今年の4月26日、チェルノブイリ原発事故が発生してからちょうど25年になります。
そのため先週からベラルーシ各地でシンポジウムが連日開かれています。
テーマはもちろんチェルノブイリ原発事故なのですが、それぞれの分野によって、さまざまなシンポジウムが開催されました。科学者向けのもの、医療関係者向けのもの、いろいろあったのですが、その中で
「チェルノブイリ原発事故25年 図書館が社会の中で受け持つ役割」
というシンポが、ベラルーシ国立科学技術図書館の主宰により開催されました。
参加者のほとんどは図書館関係者。壇上で発表するのもほとんど図書館員。
・・・というシンポジウムでした。
私はミンスク市立児童図書館の中での代表、ということで発表することになり、その準備をしてきた、というわけです。
国際シンポジウム、と銘打たれていましたが、外国人はロシア人と私の2人だけ。
ウクライナからも参加者がいたのですが、欠席してしまいました。ロシア人はブリャンスクというロシア国内の放射能汚染地域にある図書館の司書さんでした。
私は外国人と言ってもミンスク在住なので、あまり国際シンポ、という雰囲気ではありませんでした。
それからグロドノなどミンスク以外の地域からも参加者がいましたが、ゴメリ州のような汚染地域とされているところからの参加者がいなくて、少々残念でした。
ともかく、このような機会が福島原発事故が現在進行中の今、日本人の私に与えられたわけで、これはがんばらねば、と準備をしていました。
しかし母国語で発表するのではないので、早口言葉みたいなスペルの言葉は舌噛みそう(^^;)で、心配していました。
そして当日4月21日。300人ぐらいの出席者を前にして、スライド投影した画像を織り交ぜながら発表しました。
私の前に壇上に上る予定だった2人(ウクライナ人とノボポーロツクの人)がいきなり欠席したので、
「あと30分ばかりあるわー。早口言葉の練習しておこう。」
などとのんきに考えていた私は、いきなり出番が回ってきて、びっくりしてしまいました。(そして案の定3回ぐらい噛んでしまった。(汗)
しかし、チェルノブイリの子どもたちに対するチロ基金のこれまでの活動について、1人15分が割り当てられていたのですが、けっこう詳しく発表することができてよかったです。
チロ基金の活動の歴史をダイジェストで! という感じでもありましたが、初めてチロ基金のことを知ったベラルーシ人は、面白い内容だったのではないでしょうか。
発表内容については、ベラルーシ国立科学技術図書館のサイト上で閲覧できるようになりました。
こちらは画像。
http://www.rlst.org.by/event/940.html
こちらで、参加者の発表論文内容を読むことができますが、全てロシア語です。(私は11番目。)
http://www.rlst.org.by/event/941.html
他の参加者についてですが、各図書館がいろいろと努力をされていることがよく分かりました。
「チェルノブイリコーナー」のように資料を一括してまとめたり、さらにそれをデータベース化して検索できるようにしたりしている国立系の図書館もあります。
一方で25年経過し、チェルノブイリ後世代が増えつつある現状。青少年向けにチェルノブイリのことを図書館で調べたりすることができるようにしているところもありました。
またチェルノブイリを環境問題の一つとして組み込んでしまっているケースがとても多く、事故のことを学んだ後は、環境問題全体に視野を広げてみましょう、といった教育的な取り組みが図書館や学校内の図書室で行われており、ベラルーシ人の姿勢が見えたような気がしました。
原発事故、というと「怖い」「危険」というイメージですが、そればかりをチェルノブイリの後の世代の子どもに語るのではなく、環境問題の一つとしてとらえましょう、という姿勢です。
ちなみにベラルーシでは中学生の物理の時間で、放射能について(アルファとかベータとか)みっちり勉強し、被爆しないための知識やノウハウも期末試験に出ます。
大学生になっても学部や理系・文系全く関係なく、必修科目で1年生のときに、さらに詳しく放射能、原発について勉強します。そこでも「被爆しないようにどうしたらいいのか」「原発事故が起きたらどう行動するのか」のノウハウを授業で取り上げています。
大学生の多くは「中学や高校でこれ、やったのに。またか。」と思いつつも、必修科目なので単位をもらうために授業に出ているそうです。
日本のニュースで「放射能について」の講演会をすごく広い会場で、専門家を招いて行いました、というのがありました。
メモをとりながら熱心に聞いているのは、福島県の教職員の方々。校長先生や学校の先生たちです。
ベラルーシ人がもしこれを聞いたら
「えー、こんなの中学生の授業ですよ。日本人の先生はこんなことも知らないの?」
とびっくりするでしょう。
25年後、日本の教育現場はどうなっているのでしょうか? 今のベラルーシのようになっているのでしょうか?
(逆にベラルーシ人は地震や津波のことはよく分かっていません。)
そのため先週からベラルーシ各地でシンポジウムが連日開かれています。
テーマはもちろんチェルノブイリ原発事故なのですが、それぞれの分野によって、さまざまなシンポジウムが開催されました。科学者向けのもの、医療関係者向けのもの、いろいろあったのですが、その中で
「チェルノブイリ原発事故25年 図書館が社会の中で受け持つ役割」
というシンポが、ベラルーシ国立科学技術図書館の主宰により開催されました。
参加者のほとんどは図書館関係者。壇上で発表するのもほとんど図書館員。
・・・というシンポジウムでした。
私はミンスク市立児童図書館の中での代表、ということで発表することになり、その準備をしてきた、というわけです。
国際シンポジウム、と銘打たれていましたが、外国人はロシア人と私の2人だけ。
ウクライナからも参加者がいたのですが、欠席してしまいました。ロシア人はブリャンスクというロシア国内の放射能汚染地域にある図書館の司書さんでした。
私は外国人と言ってもミンスク在住なので、あまり国際シンポ、という雰囲気ではありませんでした。
それからグロドノなどミンスク以外の地域からも参加者がいましたが、ゴメリ州のような汚染地域とされているところからの参加者がいなくて、少々残念でした。
ともかく、このような機会が福島原発事故が現在進行中の今、日本人の私に与えられたわけで、これはがんばらねば、と準備をしていました。
しかし母国語で発表するのではないので、早口言葉みたいなスペルの言葉は舌噛みそう(^^;)で、心配していました。
そして当日4月21日。300人ぐらいの出席者を前にして、スライド投影した画像を織り交ぜながら発表しました。
私の前に壇上に上る予定だった2人(ウクライナ人とノボポーロツクの人)がいきなり欠席したので、
「あと30分ばかりあるわー。早口言葉の練習しておこう。」
などとのんきに考えていた私は、いきなり出番が回ってきて、びっくりしてしまいました。(そして案の定3回ぐらい噛んでしまった。(汗)
しかし、チェルノブイリの子どもたちに対するチロ基金のこれまでの活動について、1人15分が割り当てられていたのですが、けっこう詳しく発表することができてよかったです。
チロ基金の活動の歴史をダイジェストで! という感じでもありましたが、初めてチロ基金のことを知ったベラルーシ人は、面白い内容だったのではないでしょうか。
発表内容については、ベラルーシ国立科学技術図書館のサイト上で閲覧できるようになりました。
こちらは画像。
http://www.rlst.org.by/event/940.html
こちらで、参加者の発表論文内容を読むことができますが、全てロシア語です。(私は11番目。)
http://www.rlst.org.by/event/941.html
他の参加者についてですが、各図書館がいろいろと努力をされていることがよく分かりました。
「チェルノブイリコーナー」のように資料を一括してまとめたり、さらにそれをデータベース化して検索できるようにしたりしている国立系の図書館もあります。
一方で25年経過し、チェルノブイリ後世代が増えつつある現状。青少年向けにチェルノブイリのことを図書館で調べたりすることができるようにしているところもありました。
またチェルノブイリを環境問題の一つとして組み込んでしまっているケースがとても多く、事故のことを学んだ後は、環境問題全体に視野を広げてみましょう、といった教育的な取り組みが図書館や学校内の図書室で行われており、ベラルーシ人の姿勢が見えたような気がしました。
原発事故、というと「怖い」「危険」というイメージですが、そればかりをチェルノブイリの後の世代の子どもに語るのではなく、環境問題の一つとしてとらえましょう、という姿勢です。
ちなみにベラルーシでは中学生の物理の時間で、放射能について(アルファとかベータとか)みっちり勉強し、被爆しないための知識やノウハウも期末試験に出ます。
大学生になっても学部や理系・文系全く関係なく、必修科目で1年生のときに、さらに詳しく放射能、原発について勉強します。そこでも「被爆しないようにどうしたらいいのか」「原発事故が起きたらどう行動するのか」のノウハウを授業で取り上げています。
大学生の多くは「中学や高校でこれ、やったのに。またか。」と思いつつも、必修科目なので単位をもらうために授業に出ているそうです。
日本のニュースで「放射能について」の講演会をすごく広い会場で、専門家を招いて行いました、というのがありました。
メモをとりながら熱心に聞いているのは、福島県の教職員の方々。校長先生や学校の先生たちです。
ベラルーシ人がもしこれを聞いたら
「えー、こんなの中学生の授業ですよ。日本人の先生はこんなことも知らないの?」
とびっくりするでしょう。
25年後、日本の教育現場はどうなっているのでしょうか? 今のベラルーシのようになっているのでしょうか?
(逆にベラルーシ人は地震や津波のことはよく分かっていません。)