7ヶ月ぶりの、「北を目指す旅」シリーズ更新;…札幌で迎えた4日目の朝、最北の街の終着駅を目指して、旅立ちます。
<<北を目指す旅-23>
北の鉄路のターミナルである札幌駅から、稚内行の特急に乗車。
北上する旅の往路ルートでの、ラストスパートに掛かります!
街を抜けると、特急の車窓には、広々とした北の大地が。
北上するにつれ、車窓風景は、徐々に畑地から川や森林へと、移り変わっていきました。
北を目指す旅路も、既に4日目…この日は、朝の新札幌から、日本最北端の駅を目指して、出発します。
連休の合間の平日であったこの日、朝のラッシュアワーで混み合う普通電車で、まずは稚内行の特急の始発駅である、札幌へと赴きます。
満員の乗客を乗せて、新札幌のホームへやって来たのは、7時21分発の小樽行。
重厚感のある車体デザインが印象的な、JR北海道の通勤形電車である、733系です。
札幌までは、3つの停車駅を経て、15分後の7時36分に、到着しました。
札幌で7時48分の出発を待つ、稚内行の特急「スーパー宗谷1号」。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
稚内までの396.2kmを、5時間5分の所要時間で走破する、俊足のキハ261系気動車を使用した、長距離ランナーです。
北を目指す往路において、アンカーとなった「スーパー宗谷1号」でも、長距離長時間乗車の鉄道旅行を、満喫しようと思います♪
この旅行当時(平成28年(2016年)5月)は、1日2往復の「スーパー宗谷」と1日1往復の「サロベツ」の計1日3往復の特急が、札幌~稚内を直通していましたが、平成29年(2017年)3月のダイヤ改正で、1日1往復の「宗谷」が札幌~稚内を直通、1日2往復の「サロベツ」が旭川~稚内の運転となり、旭川で札幌発着の特急「ライラック」に対面ホームでの乗り換えで接続するという運転体系に、改められました。
車体の正面のヘッドマークや側面の行先表示にある、「スーパー宗谷(SUPER SOYA)」の列車名も、既に見ることはできません。
この運転体系の変更は、「サロベツ」使用車両の老朽化に伴う置換車両新製の資金を、深刻な経営難に陥っているJR北海道が確保できず、「スーパー宗谷」使用車両で稚内発着の特急を減便せずに維持するための、苦肉の策。
老朽車両淘汰のための特急運転区間の短縮は、札幌~網走の系統でも同時に実施されました(一部が旭川~網走(旭川で札幌発着の特急に接続)に変更)。
極度に利用が減少した長大路線を抱えるJR北海道ひいては、北海道の鉄道そのものの在り方については今日、国や、何より第一の受益者である北海道や沿線の自治体や住民が、鉄道を運営するJR北海道と共に腹を据えて、真剣に考えていかなければならない状況に至っています。
所要5時間5分の全区間を乗車する長丁場、「スーパー宗谷1号」でも、奮発してグリーン車を利用しました。
前夜に新函館北斗から新札幌まで乗車した、「スーパー北斗23号」と同様、革張り大型シートの横3列配置の、ゆったりとした車内で、5時間を寛ぎます^^
妻面は木目調のデザインで、ダウンライトの照明とも相俟って、暖かみを感じることのできる、インテリアですね。
定刻の7時48分、「スーパー宗谷1号」は札幌を出発、日本最北の鉄路の旅へと、走り始めました。
現代的な札幌駅の高架線や、札幌のビルが林立する街並みが、車窓を流れていきます。
稚内へと至るまでに、この都市の景観から、車窓風景がどのようにドラマチックに変貌していくのか、とても楽しみです!
札幌の街を抜け、家並みも途絶えると、早速、良く整備された広大な畑地が広がる、北海道らしい風景が、車窓いっぱいに広がってきました。
遥かに見渡す防雪林や、一直線に延びていく畦道…どんよりと雲が垂れ込める中でも、爽快感を感じさせる、気持ちの良い風景です。
道央の石狩平野を、エンジン音を快調に響かせて駆け抜けていく、「スーパー宗谷1号」。
砂川→滝川の1駅間を、動画で撮影してみました。
駅を出発する時の、気動車のフルパワーのエンジン音が、耳に心地良かったですw
出発後もそのままエンジン音を轟かせて、電車ばりの加速と速度での、とても力強い疾走でした。
「スーパー宗谷1号」は、9時17分に旭川を出発、稚内へと誘う宗谷本線へと、乗り入れます。
旭川を出発してしばらくすると、雪融け水の色彩に染まった石狩川を渡り、さらに北へと、進路を取って進んでいきます。
雪融け色の川面と同時に、木々の新芽の緑が萌える、北海道の遅い春らしい眺めですね。
旭川を境に、沿線風景からも、人口密度が一挙に下がったことが理解できました。
駅名からも、北海道気分を堪能。
和寒(わっさむ)出発は、9時45分。
札幌を出て、既に2時間近くが経過していますが、稚内までは、あと3時間以上あります;
北海道の広さも、改めて実感。
広々とした景観の中、どこまでも真っ直ぐに延びていく道路。
この見晴らしの素晴らしい景色には、目にする度に飽くことなく、見とれてしまいますね(^^;)
コンデジを構えて、踏切を高速で通過するたびにシャッターを切りまくり、撮影枚数が無駄に膨れ上がっていました(爆)
名寄を過ぎたあたりから、宗谷本線は、幌延(ほろのべ)附近までのおよそ120km程の間、天塩川(てしおがわ)に沿って進みます。
車窓から最初に目にした時は、ゆったりと流れているかのように見えたのですが、よく見てみると、やはり雪融けの季節を迎えて水量が増えていて、かなりの勢いをつけて、流れていました。
川岸の様子が、尋常ではありません…;;
川に沿って走る道路のすぐ際まで、川面が迫り、道路際に生えている木々も、根元は軒並み水没していますね。
この、水量の増えた天塩川の流れに沿って、「スーパー宗谷1号」は、黙々と北上していきます。
10時57分、「スーパー宗谷1号」は、音威子府(おといねっぷ)へ到着。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
先程の和寒からは1時間強、札幌からは既に、3時間以上の時間が、経過しています。
旭川~稚内の宗谷本線において、ほぼ中間に位置する音威子府の駅。
「スーパー宗谷1号」は、1分の停車時間で、慌ただしく出発しました。
音威子府を出発すると、稚内への進行方向右手の林の中へ、細い路面のような筋が延びているのを、目にすることができます。
平成元年(1989年)5月1日に廃止となった、天北線(てんぽくせん)の廃線跡です。
下の画像では、水路を跨ぐ橋梁も、見えていますね。
天北線は、音威子府から西へと転進する現在の宗谷本線と別れてそのまま北上、オホーツク海側へと進み、浜頓別(はまとんべつ)や猿払(さるふつ)等を経て、稚内の1つ手前の南稚内で、再び宗谷本線と合流していました。
音威子府~南稚内間は、この天北線のルートが宗谷本線として、大正11年(1922年)に全通しました。
幌延を経由する、現在の宗谷本線の音威子府~南稚内間が開通したのは、大正15年(1926年)。
その後、天塩線と呼ばれていた幌延経由のルートが、昭和5年(1930年)に宗谷本線へ編入されると同時に、それまで宗谷本線と呼ばれていた浜頓別経由のルートが、北見線と改称され、昭和36年(1961年)に、北見線が天北線と、更に改称されました。
かつては、函館や札幌から稚内へと直通する優等列車も行き交っていた鉄路の名残…役目を終えて、自然へと還りつつあるようです。
同時に、廃止から30年近くを閲してなお、その遺構をとどめ続けていることに驚き、酷寒の最果ての地へとレールを繋げる、往時の不屈の情熱を感じ取ることのできた、感慨深い光景でした。
札幌から北の最果てを目指す、5時間の道程も、いよいよラストスパートに差し掛かります。
<北を目指す旅-25>>
<<北を目指す旅-23>
北の鉄路のターミナルである札幌駅から、稚内行の特急に乗車。
北上する旅の往路ルートでの、ラストスパートに掛かります!
街を抜けると、特急の車窓には、広々とした北の大地が。
北上するにつれ、車窓風景は、徐々に畑地から川や森林へと、移り変わっていきました。
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北を目指す旅路も、既に4日目…この日は、朝の新札幌から、日本最北端の駅を目指して、出発します。
連休の合間の平日であったこの日、朝のラッシュアワーで混み合う普通電車で、まずは稚内行の特急の始発駅である、札幌へと赴きます。
満員の乗客を乗せて、新札幌のホームへやって来たのは、7時21分発の小樽行。
重厚感のある車体デザインが印象的な、JR北海道の通勤形電車である、733系です。
札幌までは、3つの停車駅を経て、15分後の7時36分に、到着しました。
札幌で7時48分の出発を待つ、稚内行の特急「スーパー宗谷1号」。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
稚内までの396.2kmを、5時間5分の所要時間で走破する、俊足のキハ261系気動車を使用した、長距離ランナーです。
北を目指す往路において、アンカーとなった「スーパー宗谷1号」でも、長距離長時間乗車の鉄道旅行を、満喫しようと思います♪
この旅行当時(平成28年(2016年)5月)は、1日2往復の「スーパー宗谷」と1日1往復の「サロベツ」の計1日3往復の特急が、札幌~稚内を直通していましたが、平成29年(2017年)3月のダイヤ改正で、1日1往復の「宗谷」が札幌~稚内を直通、1日2往復の「サロベツ」が旭川~稚内の運転となり、旭川で札幌発着の特急「ライラック」に対面ホームでの乗り換えで接続するという運転体系に、改められました。
車体の正面のヘッドマークや側面の行先表示にある、「スーパー宗谷(SUPER SOYA)」の列車名も、既に見ることはできません。
この運転体系の変更は、「サロベツ」使用車両の老朽化に伴う置換車両新製の資金を、深刻な経営難に陥っているJR北海道が確保できず、「スーパー宗谷」使用車両で稚内発着の特急を減便せずに維持するための、苦肉の策。
老朽車両淘汰のための特急運転区間の短縮は、札幌~網走の系統でも同時に実施されました(一部が旭川~網走(旭川で札幌発着の特急に接続)に変更)。
極度に利用が減少した長大路線を抱えるJR北海道ひいては、北海道の鉄道そのものの在り方については今日、国や、何より第一の受益者である北海道や沿線の自治体や住民が、鉄道を運営するJR北海道と共に腹を据えて、真剣に考えていかなければならない状況に至っています。
所要5時間5分の全区間を乗車する長丁場、「スーパー宗谷1号」でも、奮発してグリーン車を利用しました。
前夜に新函館北斗から新札幌まで乗車した、「スーパー北斗23号」と同様、革張り大型シートの横3列配置の、ゆったりとした車内で、5時間を寛ぎます^^
妻面は木目調のデザインで、ダウンライトの照明とも相俟って、暖かみを感じることのできる、インテリアですね。
定刻の7時48分、「スーパー宗谷1号」は札幌を出発、日本最北の鉄路の旅へと、走り始めました。
現代的な札幌駅の高架線や、札幌のビルが林立する街並みが、車窓を流れていきます。
稚内へと至るまでに、この都市の景観から、車窓風景がどのようにドラマチックに変貌していくのか、とても楽しみです!
札幌の街を抜け、家並みも途絶えると、早速、良く整備された広大な畑地が広がる、北海道らしい風景が、車窓いっぱいに広がってきました。
遥かに見渡す防雪林や、一直線に延びていく畦道…どんよりと雲が垂れ込める中でも、爽快感を感じさせる、気持ちの良い風景です。
道央の石狩平野を、エンジン音を快調に響かせて駆け抜けていく、「スーパー宗谷1号」。
砂川→滝川の1駅間を、動画で撮影してみました。
駅を出発する時の、気動車のフルパワーのエンジン音が、耳に心地良かったですw
出発後もそのままエンジン音を轟かせて、電車ばりの加速と速度での、とても力強い疾走でした。
「スーパー宗谷1号」は、9時17分に旭川を出発、稚内へと誘う宗谷本線へと、乗り入れます。
旭川を出発してしばらくすると、雪融け水の色彩に染まった石狩川を渡り、さらに北へと、進路を取って進んでいきます。
雪融け色の川面と同時に、木々の新芽の緑が萌える、北海道の遅い春らしい眺めですね。
旭川を境に、沿線風景からも、人口密度が一挙に下がったことが理解できました。
駅名からも、北海道気分を堪能。
和寒(わっさむ)出発は、9時45分。
札幌を出て、既に2時間近くが経過していますが、稚内までは、あと3時間以上あります;
北海道の広さも、改めて実感。
広々とした景観の中、どこまでも真っ直ぐに延びていく道路。
この見晴らしの素晴らしい景色には、目にする度に飽くことなく、見とれてしまいますね(^^;)
コンデジを構えて、踏切を高速で通過するたびにシャッターを切りまくり、撮影枚数が無駄に膨れ上がっていました(爆)
名寄を過ぎたあたりから、宗谷本線は、幌延(ほろのべ)附近までのおよそ120km程の間、天塩川(てしおがわ)に沿って進みます。
車窓から最初に目にした時は、ゆったりと流れているかのように見えたのですが、よく見てみると、やはり雪融けの季節を迎えて水量が増えていて、かなりの勢いをつけて、流れていました。
川岸の様子が、尋常ではありません…;;
川に沿って走る道路のすぐ際まで、川面が迫り、道路際に生えている木々も、根元は軒並み水没していますね。
この、水量の増えた天塩川の流れに沿って、「スーパー宗谷1号」は、黙々と北上していきます。
10時57分、「スーパー宗谷1号」は、音威子府(おといねっぷ)へ到着。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
先程の和寒からは1時間強、札幌からは既に、3時間以上の時間が、経過しています。
旭川~稚内の宗谷本線において、ほぼ中間に位置する音威子府の駅。
「スーパー宗谷1号」は、1分の停車時間で、慌ただしく出発しました。
音威子府を出発すると、稚内への進行方向右手の林の中へ、細い路面のような筋が延びているのを、目にすることができます。
平成元年(1989年)5月1日に廃止となった、天北線(てんぽくせん)の廃線跡です。
下の画像では、水路を跨ぐ橋梁も、見えていますね。
天北線は、音威子府から西へと転進する現在の宗谷本線と別れてそのまま北上、オホーツク海側へと進み、浜頓別(はまとんべつ)や猿払(さるふつ)等を経て、稚内の1つ手前の南稚内で、再び宗谷本線と合流していました。
音威子府~南稚内間は、この天北線のルートが宗谷本線として、大正11年(1922年)に全通しました。
幌延を経由する、現在の宗谷本線の音威子府~南稚内間が開通したのは、大正15年(1926年)。
その後、天塩線と呼ばれていた幌延経由のルートが、昭和5年(1930年)に宗谷本線へ編入されると同時に、それまで宗谷本線と呼ばれていた浜頓別経由のルートが、北見線と改称され、昭和36年(1961年)に、北見線が天北線と、更に改称されました。
かつては、函館や札幌から稚内へと直通する優等列車も行き交っていた鉄路の名残…役目を終えて、自然へと還りつつあるようです。
同時に、廃止から30年近くを閲してなお、その遺構をとどめ続けていることに驚き、酷寒の最果ての地へとレールを繋げる、往時の不屈の情熱を感じ取ることのできた、感慨深い光景でした。
札幌から北の最果てを目指す、5時間の道程も、いよいよラストスパートに差し掛かります。
<北を目指す旅-25>>
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