思えば、少年団活動の指導者を平成9年6月に始めてから13年半が経過したわけだ。
その間もいろいろあったんだけど、今年は個人的感情で突っ走った1年間だったと本当に思うなあ。
きっかけは2月。
中学生の選抜団体戦。当時、地元では女子ナンバー1の実力を保有していた教え子の女子ペアが一度も試合に使われることなく大会を終えた。2番手、3番手の女子ペアは大会に起用されていた。
このことに対する抗議活動が私の少年団活動を少し変えていくことになった。
教え子は3月末まで、事実上の「少年団在籍」だったのだが、4月から正式な中学校の「部活動所属」となったのだ。
4月以降は顧問の先生が就き、学校で練習を行うため、中学生の指導からは私は一歩引いたところで、“関わることもある”という関係になるはずだった。
しかし、2月のそれが起きてから絶対に負けるわけにはいかない、という気持ちが芽生え、4月以降の休日の練習にほぼすべて、顔を出した。
テスト期間中にぶつからない限り、事実上、祝祭日含む休日の練習に、スケジュールさえ合えばすべて行った。
予想外につらかった。
仕事だって楽ではないため、練習後に仕事をするなんてことも何度もあった。
小学生の休日練習が全くできなかった。
中学校での練習は、教え子以外はド素人の集団のため、基礎練習をメインにせざるを得なくて、せっかく実力を持った教え子に満足な指導はできなかった。まして、相手になる練習相手がいなかった。
それでも一生懸命練習に取り組み、練習試合も催し、夜練習で大人相手に試合を行い、わずかでも技術を上げてきた教え子。
現実は無情で、めぐってきたチャンスは少なく、春の中体連でも準優勝どまり。秋の新人戦はなんと3位という結果になってしまった。
不憫でならない。そして充分な指導ができなくて申し訳ない気持ちになってしまう。
教え子二人のペアは、年明け2月の、例の団体戦に参加する資格を得たが、本人たちは固辞をした。
これがかわいそうでならない。
親はどういう気持ちだったろう。本人たちはどういう気持ちだったろう。
高校へ行ったら、バドミントンから離れるのではないか、と思っている。
こんな子たちのような思いを二度とさせてはならない、と考え、中体連の役員の内部に食い込もうと現在動いている。
学校の先生方で固められた役員体制はそうそう揺るがないが、黙って見ていたらまた同じように、「自分の教え子ではない子どもたち」を犠牲にして、「自分の教え子」にチャンスを与えようとするのだ。
口うるさく、疎まれる存在でいい。監視役が必要なのだ。
子どもに対し平等ではない教員が、地域に存在する教員であるという現実を目の当たりにした以上、何とかしなければいけないと思っている。
教員にも言い分はあるが、その言い分は言い訳であり、謝罪ではない。というか、子どもたちは「すまなかった」と詫びてくれれば気持は済んだかもしれないのに、「出場したかったのか?」と声をかけられたことに憤りを感じたのだから。
私の教え子は地区の役員の間で「お姫様」と揶揄されているようだ。
私の絶対的な保護の中で育っているという意味と同時に、子どもに甘いという私に対する批判の意味合いが込められているのだろう。
だが、私は子どもに甘いのではない。
この地区内で私の教え子を守ってくれる存在が誰もいないのだ。だから「守る」のだ。
全員を平等に扱ってくれるならば「守る」必要はないのだ。
勘違いしている役員も多いんだと思う。事実を知らない人も多いと思う。その大会に参加していない指導者に対しては私もあえて説明などしていないし。
しかし、私は絶対に忘れない。
教員は異動などで、転勤もするが私はそういうことはない。
この少年団活動に関わっている限り、絶対に忘れてはならない出来事があった年、それが平成22年2月なのだ。
教員がすべて入れ替わっても、同じようなことがまた起きると思っている。
自らの評価を上げたいと考えることは自然なことだが、他校や他チームの子どもを犠牲にしてでも実行しようとする人間はきっとほかにも存在する、と考える。
あとは、私自身がそうならないように気をつけなければね。
実績や評価を上げる必要なんかないから大丈夫なんだけど。もし実績や評価が上がることがあったら、背伸びした内容で子どもたちに指導をしなけりゃいけないだろう。より苦しい日々になってしまう…。
その間もいろいろあったんだけど、今年は個人的感情で突っ走った1年間だったと本当に思うなあ。
きっかけは2月。
中学生の選抜団体戦。当時、地元では女子ナンバー1の実力を保有していた教え子の女子ペアが一度も試合に使われることなく大会を終えた。2番手、3番手の女子ペアは大会に起用されていた。
このことに対する抗議活動が私の少年団活動を少し変えていくことになった。
教え子は3月末まで、事実上の「少年団在籍」だったのだが、4月から正式な中学校の「部活動所属」となったのだ。
4月以降は顧問の先生が就き、学校で練習を行うため、中学生の指導からは私は一歩引いたところで、“関わることもある”という関係になるはずだった。
しかし、2月のそれが起きてから絶対に負けるわけにはいかない、という気持ちが芽生え、4月以降の休日の練習にほぼすべて、顔を出した。
テスト期間中にぶつからない限り、事実上、祝祭日含む休日の練習に、スケジュールさえ合えばすべて行った。
予想外につらかった。
仕事だって楽ではないため、練習後に仕事をするなんてことも何度もあった。
小学生の休日練習が全くできなかった。
中学校での練習は、教え子以外はド素人の集団のため、基礎練習をメインにせざるを得なくて、せっかく実力を持った教え子に満足な指導はできなかった。まして、相手になる練習相手がいなかった。
それでも一生懸命練習に取り組み、練習試合も催し、夜練習で大人相手に試合を行い、わずかでも技術を上げてきた教え子。
現実は無情で、めぐってきたチャンスは少なく、春の中体連でも準優勝どまり。秋の新人戦はなんと3位という結果になってしまった。
不憫でならない。そして充分な指導ができなくて申し訳ない気持ちになってしまう。
教え子二人のペアは、年明け2月の、例の団体戦に参加する資格を得たが、本人たちは固辞をした。
これがかわいそうでならない。
親はどういう気持ちだったろう。本人たちはどういう気持ちだったろう。
高校へ行ったら、バドミントンから離れるのではないか、と思っている。
こんな子たちのような思いを二度とさせてはならない、と考え、中体連の役員の内部に食い込もうと現在動いている。
学校の先生方で固められた役員体制はそうそう揺るがないが、黙って見ていたらまた同じように、「自分の教え子ではない子どもたち」を犠牲にして、「自分の教え子」にチャンスを与えようとするのだ。
口うるさく、疎まれる存在でいい。監視役が必要なのだ。
子どもに対し平等ではない教員が、地域に存在する教員であるという現実を目の当たりにした以上、何とかしなければいけないと思っている。
教員にも言い分はあるが、その言い分は言い訳であり、謝罪ではない。というか、子どもたちは「すまなかった」と詫びてくれれば気持は済んだかもしれないのに、「出場したかったのか?」と声をかけられたことに憤りを感じたのだから。
私の教え子は地区の役員の間で「お姫様」と揶揄されているようだ。
私の絶対的な保護の中で育っているという意味と同時に、子どもに甘いという私に対する批判の意味合いが込められているのだろう。
だが、私は子どもに甘いのではない。
この地区内で私の教え子を守ってくれる存在が誰もいないのだ。だから「守る」のだ。
全員を平等に扱ってくれるならば「守る」必要はないのだ。
勘違いしている役員も多いんだと思う。事実を知らない人も多いと思う。その大会に参加していない指導者に対しては私もあえて説明などしていないし。
しかし、私は絶対に忘れない。
教員は異動などで、転勤もするが私はそういうことはない。
この少年団活動に関わっている限り、絶対に忘れてはならない出来事があった年、それが平成22年2月なのだ。
教員がすべて入れ替わっても、同じようなことがまた起きると思っている。
自らの評価を上げたいと考えることは自然なことだが、他校や他チームの子どもを犠牲にしてでも実行しようとする人間はきっとほかにも存在する、と考える。
あとは、私自身がそうならないように気をつけなければね。
実績や評価を上げる必要なんかないから大丈夫なんだけど。もし実績や評価が上がることがあったら、背伸びした内容で子どもたちに指導をしなけりゃいけないだろう。より苦しい日々になってしまう…。
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