こんばんは。
書くつもりはありませんでしたがひとつだけ。
最近、神社の神様にまるで修験道の人のように、神社に敷物を広げ夜中にお灯明と塩とで、何か祈りみたいなことしている人居ますよね。
あのね、思うんですけれど、それはいいんですよ。
でも、火事を起こさないこと、使ったろうそくや塩は賽銭箱に投げ込むなんて言語道断です。
神社には書いてありました。心無い人の悪質なスピリチュアリズムで、賽銭箱の中の浄財が、腐食していたそうです。
どう考えて、使った塩を賽銭箱に入れたんだか、理論が分かりません。むしろお下げして、その塩を使って入浴したほうが、神からのお下がり品としていいと思いますし、お灯明のろうそくの捨て場所は、賽銭箱ではありません。もし、火が完全に消えていなかったら、あなたその夜のたった一瞬の行為で、
「放火魔」
です。翌日には、拘置場にいますよあなた。模範囚でも、放火は罪が重いので、出てくるのは時間かかります。そして、立派な神社燃やした前科つきです。
使う生米も、使った水も、お下げしましょう。持ち帰りましょう。
どこかの人は、神に奉げた塩も米も水も酒も、餓鬼が寄ってきてご不浄だと解きますが、仏に差し上げるのとはわけが違います。
神に奉げる場合は、その塩は神の加護の入った塩になります。ちょっとしかないでしょう。玄関掃いたり、流しの汚れに清めに使ってもいいし、いいじゃないですか。
生米は本来は、神職さんはおっしゃいます。神からの下げ物なので、ご飯に入れて炊くと力が入ると。同じように水だって、酒だって、清めるお掃除に使えるでしょう?
出なくちゃ、お神酒って理論は成り立ちませんよ。いいですか、仏も神もごっちゃにして、何でも餓鬼が寄るようなそんなお粗末な祭り方をしているのでしょうか。
仏は元は人間です。仏陀も人間です。餓鬼も元は人間だったんです。
それと神は違いますし、大体夜中に、櫛咥えて呪いに行くんじゃないんですから、加護を受けようと思ったら、後片付けまで美しく、立つ鳥跡を濁さないのが、素敵なスピリチュアルです。それを、馬鹿のように、灯明を燃やし、使ったもんは、みんな賽銭箱に流す???
賽銭箱はゴミ箱じゃありません。ろうそくも残りだって家で灯明をつければ、祈った純粋な気持ちがよみがえります。それなのに、まるで呪術のように行って、呪術だって、打った釘以外は持って帰りますよ。
勘違いのスピリチュアルが多いのですが、あまり勘違いをして、憑依霊にそそのかされる前に、まずは、神職でも専攻科目で取って、必要事項禁止事項は学ぶべきです。
素人の生兵法は怪我の元、そして、火の不始末があったら、放火でつかまります。
放火は一番罪が重いですからね。馬鹿なことしていないで、普通に、日の出た午前中に祈ってください。夜に神様は居ますが、呪術をかけに来た人についている憑依霊もいますし、一日中のお願いや厄払いで、案外穢れていますからね。
呆れてものが言えませんが、くれぐれも、馬鹿な思いつきで、変なことしないでください。塩や使ったものを賽銭箱に入れた人は、お焚き上げのつもりかもしれませんが、お焚き上げはお焚き上げでしてくれるところを探してください。それと、こういう行為は、神社に向かっておしっこを垂れる行為と全く同じです。
目を覚まして、何かの加持祈祷のつもりなら、真言宗の寺で護摩壇焚いてもらってください。よっぽど罰あたりませんし、ここまでして、何も違和感も感じない人なら、
神仏のご加護などあなたには受けることもありません。資格もございません。
他人の家にごみを放り出して、誰があなたにやさしくなると思いますか。その方は果たして、あなたを家に頻繁に招いてくれると思いますか?
スピリチュアルの前に、自分の行いに正当性を感じるだけの思考を持ってあたってください。
朋
書くつもりはありませんでしたがひとつだけ。
最近、神社の神様にまるで修験道の人のように、神社に敷物を広げ夜中にお灯明と塩とで、何か祈りみたいなことしている人居ますよね。
あのね、思うんですけれど、それはいいんですよ。
でも、火事を起こさないこと、使ったろうそくや塩は賽銭箱に投げ込むなんて言語道断です。
神社には書いてありました。心無い人の悪質なスピリチュアリズムで、賽銭箱の中の浄財が、腐食していたそうです。
どう考えて、使った塩を賽銭箱に入れたんだか、理論が分かりません。むしろお下げして、その塩を使って入浴したほうが、神からのお下がり品としていいと思いますし、お灯明のろうそくの捨て場所は、賽銭箱ではありません。もし、火が完全に消えていなかったら、あなたその夜のたった一瞬の行為で、
「放火魔」
です。翌日には、拘置場にいますよあなた。模範囚でも、放火は罪が重いので、出てくるのは時間かかります。そして、立派な神社燃やした前科つきです。
使う生米も、使った水も、お下げしましょう。持ち帰りましょう。
どこかの人は、神に奉げた塩も米も水も酒も、餓鬼が寄ってきてご不浄だと解きますが、仏に差し上げるのとはわけが違います。
神に奉げる場合は、その塩は神の加護の入った塩になります。ちょっとしかないでしょう。玄関掃いたり、流しの汚れに清めに使ってもいいし、いいじゃないですか。
生米は本来は、神職さんはおっしゃいます。神からの下げ物なので、ご飯に入れて炊くと力が入ると。同じように水だって、酒だって、清めるお掃除に使えるでしょう?
出なくちゃ、お神酒って理論は成り立ちませんよ。いいですか、仏も神もごっちゃにして、何でも餓鬼が寄るようなそんなお粗末な祭り方をしているのでしょうか。
仏は元は人間です。仏陀も人間です。餓鬼も元は人間だったんです。
それと神は違いますし、大体夜中に、櫛咥えて呪いに行くんじゃないんですから、加護を受けようと思ったら、後片付けまで美しく、立つ鳥跡を濁さないのが、素敵なスピリチュアルです。それを、馬鹿のように、灯明を燃やし、使ったもんは、みんな賽銭箱に流す???
賽銭箱はゴミ箱じゃありません。ろうそくも残りだって家で灯明をつければ、祈った純粋な気持ちがよみがえります。それなのに、まるで呪術のように行って、呪術だって、打った釘以外は持って帰りますよ。
勘違いのスピリチュアルが多いのですが、あまり勘違いをして、憑依霊にそそのかされる前に、まずは、神職でも専攻科目で取って、必要事項禁止事項は学ぶべきです。
素人の生兵法は怪我の元、そして、火の不始末があったら、放火でつかまります。
放火は一番罪が重いですからね。馬鹿なことしていないで、普通に、日の出た午前中に祈ってください。夜に神様は居ますが、呪術をかけに来た人についている憑依霊もいますし、一日中のお願いや厄払いで、案外穢れていますからね。
呆れてものが言えませんが、くれぐれも、馬鹿な思いつきで、変なことしないでください。塩や使ったものを賽銭箱に入れた人は、お焚き上げのつもりかもしれませんが、お焚き上げはお焚き上げでしてくれるところを探してください。それと、こういう行為は、神社に向かっておしっこを垂れる行為と全く同じです。
目を覚まして、何かの加持祈祷のつもりなら、真言宗の寺で護摩壇焚いてもらってください。よっぽど罰あたりませんし、ここまでして、何も違和感も感じない人なら、
神仏のご加護などあなたには受けることもありません。資格もございません。
他人の家にごみを放り出して、誰があなたにやさしくなると思いますか。その方は果たして、あなたを家に頻繁に招いてくれると思いますか?
スピリチュアルの前に、自分の行いに正当性を感じるだけの思考を持ってあたってください。
朋
はじめまして
夜中にお灯明を燃やすような方法があること自体理解できませんでした。加持祈祷のつもりなんでしょうが、一種の呪術のようにも思えます。
スピリチュアルと言う言葉が段々重みがなく、むしろ奇怪な行動をする人という認識が公に出てきたのは、テレビだけのせいじゃないでしょう。こうやって、更にアクセルを踏み込む人のせいでしょうね。
コメントありがとうございます。