トトが逝ってから、昨日でちょうど六か月が経ちました。
今でもトトをおくるタイミングがあれでよかったのか、自問自答することがあります。
ただ、家猫であるトトの「Quality of Life」を考えた時、あれがあの時の私の状況で下せる最善の判断だったと、友人のRさんとの対話で励まされ、それを胸に刻んで生活しています。
そして、トトの写真を見ながら、なぜかトトが「今度は自分のため、かあちゃん自身のために生きな」っと言ってくれているような気がすることがあります。
そんなトトへの気持ちを、ちょっとづつ書き溜めていて、それでもブログにアップするタイミングを失っていました。
が、言葉にすればトトに届くような気がするので、少しずつアップしようかと思っています。
トトに寄せて...
姿は見えなくても、いつも傍にいてくれる君へ...
今でもトトをおくるタイミングがあれでよかったのか、自問自答することがあります。
ただ、家猫であるトトの「Quality of Life」を考えた時、あれがあの時の私の状況で下せる最善の判断だったと、友人のRさんとの対話で励まされ、それを胸に刻んで生活しています。
そして、トトの写真を見ながら、なぜかトトが「今度は自分のため、かあちゃん自身のために生きな」っと言ってくれているような気がすることがあります。
そんなトトへの気持ちを、ちょっとづつ書き溜めていて、それでもブログにアップするタイミングを失っていました。
が、言葉にすればトトに届くような気がするので、少しずつアップしようかと思っています。
トトに寄せて...
姿は見えなくても、いつも傍にいてくれる君へ...