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未来を拓く造形作家たち ダブル・スタンダードの芸術 |
矛盾があるからこそ、人生は面白いが、メンドくさくなり、苦悩の果てを求め彷徨う。 | |
淡交社 |
こんばんは。
例えば、わたしが良く「短命で良かった」と周囲にこぼす。しかし、そこへ、「長生きしてくださいよ。」とでも、言おうもんなら、
普通は、ダブルスタンダードで、そう言われた事を嬉しいと思って、益々言われたくって、短命連呼を繰り返すと思う。
しかし、わたしに、そんなことを言おうもんなら、「ボコ殴り」で返される。わたしは、この11年必死に生き延びた。痛いことを耐え、辛いことを耐え、苦しさに耐えた。その上での今の発言である。
体力が尽きた時が終わりだと思う。だからこそ、グライダーの様に、水面ギリギリで飛んでいく。危なっかしいが、一番抵抗力が少なく、飛行距離が稼げる。
体力は、途中で復活もし易い。
だから、他のセリフも同じである。くつがえす時は、過ちを認めて、相手に謝罪する。それ以外では、一旦言い出したら、やり遂げる「覚悟」で言っている。
ただ、世の中には、割とダブルスタンダードな人がガチで多く、長生きしたくないと本人が言う割に、本人が望む答えは、
「そうですね、長生きって大変そうですね。でも、あなたには、長生きして欲しいです。」
が、定説である。
始めから、本音と建前が、ややこしいのだ。
伝える時間さえない忙しない現在、言の葉の裏にこめられた意味を拾うことは非常に時間がかかる手間である。でも、ダブルスタンダードは、言って欲しい当人が、相手に要求する気遣いという甘えでもある。
本当に沢山の人が、あなたに本心で、「長生きしてくれ」と言ってる確率を考えてみたとしても、気遣いや手間をねだるメンドくさいひとに、適当に対応してるだけなのだ。
ただ、率直に言えば、ビジネスで、ダブルスタンダードは効率を下げる。けれども、無くならない理由は、どんな場でも、淋しいひとがいるからだったり、都合良く自分の思う様に持っていきたかったりするからだろうね。
ダブルスタンダードは、そもそもが、大きく矛盾しているので、突っ込んでもどうしようもない。だが、当人の頭の中だけでは、確実に矛盾はないんだと、だから響かない声があるんだと、改めて考えて捉えてみて欲しい。
朋
仕事上ダブルスタンダードはありますね。でも、誠実な態度と姿勢は変わりません。