ねこやしきさらのおうち

最近は別宅の保管庫になっています
動物たちは相変わらず元気です

天ざるを食べてみた

2008年05月30日 | 温泉と蕎麦
近所の行きつけの蕎麦屋で天ざるを食べてみた。いつもざるを食べるのだが、こないだ他のお客さんに出しているのを見て、うまそうだと目をつけていたのだ。蕎麦はいつもの通り、蕎麦の香りがしてきたし、天ぷらはからっとあがっていて、うまかった。仕事帰りに寄る店なのだが、まあこれもいいなあと思ったことだった。

この店のどこが気に入っているかというと、昔からの蕎麦屋だというところだ。この辺りは昔は蕎麦屋ばかりだったのが一斉にラーメン屋になったのだそうだが、それでも蕎麦屋を続けているというこだわり。町のお蕎麦屋さんだ。十割蕎麦でも手打ちでもないのだが、一体何がいいのか、蕎麦の薫りがする。粗引きだの何だのぎょうぎょうしく看板を出しているくせに下手な蕎麦屋よりも、ずっといいのだ。

そんなわけで、仕事帰り、食事を作る元気がないようなときに、ここの蕎麦屋に寄る。「あー、ここの蕎麦はおいしい」と一口かき込んでからため息ついて心から言うと、大将と女将はとても嬉しそうに笑って、礼を言う。入ることを躊躇するような店ばかりが乱立する都会で、そんな食べ物屋が1つくらい私にあってもいいように思った。
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ある東京本拠地のパスタ屋

2008年05月14日 | 温泉と蕎麦
昨日は久しぶりに外食をした。仕事と仕事の合間でとてもくたびれていたのと、久しぶりにまともなパスタが食べてみたかったのとで、東京にいた頃にわりとよく行っていたパスタ屋がこっちに出している店があったので、そこに行ってみることにした。久しぶりにまともなイタリアの味が味わいたかったのである。

店の名前は書かない。東京と地名までご丁寧に出してある、恐らくはそれを売り物にしているパスタ屋である。値段は東京並みである。メニューはまあ、そんなもんかとも思ったが、どうも本物の渋谷や新宿で見ていたものとは違う。それから、店員の接客のコンビネーションがとれていないのは明らかだった。視線をちょっと向こうに向けると調理場が見えるが、どうも浮かない顔をして料理人が料理をしている。何だこれは。どの顔を見ても活気がない。あっちのテーブルには、蕎麦よろしくずるずると音を立ててパスタを口に流し込むおばさんがいたが、このおばさん、どうも料理長にクレームをつけたようだ。茶がなんとかかんとか言って、結局代わりを持ってこさせた。料理長はあたふたと対応していた。おばさんよりも、そのあたふたぶりのほうが目に付いてしまう対応だった。

そんな光景を見せられているうちに、私の頼んだパスタがきた。ソースの味は、まあごった煮にすればこんなもんだろうと思えなくもなかったが。しかし、麺はいけなかった。これのどこがアルデンテだというのだ。九州のその辺にわんさかあるうどん屋のようだ(麺のゆですぎで、どろどろのうどんが出てくる。あれは鯉のえさだと思っている)。これではその辺の洋食屋のスパゲティと変わらないではないか。悪いがこれではあの値段は出せない。そうこうしているうちに、おばさんの団体客が来た。大声でしゃべる。荷物が多いとかでそのことでおたおたして、向かいのテーブルで食べている私のところにそのほこりが舞ってくることにも一向に気づかないようである。もちろん、応対していた店員もそのようであった。荷物のことは、客の持ち物があれだけあるのは見てすぐわかることなので、客席に通す前に片をつけてくれというのだ。

デザートもコーヒーもそこそこに、私はテーブルに「お客様の声」を捜した。ところが、そんなものはないのである。どこが「お客様の声をきいて作る店」だというのか(ちなみに、この店はそれを標榜してある)。それで、テーブルナプキンにボールペンで数行の意見と激励を書いて残してきた。会計のときに、店員はまた先の客相手におたおたした。私は自分の番が来て支払いをするときに、「意見、私のテーブルに書いておいてますから、見て頂戴」と言った。東京でよく聞く言葉遣いだ。店員を店員という身分に貶めるときに、客が使う言葉だ。こんな言葉遣いはしたことがないし、したくなかった。でも、相手が大学生のバイトなのはわかっていたのもあって、どうしたってそう言いたくなってしまった。それだけ、怒っていたし、失望していた。

客層が東京とは明らかに違うのはわかる。でもだからと言って、値段はそのままにして、味やサービスまで落としてしまうのは、何かに反してはいないだろうか。東京を掲げているから私は行ったのである。東京並みのサービスができないのならば、それを標榜しないことだ。値段をとらないことだ。そうすれば納得がいく。もしこれが東京だったら、と思う。こんなに落ちてしまった店には、誰も行かなくなる。渋谷や新宿にあったその店は、いつ行っても繁盛していた。学生時代のことだから、バイトしたお金で友人たちとお出かけするときに行く店だった。みんな金がべらぼうにあるわけではないから、金銭的にはシビアになる。それに、女の子のことである。それはいいパスタ屋を捜すのである。ちょっとだけ背伸びをして、グラスワインを1杯だけ頼んだりして。そんなふうに、限られた金で最大の満足が得られる食い物屋。それがその店だった。だから、ここまで落ちているのを目の当たりにするとは、何とも残念な話だった。

こんなことを書くと、夢八さんが常々書かれていることを思い出す。夢八さんがよく話題に出す白金の女性。仕事のできる人。彼女なら、こんな店に来たら、食事の途中で席を立ってしまっていたかなと思ってしまった。パスタの話を蕎麦のカテゴリーに書いたのも、その影響である。

その夢八さんちは、こちらです。
http://blog.goo.ne.jp/toshiharu2214/
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またすばらしき記事

2008年05月01日 | 温泉と蕎麦
そばがきさんちに夢八さんが訪問した記事です。記録のためにURLを記しておきます。

夢八さんちの記事
http://blog.goo.ne.jp/toshiharu2214/e/46ac7d341e5c54c3248139d92342a8ab

そばがきさんちの記事
http://gyouzan.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_20fc.html

前回の記事にとても感動した記憶があります。それもこのカテゴリーには残してあります。
http://blog.goo.ne.jp/nekoyashikisara/e/8bc5592843a2384ba5b09844721440f0

いや、何というか、通人ですな。それは、トルストイじゃないけれど、フロックコートを着た貴族様にはわからぬ、田舎の農夫が知っているすばらしさなのですよね。土いじりバンザイ。
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