TVで林修先生が「座標軸」を用いた面白い話をしていた。
久しぶりに引き込まれるようにその話を聴いていた。
テーマになっていたのは、やりたいことをやって幸せになる...みたいな話し。情報処理能力やマズローの5段階欲求をベースにわかりやすく面白く、テンポよく話していた。
自分がやりたくないけど、出来ることをやれば、楽に幸せになれる..なんて話し。
しかも、やりたくない仕事であっても、その仕事によって、承認欲求が満たされればやりたい仕事に変わる事もある^_^
わかりやすくて、シンプルで納得の内容だった。
何故なら、自分もそういった経緯があってやりたいことを仕事にできる「天職」みたいなものを見つけたからだ。
若いときは、自分のやりたい事も特に見つけられず、手当たり次第に転職をくり返していた。
当時、周りから「向いているね」と言われていた仕事は、お酒は全く飲めないのに、水商売や営業職だった。
所謂、対人スキルとか、コミュニケーションスキル、自己管理能力を問われる仕事。
だがそれらの仕事は、ほどほどにできてはいたけど、自分がやりたいことではなかったし、向いているとも思わなかった。
努力しなくても感覚や要領でやっていたし、中卒という学歴のない私は、その2つの仕事だけは、何故か即決で採用になっていたという理由で、仕方なくやっていたからだ。
当時は、根拠のない自信とやる気と行動力だけは自信があったので、何故か面接受けだけは良かったようだ(笑)
そんな私が初めて、デスクワークの仕事に就いたのは、30代前半のこと。
当時、パートとはいえ、1日の経つのが遅いこと...なぜなら机にずっと座ってする仕事だし、パソコンすら触ったこともない。しかし、当時の社長は「やりたいことやっていいよ!」の一言だった。
え...,,。余計悩んだ....
果てに言われたのは、「とりあえず一通りやってみて」だった。
そして、電話番や事務的なことをやっていたある日のこと「何かしら商品作ってみない?」女性の悩みを解決できるような商品を...と、社長。
は?.....。更に混乱した...
私の職歴はといえば、美容師に始まり、アパレルの店員、水商売、様々な営業の仕事。
商品作る???まさに未知の世界だった。
一体どうやって商品作るの??何からやればいいの?結局、「シミシワ対策の美容液」と「ダイエット効果のあるお茶」を企画し製品化、販売までのプロセスを同時にやることになった。
で?何からするの?となった時、私に1人の上司というか、仕事のやり方そのものを教えてくれるコーチみたいな人が付いてくれた。
その人は、とても頭が良くて弁も立ち、対業者間のやり取りもスマートでサラリとやってのける...
私からすると、全く別世界のデキる男性だった。
その人から商品開発のノウハウを学びながら、2つの商材を作ることになった。
限られた時間の中で、専門用語は飛び交い難しそうな交渉が次々に出てくる。さっぱり訳がわからない...。
「この人みたいに仕事できたらカッコいいだろなぁ~」って思いながらいつも見ていた。しかし、その人は、ある日私にこう言った。
「僕は、誰にも負けない頭脳や知識はあるが、残念ながらカリスマ性も人望もない...」と。
そして、「だか、ここの社長はカリスマ性がある。君には人を惹きつける人柄と人望がある。経営者はこの3パターンしかいないんだよ。だから、同じ釜の飯を早く一緒に食べような...。」
と言われた事は、その後の私の職業人生の糧になり、忘れた事はない。
それより、不思議だったのは、この人と仕事したこともないのに何故「君には人を惹きつける人柄と人望がある」と言ったのか?ずっと謎だったが、とりあえず嬉しかったので調子に乗った^_^
その人のマネジメントスタイルは、冷静且つ客観的で論理立てて話をしてくださり、何よりこんなに頭の悪い私の目線に下がって、わかりやすく教えてくださったが、「自分で考えて行動する」ということを求められたので、ある意味では厳しかった。
それはそれは気が遠くなるプロセスに何度も心折れそうになったが、
その後、3ヶ月間で無事に美容液とダイエット茶の2つを製品化し販売までこぎ着けた。
それが私の商品開発デビューとなり、その後は、商品開発部門を立ち上げ、部門の責任者になった。
時を同じくして、会社はどんどん売り上げを伸ばしていったが、社員が足りない...そこで、社員の採用や育成を必然的に私がやることになった。
ということで、人事部門と商品開発部門の全く異なる部門の責任者として動くことになる。
毎日が戦争のような日々...だけどやりがいを感じていた。何故なら、ある意味私のやりたいように社長がやらせて下さったからだ。
そして、一方でたくさんの学ぶ機会も与えてくださったし、自分の知らない世界を沢山見せてくださった。
その時から「自ら考え自ら動く」という習慣が付いた。失敗も多かったが、成功体験も重ね達成感を味わいながら、成長する自分を感じることができていた。
そんな毎日....当時のスケジュール帳は、真っ黒だった。
私は、初めて仕事にやりがいを感じていた。明けても暮れても仕事のことばかり考えていたし、どうしたら会社が良くなるか?
そればかり考えていた。家庭との両立も苦にならなかったし、むしろ毎日がイキイキとしていた。
そんな日々を送っていたある日、前回のblogの状況に徐々に陥っていった。
自分に限界はないと思っていたが、明らかにキャパオーバーだったのだろう。
そうして、前回のblogの通り、私は「生まれ変わる転機」を得た。
復職してからは、私にできること何?私が得意なことは何?社長が私に期待しているのはどんなこと?と考えるようなった。
気がつくと私は、社長の秘書業務をやりながら、社内の対人関係のトラブルの対処や、会社の沿革を自分の言葉で語る、理念経営を定着させる。という役割をやることになっていた。
何がしかの社内外の対人トラブルがあると、私に対処するようにと指示があった。
ある日、社長に聞いた「社長が私に期待されてることは何ですか?」と。
社長は「社員のロイヤリティを高め、人としての正しさや、礼儀礼節をしっかり社員に定着させて欲しい。そしてマインドの高い社員を育成してほしい」とおっしゃった。
それが、会社に復職して明確に与えられた当時の私のミッションだったと記憶している。
それからは、試行錯誤しながら何とか社員育成に取り組んできた。育成に関わる中で、共に泣いたり笑ったり、喜んだり...。そして何よりも悩んでいた。
ある日、ふと思った。
私は、人の成長に関わる事が、もしかすると天職かもしれないと...。
社長は、私にできること、得意なことを役割として与えてくださったのかもしれないと。
その役割を果たす中で、自分自身が仕事を通じて自己実現できていること、同時に、もっと自分にやれることがあるかもしれないと考えるようになっていった。
若い頃は、そんなことが天職になるなんて思いもしなかったが、結局、51歳で独立し、やりたい仕事をやれる自分になっていた。
組織の中では、限界があり果たせなかった事を、今やろうとしている自分がいる。
しかし、これまでの経験がなかったら、自分の天職もわからないまま迷走した人生だっただろう。そして、独立なんて夢のまた夢に終わっていただろう。
今の私があるのは、社長という師に出逢い、人との縁に支えられ、そして、そのご縁の中で周りに育てていただいたと思っている。
そして、今も仕事を通じて繋がった縁は、何らかの形で繋がり独立しても尚、続き支えてもらっている。
とはいえ、この仕事は、ここまでやったら大丈夫というゴールがない。感謝、素直さ、謙虚さ、熱意、真摯さを念頭に日々精進するのみです。