今週土曜日は小学生の全道大会。
引率だー、となるはずが私はたった一人で単独で試合会場まで向かいます。
子どもたちは前泊
13年少年団やってきて、子どもと別行動で行くというのは初めてと思う。
※ただし全道大会に限る。
大会当日は仕事と考えていたので、「行かない、行けない」と元々言っていたせい。結果的に土曜日の仕事はなくなったので行くことができるわけだ。
まあ、一緒に向かうことができないだけで、試合会場では一緒だからいいや。
全道大会は、一人でも多く出場させたいと思っている。
とりわけ、距離の遠い試合会場であればなおさらそう思う。
あまり親に金銭的な負担をかけていない少年団(だと思う)だが、全道大会だけは宿泊を経験させたいのだ。
特に親が行かない形の宿泊が望ましい。
いわゆるホテルへの泊まり。
子どもたちは選手だから当然宿泊する。なのに親はいない、学校の先生もいない。親戚の家に泊まるわけでもない、というのが理想。
こういう経験をさせたいのだ。
シングルには泊まらせないのでツインなりそれ以上なり少年団の友達と一緒の部屋に、子どもだけでホテルの部屋で過ごす。
小学生にとってこんなにわくわくし、ちょっと怖い経験、そうそうできないと思う。
一緒の部屋に泊まった友達は誰よりも友達の中の友達になると思うし、ホテルという独自の、身近ではない社会を経験することが一生物の記憶として残るはず。
かつて全道大会に遠征したとき、親が一人も宿泊しなかったことがあって、そのとき、女の子がパジャマで私の部屋に入ってきた。
そして言った言葉が
「せんせー、お湯の出し方わかんない」
この時から私は全道大会は宿泊させた方がいい、と思うようになった。
この女の子はお湯の出し方も勉強したけど、それ以外に学んだことは星の数ほどあると思う。親が居ないことの不安も感じただろうが、それすらも経験になったと思う。
この女の子は今や中学2年生。もうバドミントンをやっていないが、思い出深い子だ。
そういえば、ちょっと前に、高校生3年生になった男子と偶然会った。
かつてのうちの少年団のエースだった子だ。
卒業したらどうするの?と聞いたら、大学へ行く、という。
そうかー、がんばれよ、と言った。
「大学行ったらバドミントンやろうと思ってます」
この男の子、中学・高校とバドミントンをやらなかった子。
2005年に姉を亡くした男の子。
姉は2004年に脳腫瘍が発覚した。
時間の流れを感じた。
弟はバドミントンに戻ってこれるんだー
当時、バドミントンで姉を思い出すようだ、と親に聞いた。
乗り越えたんだな、と率直に思い、そうすると当時の喩えようのない悲しさをちょっと思い出して、
この男の子の家族の存在が私を少年団に一生懸命にさせた。
この時が2004年。
短いようで長いようで。
ついでに彼女が透析になったのが2005年。
短いようで長いようで。
この2004年から2005年にかけては私にとって人生の節目だったなあ、としみじみと思う。
今や少年団の団員数は当時の倍となり、私が少年団に費やす時間も2003年以前から見ると3倍以上だろうな。
彼女と過ごす時間はその分無くなったが。
付き合い始めたばかりだったら、病気とか関係なく、別れてただろうねー。
本日は少年団の練習日だったが、出張だったので練習の終わりぎりぎりに顔を出すことができた。
子どもたちを激励して、練習終了。
後は無事に大会を終えて帰ってきてもらいたい。初戦敗退でもいいや。
男の子を思い出すと、時間の流れとその流れに見合った子どもたちの成長を感じる。
今教えている子どもたちの健やかな成長を信じる。生活をしていればバドミントンに限らず多少はトラブルもあるだろうが、乗り越えながら、後から振り返って「楽しかった」と言える時間を過ごしてほしい。過ごしたくても過ごせなかった子がいたことを、私も忘れずにいたい、と思う。
引率だー、となるはずが私はたった一人で単独で試合会場まで向かいます。
子どもたちは前泊
13年少年団やってきて、子どもと別行動で行くというのは初めてと思う。
※ただし全道大会に限る。
大会当日は仕事と考えていたので、「行かない、行けない」と元々言っていたせい。結果的に土曜日の仕事はなくなったので行くことができるわけだ。
まあ、一緒に向かうことができないだけで、試合会場では一緒だからいいや。
全道大会は、一人でも多く出場させたいと思っている。
とりわけ、距離の遠い試合会場であればなおさらそう思う。
あまり親に金銭的な負担をかけていない少年団(だと思う)だが、全道大会だけは宿泊を経験させたいのだ。
特に親が行かない形の宿泊が望ましい。
いわゆるホテルへの泊まり。
子どもたちは選手だから当然宿泊する。なのに親はいない、学校の先生もいない。親戚の家に泊まるわけでもない、というのが理想。
こういう経験をさせたいのだ。
シングルには泊まらせないのでツインなりそれ以上なり少年団の友達と一緒の部屋に、子どもだけでホテルの部屋で過ごす。
小学生にとってこんなにわくわくし、ちょっと怖い経験、そうそうできないと思う。
一緒の部屋に泊まった友達は誰よりも友達の中の友達になると思うし、ホテルという独自の、身近ではない社会を経験することが一生物の記憶として残るはず。
かつて全道大会に遠征したとき、親が一人も宿泊しなかったことがあって、そのとき、女の子がパジャマで私の部屋に入ってきた。
そして言った言葉が
「せんせー、お湯の出し方わかんない」
この時から私は全道大会は宿泊させた方がいい、と思うようになった。
この女の子はお湯の出し方も勉強したけど、それ以外に学んだことは星の数ほどあると思う。親が居ないことの不安も感じただろうが、それすらも経験になったと思う。
この女の子は今や中学2年生。もうバドミントンをやっていないが、思い出深い子だ。
そういえば、ちょっと前に、高校生3年生になった男子と偶然会った。
かつてのうちの少年団のエースだった子だ。
卒業したらどうするの?と聞いたら、大学へ行く、という。
そうかー、がんばれよ、と言った。
「大学行ったらバドミントンやろうと思ってます」
この男の子、中学・高校とバドミントンをやらなかった子。
2005年に姉を亡くした男の子。
姉は2004年に脳腫瘍が発覚した。
時間の流れを感じた。
弟はバドミントンに戻ってこれるんだー
当時、バドミントンで姉を思い出すようだ、と親に聞いた。
乗り越えたんだな、と率直に思い、そうすると当時の喩えようのない悲しさをちょっと思い出して、
この男の子の家族の存在が私を少年団に一生懸命にさせた。
この時が2004年。
短いようで長いようで。
ついでに彼女が透析になったのが2005年。
短いようで長いようで。
この2004年から2005年にかけては私にとって人生の節目だったなあ、としみじみと思う。
今や少年団の団員数は当時の倍となり、私が少年団に費やす時間も2003年以前から見ると3倍以上だろうな。
彼女と過ごす時間はその分無くなったが。
付き合い始めたばかりだったら、病気とか関係なく、別れてただろうねー。
本日は少年団の練習日だったが、出張だったので練習の終わりぎりぎりに顔を出すことができた。
子どもたちを激励して、練習終了。
後は無事に大会を終えて帰ってきてもらいたい。初戦敗退でもいいや。
男の子を思い出すと、時間の流れとその流れに見合った子どもたちの成長を感じる。
今教えている子どもたちの健やかな成長を信じる。生活をしていればバドミントンに限らず多少はトラブルもあるだろうが、乗り越えながら、後から振り返って「楽しかった」と言える時間を過ごしてほしい。過ごしたくても過ごせなかった子がいたことを、私も忘れずにいたい、と思う。
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