない。

努力をしていますが、最近はもうそういうことに怯えている自分に疲れてしまって…


三年目にしてクリアしなければならない難題に差し掛かっているのでしょうか?


出来ることをする、
これしかないのだと思って
身の程、身の丈なことしか出来ないのだから。

こう思って行きたいのですが、回りから
只今ワガママのレッテルを貼られている次第です。

寿司しか出来ないと。

はい、もうそれで良いです。


そっとしておいてください。

ワガママのレッテルはしっかり貼り付けて行きます。

それしかないもの。



突発性難聴になって
人間関係にこんなに悩まされるとは思ってもいませんでした。


これからの一年は
このことから逃れられないにしても
回りが諦めて「しようがない人ね」と思ってくれることを願いたい
と言うか
もう他人は他人、私は私
我が道を行かせていただきます!


それしかないもの!


理解者は居なくても
ちゃんとお金を稼いで暮らしていきます!


と書いているうちに気持ちが落ち着いてきまして
結局
自己満ブログ(笑)


もし、突発性難聴になり、迷い混んだ方が居たとしたら、
今不安で仕方がないと思いますが、
頑張らずほどほど自分のペースで
穏やかに暮らせるのが
この病気の一番大切なことのようにおもいます。

世の中捨てたもんではありません?
いや、
捨てたくなるときもあります、
でも、生きていきましょう!

↑自分に言い聞かせてます!(笑)












10月17日(火)のつぶやき

2017年10月18日 | Twitter

10月16日(月)のつぶやき

2017年10月17日 | Twitter

母との5日間は

2017年10月16日 | 2016年2月18日~の日記

仙台から80歳の母が来てくれた。
7年前くらいに
ガラケイを贈ったが使いこなせずにいて、そのガラケイは東日本大震災の時に食器棚の下敷きになり壊れてしまった。
その時に使わないから要らないと言うので携帯電話契約を無しにした。
なので、携帯電話をもっていない=わたしが不安。
母は東北新幹線で来たのだが、携帯が使えないので東京駅ではなく、大宮駅で下車してもらい出迎えた。

わたしたちが関東に引っ越して
7年目にしてやっと我が家に来てもらったのだ。
もっと早く来てもらえばよかったが、なんなんだろうね…
それくらい掛かった、

わたしの心の鬱が晴れるのが。

特に母とは。






孫の次女の結婚が決まって結婚相手のご両親との会食にも参加し、
ナナカゴ家の皆と会い、
長女の結婚も間近で三女もおそらくもうすぐで、
三人の孫達がそれぞれに成長して幸せな未来を築こうとしていることが嬉しかったらしい。

孫達の幼い頃の
写真を見て感激で涙したりもした。


そして
1泊だけの短い旅行だったけれど、
亡くなった父と一緒に行きたかったという白川郷へ、わたしと二人だけで。

この旅行は、娘達がわたしと母とゆっくり行っておいでと
わたしの誕生日に
1泊2名の宿を選べるというカタログをプレゼントしてくれて叶った旅行だ。
だから余計に孫達のそういう気持ちにも感激したのだろう。


北陸新幹線で富山まで行き
富山駅の近くの真新しいホテルを選んでの宿泊。
13階の広い角部屋からは富山市内の夜景がとてもキレイに見られた。
もっと時間があったら、富山市内もブラブラしたかったな。
お食事も朝夕どちらも美味しかったし。
言うこと無し!


白川郷へは高速バスで向かった。
合掌造りの家々が古の佇まいのまま見事に残されていて、
わたしが小さい頃だから50年以上も前の田舎の風景にタイムスリップしたような気持ちにさせられた。
母もそうだったのであろう。
父の写真を忍ばせてきていて、父に語りかけていた。

小さな家の前の白い笠の電球があーこんなの有ったぁ…と
畦道は母の実家の裏の道のようで、小さい頃その畦道を歩いて祖母の和裁の手習い所まで迎えに行った記憶が甦った。
白川郷を囲む高くそびえる山木がまっすぐ空に向かっている、
ああ日本の原風景なんだろうなぁこれが…
保存するのは並大抵では無いだろうなと思った。



母は今回のことを「この5日間は本当に幸福だった」

と言っていた。


わたしも幸せだったよ、お母さん。



そして
来てくれてありがとう。

そして娘達よ、ありがとう。




富山では16℃くらいたったのに、
母を見送って家に戻ったら、
家の中が30℃!

そして旅行に行く前から喉が変だったのだが、もろに熱が上がりだし、
休みの最終6日目は寝込んだ。

なんて柔な体になってしまったのか!



気持ちは幸せなのに
体はギシギシ痛んでた(笑)


そうそう

わたしの最寄り駅に着く前に
母は大宮から仙台にノンストップで先に仙台に着いてしまうという!
一時間ちょっとで
東北新幹線「はやぶさ」は速っ!

こんなに時間が掛からないなら
もっとおいで~(笑)

そうそう!
今回母は
わたしより健脚で元気なことがよ~く分かった!

80歳に50代のわたしは完敗!(笑)