思いの外に印象的であった、この旅最初の訪問地である小豆島巡りも、遂に終わりの時がやってきました。
小豆島巡りで最後に訪れたのは、小豆島の西部、フェリーや高速艇も発着する土庄港の近くにある小豆島(前島)から沖合の小さな島へと繋がる砂州。
見事な自然の造形美を誇る風景を記憶に刻み、小豆島巡りはフィナーレ、土庄港から高速艇に乗船して、四国の高松へと向かいました。
この日の午前に岡山からフェリーでその港に到着、上陸した、小豆島西部に位置する土庄(とのしょう)の市街地へと戻ってきました。
まだ少し時間があったので、直接港へは向かわず、貸切タクシーの運転手さんが近くにある景勝地へと案内してくださいました。
向かう先が、小豆島の滞在で最後の訪問地となります。
土庄市街地の中心部や土庄港もある小豆島の前島から、すぐ沖合にある余島(よしま)へと続く、「エンジェルロード」という印象的な砂州です。
正面に見えている島は中余島、その背後に長く横たわっているように見えているのが大余島で、1日2回の干潮時にのみ、前島~中余島~大余島とが砂州(陸繋砂州 / トンボロ) で繋がる陸繋島です。
中余島との間にしっかりと砂州が繋がっていることから、ちょうど干潮時に訪れることができたようです^^
因みに、大余島は全域が神戸YMCAの私有地となっていて、一般人は立入禁止です。
「余島」というのは、最も沖に浮かぶ大余島、大余島と中余島との間にある小余島、中余島と最も前島側にある弁天島(べんてんじま)の、4島の総称をいいますが、ウィキペディアによると、小余島は法的に中余島と一体として「中余島」として扱われ、弁天島は前島との間を埋め立てられたので、今日では事実上大余島と中余島との2島の総称をいうそうです。
満潮時には海面下に没するとはとても思えないしっかりとした砂州…現れては消える不思議な砂州ということで、「エンジェルロード」と呼ばれるようになったとか。
「カップルがここで手を繋ぐと結ばれる」という口コミも手伝って、恋人達にも人気の観光スポットとなっています。
え、私?…もちろん、純粋に景色を楽しむためですよ(-з-;)
というか、運転手さんにここへ連れてこられるまで、このスポットの存在すら知らなかった位ですから(本当です!);
大余島の更に遙か沖の彼方にうっすらと、テーブル状の姿が特徴的な屋島が見えています。
砂州に近い凪の海上では、鵜がノンビリとお食事タイム^^
時折、ズボッと潜ってしばらく経つと再び浮かんできて、嘴に魚のような何かを銜えてそれを器用に飲み込んでいました。。。
前島との間を埋め立てられた弁天島へは、気軽に登れる散策路が整備されています♪
先程まで眺めていた景色を、上から俯瞰できます。
エンジェルロードも、ご覧のとおり優美な曲線を描いて、中余島へと続いている様子がクッキリと!
もちろん、下の砂州からも見えていた、遙か沖合に屋島の姿もハッキリ見てとることができます。
この辺りの土の色は、結構赤っぽいですね。
時々雨のぱらつくあいにくの空模様でしたが、底まで見通せる透明な海もまた印象的でした!
すっかりその魅力の虜となってしまった小豆島巡りも遂にフィナーレ、終着地である土庄港の高松行高速艇のりば前に到着してしまいました(TT)
ターミナルの建物前の周辺は、小豆島がロケ地となった映画「二十四の瞳」に関するモニュメントで溢れていました。
ターミナル前のロータリーには、二十四の瞳の12人の子供達のあだ名と、おなご先生と刻まれた石が配してありました。
植えられている木は、もちろんオリーブ!
ロータリーの向こうに立つ旅館の名前も「ひとみ荘」!
大石先生と子供達の像、「平和の群像」。
昭和31年(1956年)の除幕で、題字の揮毫は、何と当時の内閣総理大臣であった鳩山一郎!
こちらは、小豆島バスの創業者で、小豆島の交通や観光の振興に寄与した、堀木文次の像。
小豆島のポスターを手に全国を駆け回ったり、映画「二十四の瞳」の撮影にも手はずを整えて大いに貢献したとか。
その功績を偲んで、二十四の瞳のモニュメントが並ぶ一角に建てられたのでしょうか。
二十四の瞳と島振興の立役者とに見送られるようにして、ターミナルの中へと入ります。
高松行の高速艇。
人の大きさからお分かりのとおり、フェリーと比べて遙かに小ぶりな船体ですが、高松までフェリーで60分のところを約半分の35分で結びます。
5時間程滞在した小豆島とも、これでお別れ。
間もなく出発です!
15時50分、高速艇は定刻に土庄港を出発しました。
桟橋を離れて方向を変え、徐々にスピードを上げていきます。
こんな感じで、高速艇は土庄港を出発していったのでしょう。
海水を切り裂くように蹴立てて、高松へと舵を切ります。
乗船した感じは、水上ハイウェイバス…といった印象の高速艇。
キャビン内にもエンジン音を盛大に響かせて疾走を開始、先行していたフェリーをあっという間に抜き去りました!
漁船やコンテナ船等、あらゆる種類の船が至近に目視できる密度で四方八方行き交う瀬戸内海…聞きしに勝る混雑を呈する海域を横切って、高松港へと進入します。
四国を代表する都市だけあって、海上からでもビルやマンション等高層建築物が林立する壮観な眺めが広がり、航海のトリを飾ってくれました^^
流石に四国の玄関口の港だけあって、桟橋も駅のホームのように堂々としていますね!
所要35分の航海を終えて16時25分、やはり定刻に高松港へ到着しました。
桟橋では折り返し便を待つ長蛇の列が既にできあがっていました…小豆島の方々にとっては、正にバスのような、気軽で重要な県都・高松とを結ぶ高速艇、土庄へのとんぼ返りを前に、つかの間の休息です。
お疲れさま~^^
ありがとう!
桟橋を抜けると、いきなり高松の市街地へ!
すぐ近くにはJRの高松駅もあり、のんびりした小豆島とはガラリと変わった都会の雰囲気に少し面食らいました(^^;)
歩道も道路も広々、整然とした高松の都心部でした。
港の傍に建つ高松城趾(玉藻公園)では、謎のスタンプラリーが…w
高松といえば、やっぱり讃岐うどん!
一体どんなスタンプラリーなのか興味津々でしたが、時間の都合でやむなくスルー(TT)、ホテルへと向かいました。
ホテルで一休みしたら、夕食タイムです(^г^)
小豆島巡りで最後に訪れたのは、小豆島の西部、フェリーや高速艇も発着する土庄港の近くにある小豆島(前島)から沖合の小さな島へと繋がる砂州。
見事な自然の造形美を誇る風景を記憶に刻み、小豆島巡りはフィナーレ、土庄港から高速艇に乗船して、四国の高松へと向かいました。
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この日の午前に岡山からフェリーでその港に到着、上陸した、小豆島西部に位置する土庄(とのしょう)の市街地へと戻ってきました。
まだ少し時間があったので、直接港へは向かわず、貸切タクシーの運転手さんが近くにある景勝地へと案内してくださいました。
向かう先が、小豆島の滞在で最後の訪問地となります。
土庄市街地の中心部や土庄港もある小豆島の前島から、すぐ沖合にある余島(よしま)へと続く、「エンジェルロード」という印象的な砂州です。
正面に見えている島は中余島、その背後に長く横たわっているように見えているのが大余島で、1日2回の干潮時にのみ、前島~中余島~大余島とが砂州(陸繋砂州 / トンボロ) で繋がる陸繋島です。
中余島との間にしっかりと砂州が繋がっていることから、ちょうど干潮時に訪れることができたようです^^
因みに、大余島は全域が神戸YMCAの私有地となっていて、一般人は立入禁止です。
「余島」というのは、最も沖に浮かぶ大余島、大余島と中余島との間にある小余島、中余島と最も前島側にある弁天島(べんてんじま)の、4島の総称をいいますが、ウィキペディアによると、小余島は法的に中余島と一体として「中余島」として扱われ、弁天島は前島との間を埋め立てられたので、今日では事実上大余島と中余島との2島の総称をいうそうです。
満潮時には海面下に没するとはとても思えないしっかりとした砂州…現れては消える不思議な砂州ということで、「エンジェルロード」と呼ばれるようになったとか。
「カップルがここで手を繋ぐと結ばれる」という口コミも手伝って、恋人達にも人気の観光スポットとなっています。
え、私?…もちろん、純粋に景色を楽しむためですよ(-з-;)
というか、運転手さんにここへ連れてこられるまで、このスポットの存在すら知らなかった位ですから(本当です!);
大余島の更に遙か沖の彼方にうっすらと、テーブル状の姿が特徴的な屋島が見えています。
砂州に近い凪の海上では、鵜がノンビリとお食事タイム^^
時折、ズボッと潜ってしばらく経つと再び浮かんできて、嘴に魚のような何かを銜えてそれを器用に飲み込んでいました。。。
前島との間を埋め立てられた弁天島へは、気軽に登れる散策路が整備されています♪
先程まで眺めていた景色を、上から俯瞰できます。
エンジェルロードも、ご覧のとおり優美な曲線を描いて、中余島へと続いている様子がクッキリと!
もちろん、下の砂州からも見えていた、遙か沖合に屋島の姿もハッキリ見てとることができます。
この辺りの土の色は、結構赤っぽいですね。
時々雨のぱらつくあいにくの空模様でしたが、底まで見通せる透明な海もまた印象的でした!
すっかりその魅力の虜となってしまった小豆島巡りも遂にフィナーレ、終着地である土庄港の高松行高速艇のりば前に到着してしまいました(TT)
ターミナルの建物前の周辺は、小豆島がロケ地となった映画「二十四の瞳」に関するモニュメントで溢れていました。
ターミナル前のロータリーには、二十四の瞳の12人の子供達のあだ名と、おなご先生と刻まれた石が配してありました。
植えられている木は、もちろんオリーブ!
ロータリーの向こうに立つ旅館の名前も「ひとみ荘」!
大石先生と子供達の像、「平和の群像」。
昭和31年(1956年)の除幕で、題字の揮毫は、何と当時の内閣総理大臣であった鳩山一郎!
こちらは、小豆島バスの創業者で、小豆島の交通や観光の振興に寄与した、堀木文次の像。
小豆島のポスターを手に全国を駆け回ったり、映画「二十四の瞳」の撮影にも手はずを整えて大いに貢献したとか。
その功績を偲んで、二十四の瞳のモニュメントが並ぶ一角に建てられたのでしょうか。
二十四の瞳と島振興の立役者とに見送られるようにして、ターミナルの中へと入ります。
高松行の高速艇。
人の大きさからお分かりのとおり、フェリーと比べて遙かに小ぶりな船体ですが、高松までフェリーで60分のところを約半分の35分で結びます。
5時間程滞在した小豆島とも、これでお別れ。
間もなく出発です!
15時50分、高速艇は定刻に土庄港を出発しました。
桟橋を離れて方向を変え、徐々にスピードを上げていきます。
こんな感じで、高速艇は土庄港を出発していったのでしょう。
海水を切り裂くように蹴立てて、高松へと舵を切ります。
乗船した感じは、水上ハイウェイバス…といった印象の高速艇。
キャビン内にもエンジン音を盛大に響かせて疾走を開始、先行していたフェリーをあっという間に抜き去りました!
漁船やコンテナ船等、あらゆる種類の船が至近に目視できる密度で四方八方行き交う瀬戸内海…聞きしに勝る混雑を呈する海域を横切って、高松港へと進入します。
四国を代表する都市だけあって、海上からでもビルやマンション等高層建築物が林立する壮観な眺めが広がり、航海のトリを飾ってくれました^^
流石に四国の玄関口の港だけあって、桟橋も駅のホームのように堂々としていますね!
所要35分の航海を終えて16時25分、やはり定刻に高松港へ到着しました。
桟橋では折り返し便を待つ長蛇の列が既にできあがっていました…小豆島の方々にとっては、正にバスのような、気軽で重要な県都・高松とを結ぶ高速艇、土庄へのとんぼ返りを前に、つかの間の休息です。
お疲れさま~^^
ありがとう!
桟橋を抜けると、いきなり高松の市街地へ!
すぐ近くにはJRの高松駅もあり、のんびりした小豆島とはガラリと変わった都会の雰囲気に少し面食らいました(^^;)
歩道も道路も広々、整然とした高松の都心部でした。
港の傍に建つ高松城趾(玉藻公園)では、謎のスタンプラリーが…w
高松といえば、やっぱり讃岐うどん!
一体どんなスタンプラリーなのか興味津々でしたが、時間の都合でやむなくスルー(TT)、ホテルへと向かいました。
ホテルで一休みしたら、夕食タイムです(^г^)
潮の流れによって、毎日少しずつ形を変えているのでしょうね。
小豆島といえば、誰もが一番に思い浮かべる『二十四の瞳』。
きっとお土産屋さんには二十四の瞳にちなんだお菓子なども並んでいたんでしょうね。
オリーブの実を一つの瞳に見立てて、24粒入りのオリーブも塩漬けもありそう(どうしても食べ物ばかりに思いが行ってしまう・・・笑)。
高松での夕食も、美味しい海の幸が並ぶのでしょうね。
モン・サン・ミシェル程干満の差も小さいと思いますが、立っている場所が満潮になると水没してしまうというのも、すぐには信じられない不思議な感じがします。
タヌ子さんご想像のとおり、小豆島特産のオリーブ等と「二十四の瞳」を組み合わせたお土産類、たくさんありましたよ!
オリーブのオイルも実も、丁寧に、大切に作られているのが分かる美味しさでした♪
高松夕食リポート、今しばらくお待ちを^^