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奥村欣央ブログ

神無月リナと渡辺チロロと奥村ヨシオは画狂人集団AZITOとして創作活動を続ける。

ネコと写真と絵画

2021-08-30 23:10:23 | Weblog
























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8 コメント

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Unknown (藤本大輝)
2021-08-31 20:23:45
普通に生きていて、傑作を生み出す人が天才。普通に生きているだけでも、作品は生まれてくる。そういう人は結構いる。才能に優劣はない。商業的成功や人気があるというのは、ただ選ばれるか、選ばれなかったかだけの話しで、自分を蔑むものでもない。ただ選ばれなかったという事実を淡々と受け止め、次の創作を続けていく人は幸せだと思う。自分も人気二なるより、ともかくそうなりたい。
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Unknown (nekoosorubesi)
2021-08-31 23:52:35
 世俗的な成功は、傑作から遠ざかることは、はっきりしている。しかし50代になっても、二十歳のように悩みはたくさんある。出世欲を満たしたら、しぼむから、成功してないというのは、創作の環境として整っている。だがまだ成功は諦めていない。納得できる仕事をひとつひとつ積み上げるだけ。
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Unknown (藤本大輝)
2021-09-02 22:54:07
親が番組を見ている。芸能人が話していることをじっくり聞いている。芸能人は現代に必要かと言えば、必要である。我々の生活と全く関係ないところで活動していることをテレビを通じて知るというのが重要だ。自分に需要はなくても、芸能人には需要があることを私は知っている。需要がなくなれば消える。自分の作品も需要がなくなれば消える。それくらい社会は冷たくて、自分には甘いのである。
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Unknown (nekoosorubesi)
2021-09-03 00:01:09
需要?僕が作っているのはそもそも商品ではない。したがって、需要なんて56年、考えたことは一度もない。死者から学んできた。そして、まだ生まれていない人のために仕事をしている。だから需要には無縁だ。
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Unknown (nekoosorubesi)
2021-09-03 00:26:31
 キミの言いたいことは解る気がする。僕だって二十歳の頃は、社会を呪っていたから。だけど、人には愚痴ってはいない。負のエネルギーは作品をたたき上げることに使うしかないよ。
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Unknown (藤本大輝)
2021-09-03 20:44:36
自分の作品の長所である点は、写真一枚一枚に写る被写体に見られている気がすること。人は写真を見るという行為は日常的に行なっているが、誰かに見られているのは嫌がる。気持ちがあふれている。それは気持ち悪いと感じる。じぶんは被写体を大事にする。被写体は全て等価であり、写真を見ている自分もこの地球に組み込まれた物体(オブジェ)に過ぎない。意味などどうでもいい。写真に置き換えることで、おそらく物体が意味を持つ可能性を完全に奪っているんだろう。自分の写真に温かみはない。すごい冷たい。自分が見える社会の目だと思う。だから、自分は自分の写真が嫌いなのだと思う。じぶんが一生わかり合えない相手(社会)と対峙できて、なおかつ交流できる方法が写真だと思う。だから、写真を撮らなくちゃ
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Unknown (藤本大輝)
2021-09-03 20:47:10
自分は社会も人も信じていない。裏切られ続けてきたから。だけど、写真に裏切られても、自分は立ち直れる。唯一、自分が心に何の葛藤もなく、裏切れる存在だからだ。誰にも、怒られない。自分はそういう意味では写真を信じている。それが表現の追求なのかもしれない。
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Unknown (nekoosorubesi)
2021-09-03 23:53:57
 僕も僕のまわりも嘘ばかりである。だから、せめて自分の写真には嘘を持ち込みたくない。50過ぎてから、写真とは真を写すことだと、信じるようになった。
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