太平洋岸の「常春の街」"La ciudad de la eterna primavera" アリカヘと、アンデス山中から到着しました。
海抜4,500m超のラウカ国立公園・チュンガラー湖から海抜0mの太平洋(大きく見れば日本の「対岸」!!)に面する港町アリカまでを200km足らずの距離で駆け下り、アリカのホテルへ投宿しました。
翌日の午後には帰国の途に就く短い滞在中に、アリカのシンボル的な存在のアリカ丘陵へ向かいました。
市街地を見守るかのようにどっしり構えた、あまりにも圧倒的な存在感と共に、その頂上からの大パノラマは、これまで巡ってきたアンデス山上のそれに劣らず素晴らしい眺めをもって私の目を楽しませてくれました!
大変残念ながら、今回の記事では不手際により私が堪能したこの絶景を私の撮影による画像に残すことができず、文のみでの極めて簡単な紹介となってしまいますことをご了承ください;
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アリカ "Arica" に到着してホテルで小休止の後夕食がてら市街地へ繰り出したことは前回の記事で書きましたが、食事前、夕刻近くの遅い午後の時間に、アリカのランドマークともいえるアリカ丘陵 "Morro de Arica" に登ってみました。
アリカ丘陵の頂上の標高は、大体130m~140mといったところのようです。
頂上までは、徒歩または車で登ることができ、時間もあったのでこの時は砂地の結構急な斜面を歩いて頂上を目指しました!
アリカ丘陵はアリカの市街地に隣接した巨大な岩塊のような威容で聳えていて、これまた巨大なチリ国旗が掲揚されている頂上からは、太平洋の海原からアリカ市街、そしてアリカ郊外の砂漠地帯までの大パノラマを見渡すことができます!
<アリカ丘陵の存在感> (頂上の人や周辺の建物、車等と比較して大きさを実感してみてください)
<アリカ丘陵からのパノラマ-1> (アリカ丘陵から北西(ペルーとの国境)方向)
<アリカ丘陵からのパノラマ-2> (アリカ丘陵から北東(プトレ・ラウカ国立公園)方向)
1868年の地震で壊滅したアリカ市街と共に写っているアリカ丘陵の画像も、ウィキペディアにありました。
アリカ丘陵だけが、現在の姿とほとんど変わっていませんね!
この1868年の地震で発生した津波は、日本でも記録されたそうです。
なお、この地震当時のアリカはペルー領であり、主として硝石をはじめとする産出資源に関する利権等を巡ってボリビア・ペルー同盟を相手に戦った「太平洋戦争」 "Guerra del Pacífico"(1879年~1884年)にチリが勝利した結果、アリカはチリ領となりました。
アリカ丘陵の頂上には当時要塞が築かれ、現在はこの太平洋戦争関係の歴史博物館となっています。
しばしの間アリカ丘陵からの眺めを楽しんでから、再び急斜面をアリカ市街へと下り、お土産などを物色しながら街中をブラブラしつつ、美味しい料理のありそうなレストランを探して夕食を摂ったのでした♪
翌日から始まる長い帰国の道程に備えて、夕食後はホテルへ戻って早めに就寝しました。
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前回の記事のとおり、すでに写真撮影が不可能な状況にあり私自身で撮った画像がありませんので、ここまでと以下の一部にはウィキペディアの画像へのリンクを貼らせていただきました。
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…ここまで書いてきて記事をプレビューしてみると、画像なしではあまりにも寂しかったので、手許にある写真になりそうなアリカに関するものを探し回ったところ、いかにも南米チックでおおらかな画風のアリカ観光マップが出てきたので、(苦し紛れに)このマップだけでもアップすることにしました(^^;
このマップは、チリ政府 "Gobierno de Chile"、タラパカ州政府 "Gobierno de Tarapacá"、セルナトゥール "SERNATUR" ("Servicio Nacional de Turismo" 「政府観光局」のようなもの?)の「観光啓発プログラム」 "Programa de conciencia turistica" の一環で発行されたもののようです。
アリカ丘陵と、アリカ丘陵と共にアリカのランドマーク的存在である、聖マルコス聖堂 "Catedral de San Marcos" とがイラストで描かれています。
聖マルコス聖堂のウィキペディア記事がスペイン語かポルトガル語のみでしたので、翻訳をかけて記事の一部を思い切り抄訳してみました(抄訳の上に意訳し更に一部加筆していますが大体正しい意味に訳せていると思います;)。
(以下青字部分)
聖マルコス聖堂はその建設に際して、フランス・パリにあるエッフェル塔の名称の由来となっているアレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル "Alexandre Gustave Eiffel" が携わり、1868年の地震で倒壊するまで植民地時代から226年間建っていた旧教会の跡地に、アリカがまだペルー領であった1876年に完成しました。
1984年にチリの国定史跡に指定されています。
(抄訳ここまで)
鉄骨構造によるゴシック風の様式が特徴の、すっきりとした清楚で軽快な印象の外観を持つ聖マルコス聖堂です。
時間の都合で内部は見ることができませんでしたが、今後アリカ再訪の機会があれば、是非その特徴的な構造を内側から見学してみたいです。
聖マルコス聖堂の前には、植樹され噴水もある美しいコロン(コロンブス)広場 "Plaza de Colón" が人々に憩いの場を提供しています。
マップも大ざっぱおおらかで南米テイストを堪能できますw
マップの名誉のために申し添えると、方角や主要ポイントの位置関係等は正確な記載となっています!
マップの右下部の黄色い部分が市街地の中心部(聖マルコス聖堂やコロン広場もあるこのエリアで食事やお土産物色等をしていました^^)、その右隣の茶色い部分の最も太平洋 "Oceano Pacífico" 寄りにあたる部分(オレンジ色の一本道が途絶えています)がアリカ丘陵の頂上です。
宿泊したホテルは、アリカ丘陵を海沿いに回り込んで更に右の方向、このマップ右下一番はずれ近くのギリギリな辺りとなります。
因みにこのマップでは、左下部の方向が北となります。
このマップの表記は全てスペイン語、マップの裏面にはアリカの見所の紹介文がありましたが、当然のことながら理解できませんでした><
しかしながら、手作り感溢れる味わい深いこのイラストマップもまた、旅の良き思い出の一品となっています^^
海抜4,500m超のラウカ国立公園・チュンガラー湖から海抜0mの太平洋(大きく見れば日本の「対岸」!!)に面する港町アリカまでを200km足らずの距離で駆け下り、アリカのホテルへ投宿しました。
翌日の午後には帰国の途に就く短い滞在中に、アリカのシンボル的な存在のアリカ丘陵へ向かいました。
市街地を見守るかのようにどっしり構えた、あまりにも圧倒的な存在感と共に、その頂上からの大パノラマは、これまで巡ってきたアンデス山上のそれに劣らず素晴らしい眺めをもって私の目を楽しませてくれました!
大変残念ながら、今回の記事では不手際により私が堪能したこの絶景を私の撮影による画像に残すことができず、文のみでの極めて簡単な紹介となってしまいますことをご了承ください;
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アリカ "Arica" に到着してホテルで小休止の後夕食がてら市街地へ繰り出したことは前回の記事で書きましたが、食事前、夕刻近くの遅い午後の時間に、アリカのランドマークともいえるアリカ丘陵 "Morro de Arica" に登ってみました。
アリカ丘陵の頂上の標高は、大体130m~140mといったところのようです。
頂上までは、徒歩または車で登ることができ、時間もあったのでこの時は砂地の結構急な斜面を歩いて頂上を目指しました!
アリカ丘陵はアリカの市街地に隣接した巨大な岩塊のような威容で聳えていて、これまた巨大なチリ国旗が掲揚されている頂上からは、太平洋の海原からアリカ市街、そしてアリカ郊外の砂漠地帯までの大パノラマを見渡すことができます!
<アリカ丘陵の存在感> (頂上の人や周辺の建物、車等と比較して大きさを実感してみてください)
<アリカ丘陵からのパノラマ-1> (アリカ丘陵から北西(ペルーとの国境)方向)
<アリカ丘陵からのパノラマ-2> (アリカ丘陵から北東(プトレ・ラウカ国立公園)方向)
1868年の地震で壊滅したアリカ市街と共に写っているアリカ丘陵の画像も、ウィキペディアにありました。
アリカ丘陵だけが、現在の姿とほとんど変わっていませんね!
この1868年の地震で発生した津波は、日本でも記録されたそうです。
なお、この地震当時のアリカはペルー領であり、主として硝石をはじめとする産出資源に関する利権等を巡ってボリビア・ペルー同盟を相手に戦った「太平洋戦争」 "Guerra del Pacífico"(1879年~1884年)にチリが勝利した結果、アリカはチリ領となりました。
アリカ丘陵の頂上には当時要塞が築かれ、現在はこの太平洋戦争関係の歴史博物館となっています。
しばしの間アリカ丘陵からの眺めを楽しんでから、再び急斜面をアリカ市街へと下り、お土産などを物色しながら街中をブラブラしつつ、美味しい料理のありそうなレストランを探して夕食を摂ったのでした♪
翌日から始まる長い帰国の道程に備えて、夕食後はホテルへ戻って早めに就寝しました。
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前回の記事のとおり、すでに写真撮影が不可能な状況にあり私自身で撮った画像がありませんので、ここまでと以下の一部にはウィキペディアの画像へのリンクを貼らせていただきました。
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…ここまで書いてきて記事をプレビューしてみると、画像なしではあまりにも寂しかったので、手許にある写真になりそうなアリカに関するものを探し回ったところ、いかにも南米チックでおおらかな画風のアリカ観光マップが出てきたので、(苦し紛れに)このマップだけでもアップすることにしました(^^;
このマップは、チリ政府 "Gobierno de Chile"、タラパカ州政府 "Gobierno de Tarapacá"、セルナトゥール "SERNATUR" ("Servicio Nacional de Turismo" 「政府観光局」のようなもの?)の「観光啓発プログラム」 "Programa de conciencia turistica" の一環で発行されたもののようです。
アリカ丘陵と、アリカ丘陵と共にアリカのランドマーク的存在である、聖マルコス聖堂 "Catedral de San Marcos" とがイラストで描かれています。
聖マルコス聖堂のウィキペディア記事がスペイン語かポルトガル語のみでしたので、翻訳をかけて記事の一部を思い切り抄訳してみました(抄訳の上に意訳し更に一部加筆していますが大体正しい意味に訳せていると思います;)。
(以下青字部分)
聖マルコス聖堂はその建設に際して、フランス・パリにあるエッフェル塔の名称の由来となっているアレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル "Alexandre Gustave Eiffel" が携わり、1868年の地震で倒壊するまで植民地時代から226年間建っていた旧教会の跡地に、アリカがまだペルー領であった1876年に完成しました。
1984年にチリの国定史跡に指定されています。
(抄訳ここまで)
鉄骨構造によるゴシック風の様式が特徴の、すっきりとした清楚で軽快な印象の外観を持つ聖マルコス聖堂です。
時間の都合で内部は見ることができませんでしたが、今後アリカ再訪の機会があれば、是非その特徴的な構造を内側から見学してみたいです。
聖マルコス聖堂の前には、植樹され噴水もある美しいコロン(コロンブス)広場 "Plaza de Colón" が人々に憩いの場を提供しています。
マップも
マップの名誉のために申し添えると、方角や主要ポイントの位置関係等は正確な記載となっています!
マップの右下部の黄色い部分が市街地の中心部(聖マルコス聖堂やコロン広場もあるこのエリアで食事やお土産物色等をしていました^^)、その右隣の茶色い部分の最も太平洋 "Oceano Pacífico" 寄りにあたる部分(オレンジ色の一本道が途絶えています)がアリカ丘陵の頂上です。
宿泊したホテルは、アリカ丘陵を海沿いに回り込んで更に右の方向、このマップ右下一番はずれ近くのギリギリな辺りとなります。
因みにこのマップでは、左下部の方向が北となります。
このマップの表記は全てスペイン語、マップの裏面にはアリカの見所の紹介文がありましたが、当然のことながら理解できませんでした><
しかしながら、手作り感溢れる味わい深いこのイラストマップもまた、旅の良き思い出の一品となっています^^
こんな大きな丘が町のど真ん中にあるなんてちょっと想像がつきません。
これだけの長い海岸線を持つチリは、日本同様、多くの自然災害を経験してきたのでしょうね。
エッフェルの建造物はいくつか見たことがありますが、いずれも鉄骨がメインのものばかり。
鉄骨以外の美しい建造物も残していたのですね。
しかし、この時代にこんな遠くの国の建築にも携わっていたなんて、その精力的な活動には驚かされます。
その巨大さがあまりにも強烈で、チリ旅行を決めた一番最初の動機が「この丘の上に立ちたい!」でした(^^;
チリも日本同様沿岸近くに海溝があって大地震や津波の被害の多い国で、東日本大震災の前年(2010年)の2月に発生した大地震とそれによる津波で大きな被害を受けています。
ラテンアメリカにしては我慢強いとされる国民性は、太平洋とアンデス山脈で他国と隔絶された災害多発の細長い国土も理由の1つになっているのかもしれませんね。
エッフェルは、手懸けた建築物が故国フランスをはじめ世界中に残っているのを知り、私も驚きました!
聖マルコス聖堂も外からは見えませんが、構造自体はエッフェル真骨頂の鉄骨構造、その特徴を生かした軽快な美しさがとても印象的で、是非もう1度実際に(次は内部を含めて)見てみたいです!
taろうさんのブログを拝見して、南米の自然のスケールの大きさは桁違いだと感じました。
現在のチリ、ペルー、ボリビア間の関係は潤滑なのでしょうか。
日本、韓国、中国などの東アジア諸国を全てひっくるめて同じような国、という認識を持っている西欧人がいますが、それと似た感覚で南米諸国は同じような国という印象を、正直言って、持ってしまいます。
共通性はあっても、それぞれ特有の気候、文化から成り立ってい独自の国々ということになかなか考えがいたらないのです。
遠いからこそ好奇心も湧くというもので、個性的な大自然を目の当たりにした時の感動もひとしおですので、プー太郎さんも是非機会をお作りになって南米をご旅行なさってみては如何でしょうか。
三国(チリ対ペルー・ボリビア)関係は、ペルーとは比較的良好のようですが、ボリビアはこの太平洋戦争敗戦で太平洋岸の領土をチリに奪われ内陸国となってしまったこともあり、チリとボリビアとの間には未だに国交がありません!
それでもボリビアは貿易のためにアリカ港を使用せざるを得ないので、アリカはボリビアとの交流が活発でボリビアナンバーの車も数多く目にしました。
一般的な関心の強さは距離に反比例するようで、個性豊かな南米諸国の魅力を知る人の少なさがとても残念です。
本当に同じ根からよくぞここまで個性的になったものだと、知れば知る程ヨーロッパ諸国並みのおもしろさに満ち溢れていると思いますよ!
教会は緑色に塗られてました ご興味をお持ちでしたらお送りします
エッフェルの作品は他にも沢山有ります アリカの税関、サンチアゴの中央駅、鉄橋等
メキシコのサンタ サンタ ロサリアにも形は異なりますがプレファブの協会が有ります
チリ最北端のアリカ、10年前でもようやく辿り着いた感慨は一入でしたが、1969年のご渡航では、その想いは遥かに強かったのだろうなぁ、と想像しています。
聖マルコス教会、窓枠や柱を茶色に縁取った白壁で屋根が緑色の、素敵な教会でした。
もし宜しければ、nichi_tabi■mail.goo.ne.jp宛お送りくだされば、嬉しいです(送信時は■をアットマークに変えてください)。
僕爺さんのご好意に感謝申し上げます。
鉄骨を多用した、清楚で軽快なエッフェルの作品は私も好きです。