道北のオホーツク海沿岸の町・浜頓別で、この日3度目となる温泉を楽しんだ後、日本最北の地である宗谷岬を目指して、更に北上します。
<<北を目指す旅-33>
浜頓別(はまとんべつ)から宗谷岬までの道程は、オホーツク海沿いに延びる国道238号線を、ひた走ります。
うっかりしていると、ハンドルを取られそうになってしまう程の、非常に強い横風の吹く荒天の中、オホーツク海を横目に、北海道の北の果ての大地の荒涼とした風景の中、最北の岬へ赴く道中でした。
夕刻に辿り着いた宗谷岬…北へ向けて陸地が尽きる波打ち際に立ち、格別な感慨に耽っていました。
<宗谷岬>
クッチャロ湖畔にある、「はまとんべつ温泉 ウイング」から宗谷岬を目指す、この日の最終行程に出発です。
画像右端に見えている浜頓別町役場の建物の奥隣の辺りに、音威子府~稚内(南稚内)間をオホーツク海側経由で結んでいた鉄道路線の天北線(てんぽくせん)が、平成元年(1989年)5月1日に廃止となるまで、浜頓別駅がありました。
浜頓別駅跡地は現在、浜頓別バスターミナルとなっています(画像では、町役場のすぐ左隣に、棟続きであるように見えている建物です)。
台風並みの暴風は、衰える兆しすら感じさせずに、時折更に激しい突風を、レンタカーの相棒にも叩き付けてきます;
空模様もどんよりと曇ってきて、嵐の予兆を連想させます。
天気予報にあたってみても、この日は天気の回復する見込みはなく、この風で海沿いの国道が通行止めにでもなってしまったら洒落にならないので、宗谷岬へ、慌ただしく出発しました。
オホーツク海沿いに走る国道238号線で、浜頓別の市街地を抜けると、程なくオホーツク海が、道路のすぐ横に迫ってきました。
この旅で、初めて目にしたオホーツク海…太平洋とも日本海とも別に隔てられた、もう1つの海を横目に、北へと走り続けます。
大地を覆うクマザサの景色が、道北を訪れていることを、改めて実感させてくれます。
オホーツクの海辺を、快調に走行しています♪
(この画像以下、本記事中の画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
元々人口が少ない上に、暴風吹き荒ぶ悪天候ということもあってか、この区間を走行中、歩行者の姿を見かけることはありません。
私と同じく、北へと走る車や、北から走って来る対向車も非常に少なく、事実上国道を貸切状態での、走行でした。
この辺りの海岸一帯は段丘状の地形で、国道は浜辺と段丘に挟まれた、狭い平地を通っています。
クマザサにビッシリと覆われた、波打ち際から段丘の斜面の景観が、行く手いっぱいに広がっていました。
遂に雨粒までもが空から落ちてき始めたようで、フロントガラスには、折からの暴風に乗った水滴が、勢いよくバチバチと音を立ててぶつかっています。
荒涼とした風景が、どこまでも続いていました。
そこそこの雨脚でしたが、走行中であったことや強風のために、フロントにぶつかった雨粒は、すぐにフロント端へと移動してしまい、ワイパーの必要もあまりありませんでした。
国道238号線は、時折海岸線を少し離れて、段丘へと分け入ります。
丘を上り下りしながらカーブを描き、丘の縁越しに、オホーツク海を望みます。
丘の上も、荒涼とした原野が広がる、北オホーツクの地。
単調ながらも、広大な大地の茫漠感溢れる情感に、旅情を掻き立てられました。
降雪時に路肩の位置を知らせる矢印の標識が、ずっと旅の友となって、目的地へと誘ってくれているかのようです^^
浜頓別から60km強の道程を走ること約1時間程で、この日の最終目的地である、宗谷岬へと到着!
「宗谷岬公園」となっている、岬の突端部の駐車場へ、レンタカーの相棒を駐めて、相変わらずの強風の中、最北の地を散策します。
岬周辺の案内標識の、一番上の部分に、この時辿り着きました(「現在地」とある場所)。
標識右下にある、猿払(さるふつ)村方面から、国道238号線をひた走ってきたのでした。
戦後、北方領土がロシアによって不法に占領されている現状では、日本国内で自由に往来することのできる最北の場所にある、宗谷岬の突端に建つ、「日本最北端の地の碑」。
緯度にすると、北緯45度31分22秒で、北緯45度上にあるミラノ(イタリア)、リヨン(フランス)、モントリオール(カナダ)等の都市と同緯度であるとのこと。
因みに、日本固有の領土である北方領土を含めた日本の最北端は、択捉島の最北端であるカモイワッカ岬で、北緯45度33分28秒とのことですが、この岬周辺は現在ロシアの実効支配の下で国立公園となっていて、ロシア人でも立入困難であるそうです。
したがって、将来日本が択捉島を取り戻した後でも、自由に立ち入ることは容易ではなさそうなので、事実上の「日本最北端の地」としての宗谷岬の地位は、揺るぎないように思えます。
「日本最北端の地の碑」の周囲を、パノラマ撮影。
宗谷岬の突端はこのように、断崖絶壁ではなく、国道238号線沿道の公園として、散策を楽しむことができるように整備されているので、「最果ての地」としては、拍子抜けする程に開けた雰囲気です。
それでも、この地点が「日本最北端の地」である事実には変わりなく、サロベツ原野から日本海越しに利尻を眺めることと共に、北を目指す今回の旅の目的地でもあったので、京都から日本海を北上し北海道を縦断して、「ようやく辿り着いた」という感慨もひとしおでした!
碑の裏側(北側)へと回り、正に北海道の大地が北の海に没しようとする際に立ちます。
これより北には陸はなく、樺太との間を隔てる宗谷海峡(ラ・ペルーズ海峡)の海原が広がるばかり。
悪天候の荒涼感も加わった、波頭の立つ海原の寂寞とした風景は、間違いなく最果ての情感を帯びていて、心に響きました。
気象条件が良ければ、遥か水平線上に望むことのできるという樺太の島影も、この日は、望むべくもありません。
この日、日本最北端の地は荒天の下、鉛色の海を望みながら、夕刻を迎えていました。
<北を目指す旅-35>>
<<北を目指す旅-33>
浜頓別(はまとんべつ)から宗谷岬までの道程は、オホーツク海沿いに延びる国道238号線を、ひた走ります。
うっかりしていると、ハンドルを取られそうになってしまう程の、非常に強い横風の吹く荒天の中、オホーツク海を横目に、北海道の北の果ての大地の荒涼とした風景の中、最北の岬へ赴く道中でした。
夕刻に辿り着いた宗谷岬…北へ向けて陸地が尽きる波打ち際に立ち、格別な感慨に耽っていました。
<宗谷岬>
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クッチャロ湖畔にある、「はまとんべつ温泉 ウイング」から宗谷岬を目指す、この日の最終行程に出発です。
画像右端に見えている浜頓別町役場の建物の奥隣の辺りに、音威子府~稚内(南稚内)間をオホーツク海側経由で結んでいた鉄道路線の天北線(てんぽくせん)が、平成元年(1989年)5月1日に廃止となるまで、浜頓別駅がありました。
浜頓別駅跡地は現在、浜頓別バスターミナルとなっています(画像では、町役場のすぐ左隣に、棟続きであるように見えている建物です)。
台風並みの暴風は、衰える兆しすら感じさせずに、時折更に激しい突風を、レンタカーの相棒にも叩き付けてきます;
空模様もどんよりと曇ってきて、嵐の予兆を連想させます。
天気予報にあたってみても、この日は天気の回復する見込みはなく、この風で海沿いの国道が通行止めにでもなってしまったら洒落にならないので、宗谷岬へ、慌ただしく出発しました。
オホーツク海沿いに走る国道238号線で、浜頓別の市街地を抜けると、程なくオホーツク海が、道路のすぐ横に迫ってきました。
この旅で、初めて目にしたオホーツク海…太平洋とも日本海とも別に隔てられた、もう1つの海を横目に、北へと走り続けます。
大地を覆うクマザサの景色が、道北を訪れていることを、改めて実感させてくれます。
オホーツクの海辺を、快調に走行しています♪
(この画像以下、本記事中の画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
元々人口が少ない上に、暴風吹き荒ぶ悪天候ということもあってか、この区間を走行中、歩行者の姿を見かけることはありません。
私と同じく、北へと走る車や、北から走って来る対向車も非常に少なく、事実上国道を貸切状態での、走行でした。
この辺りの海岸一帯は段丘状の地形で、国道は浜辺と段丘に挟まれた、狭い平地を通っています。
クマザサにビッシリと覆われた、波打ち際から段丘の斜面の景観が、行く手いっぱいに広がっていました。
遂に雨粒までもが空から落ちてき始めたようで、フロントガラスには、折からの暴風に乗った水滴が、勢いよくバチバチと音を立ててぶつかっています。
荒涼とした風景が、どこまでも続いていました。
そこそこの雨脚でしたが、走行中であったことや強風のために、フロントにぶつかった雨粒は、すぐにフロント端へと移動してしまい、ワイパーの必要もあまりありませんでした。
国道238号線は、時折海岸線を少し離れて、段丘へと分け入ります。
丘を上り下りしながらカーブを描き、丘の縁越しに、オホーツク海を望みます。
丘の上も、荒涼とした原野が広がる、北オホーツクの地。
単調ながらも、広大な大地の茫漠感溢れる情感に、旅情を掻き立てられました。
降雪時に路肩の位置を知らせる矢印の標識が、ずっと旅の友となって、目的地へと誘ってくれているかのようです^^
浜頓別から60km強の道程を走ること約1時間程で、この日の最終目的地である、宗谷岬へと到着!
「宗谷岬公園」となっている、岬の突端部の駐車場へ、レンタカーの相棒を駐めて、相変わらずの強風の中、最北の地を散策します。
岬周辺の案内標識の、一番上の部分に、この時辿り着きました(「現在地」とある場所)。
標識右下にある、猿払(さるふつ)村方面から、国道238号線をひた走ってきたのでした。
戦後、北方領土がロシアによって不法に占領されている現状では、日本国内で自由に往来することのできる最北の場所にある、宗谷岬の突端に建つ、「日本最北端の地の碑」。
緯度にすると、北緯45度31分22秒で、北緯45度上にあるミラノ(イタリア)、リヨン(フランス)、モントリオール(カナダ)等の都市と同緯度であるとのこと。
因みに、日本固有の領土である北方領土を含めた日本の最北端は、択捉島の最北端であるカモイワッカ岬で、北緯45度33分28秒とのことですが、この岬周辺は現在ロシアの実効支配の下で国立公園となっていて、ロシア人でも立入困難であるそうです。
したがって、将来日本が択捉島を取り戻した後でも、自由に立ち入ることは容易ではなさそうなので、事実上の「日本最北端の地」としての宗谷岬の地位は、揺るぎないように思えます。
「日本最北端の地の碑」の周囲を、パノラマ撮影。
宗谷岬の突端はこのように、断崖絶壁ではなく、国道238号線沿道の公園として、散策を楽しむことができるように整備されているので、「最果ての地」としては、拍子抜けする程に開けた雰囲気です。
それでも、この地点が「日本最北端の地」である事実には変わりなく、サロベツ原野から日本海越しに利尻を眺めることと共に、北を目指す今回の旅の目的地でもあったので、京都から日本海を北上し北海道を縦断して、「ようやく辿り着いた」という感慨もひとしおでした!
碑の裏側(北側)へと回り、正に北海道の大地が北の海に没しようとする際に立ちます。
これより北には陸はなく、樺太との間を隔てる宗谷海峡(ラ・ペルーズ海峡)の海原が広がるばかり。
悪天候の荒涼感も加わった、波頭の立つ海原の寂寞とした風景は、間違いなく最果ての情感を帯びていて、心に響きました。
気象条件が良ければ、遥か水平線上に望むことのできるという樺太の島影も、この日は、望むべくもありません。
この日、日本最北端の地は荒天の下、鉛色の海を望みながら、夕刻を迎えていました。
<北を目指す旅-35>>
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