
長崎・出島の散策、一番船船頭部屋の次には、オランダ商館長の事務所兼住居である、「カピタン部屋」を訪れました。
オランダ商館トップの施設とあって、流石に建物も一番大きく、外観内装共に手の込んだ造りになっていました。
出島では、建物の復元と共に当時の生活の様子の再現も試みられていて、その見学は大変興味深いものでした^^

出島の見学の目玉ともいえる「カピタン部屋」、商館長の事務所兼住居だけあって、エントランスからして他の建物とはひと味違う趣向が凝らされています。
他の建物が、和洋折衷とはいえ想像以上に西洋の装飾等を排したような、かなり和風を強く感じさせる外観なのに比較して、窓周りや洒落た階段それに照明のあたりに西洋の雰囲気を漂わせています。
私たちも、この階段を上って、カピタン部屋へと入ります♪

カピタン部屋の中に入ると、玄関の正面左右にいずれも広い部屋が配されていて、商館長のための施設であることがすぐに分かります。
その広い部屋の1つでは、幕府の役人等が訪問した時等には、その接待をするために使用されていたようです。

玄関を挟んだ反対側にも、控え室のような、割とこぢんまりと見えた部屋がありました。
ソファ等数多くの調度が置かれて、寛げそうな雰囲気です^^
こぢんまりと見えたのは、他の空間がこの部屋よりも広いからであって、この部屋も実のところ、15畳もあります!

広さ35畳の大広間です。
ここでも、来訪した賓客をもてなしていたそうです。
いわば、迎賓のための施設ですね。
再現されているのは、オランダのクリスマス(阿蘭陀冬至)の祝宴風景…だそうです。
天井からはシャンデリア、蝋燭の燭台…いかにも「晩餐」という雰囲気が出ますねぇ。。。ここまで見てきた部屋の全てが、この餐堂を含めて畳敷きというのが、和洋折衷の面白いところですね♪

祝宴の食卓でひときわ異彩を放っていたのが、この「ボアーズヘッド」という料理。
焼いた豚にリンゴを咥えさせるという、いかにも西洋人が喜びそうな趣向です;
豚の頭の中から出てくる脂が目のところで固まって、白く見えるそうです。

大広間から続きの、サンルームである「涼所」。
当時は、大きく開けたバルコニーから目の前いっぱいに海が広がる眺めであったとのことです。
海の彼方のジャワやオランダへ、募る想いに耽ることができたであろうこの場所は、狭い出島に隔離されていたオランダ人商館員たちにとって、きっと人気のある場所であったことでしょう。

当時の晩餐の様子を、ミニチュア人形で再現してありました。
オランダ人の他に、当時ならなおさら当然のことでしょうが、給仕をしたり演奏をしたり身の回りの世話をする人々を伴って来ていたのですね。

時には(常に?)日本人の遊女も呼ばれていたのでしょうか?

緑色の窓枠に嵌められたガラスとバルコニーが、控え目に西洋をアピールしています(^-^)
右側の建物は、日本側の貿易事務等を司った出島乙名(おとな)の詰所である、「乙名部屋」です。
日本側の建物なので、「純」和風ですw

カピタン部屋で最も奥まった、影のような場所に、「女中部屋」がありました。
10畳以上が当たり前なこの館において、「たったの(!)」6畳という、群を抜く「狭さ(!!)」。
「女中部屋」と呼ばれているものの、説明によれば、出島に出入りしていた遊女にあてがわれていた部屋のようです。
出島へ来訪するオランダ人には、妻子を同道することは許されませんでした。

西洋人の館にしては珍しく廊下のようなものが、このカピタン部屋には見られます。
これも、和洋折衷ならではの構造でしょうね。

先に巡ってきた「一番船船頭部屋」と同様、大変興味深くて面白かった、カピタン部屋探索でした!

カピタン部屋の1階は、出島の歴史等の展示コーナーとなっています。
当時の貿易船に使われた、オランダの帆船の模型も展示してありました。
労苦を補って余りある報酬が転がり込んできたのでしょうが、このような帆船で、今日とは比較にならない程の長い時間をかけて、世界を股に貿易をしていた当時のオランダはじめ欧州各国の商人たちの根性には恐れ入ります!
そんなことも頭の中をよぎらせつつ、精巧な模型を気の済むまで眺め倒してから、カピタン部屋を後にしました。
出島散策、あと少し続きます(^^;
オランダ商館トップの施設とあって、流石に建物も一番大きく、外観内装共に手の込んだ造りになっていました。
出島では、建物の復元と共に当時の生活の様子の再現も試みられていて、その見学は大変興味深いものでした^^
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出島の見学の目玉ともいえる「カピタン部屋」、商館長の事務所兼住居だけあって、エントランスからして他の建物とはひと味違う趣向が凝らされています。
他の建物が、和洋折衷とはいえ想像以上に西洋の装飾等を排したような、かなり和風を強く感じさせる外観なのに比較して、窓周りや洒落た階段それに照明のあたりに西洋の雰囲気を漂わせています。
私たちも、この階段を上って、カピタン部屋へと入ります♪

カピタン部屋の中に入ると、玄関の正面左右にいずれも広い部屋が配されていて、商館長のための施設であることがすぐに分かります。
その広い部屋の1つでは、幕府の役人等が訪問した時等には、その接待をするために使用されていたようです。

玄関を挟んだ反対側にも、控え室のような、割とこぢんまりと見えた部屋がありました。
ソファ等数多くの調度が置かれて、寛げそうな雰囲気です^^
こぢんまりと見えたのは、他の空間がこの部屋よりも広いからであって、この部屋も実のところ、15畳もあります!

広さ35畳の大広間です。
ここでも、来訪した賓客をもてなしていたそうです。
いわば、迎賓のための施設ですね。
再現されているのは、オランダのクリスマス(阿蘭陀冬至)の祝宴風景…だそうです。
天井からはシャンデリア、蝋燭の燭台…いかにも「晩餐」という雰囲気が出ますねぇ。。。ここまで見てきた部屋の全てが、この餐堂を含めて畳敷きというのが、和洋折衷の面白いところですね♪

祝宴の食卓でひときわ異彩を放っていたのが、この「ボアーズヘッド」という料理。
焼いた豚にリンゴを咥えさせるという、いかにも西洋人が喜びそうな趣向です;
豚の頭の中から出てくる脂が目のところで固まって、白く見えるそうです。

大広間から続きの、サンルームである「涼所」。
当時は、大きく開けたバルコニーから目の前いっぱいに海が広がる眺めであったとのことです。
海の彼方のジャワやオランダへ、募る想いに耽ることができたであろうこの場所は、狭い出島に隔離されていたオランダ人商館員たちにとって、きっと人気のある場所であったことでしょう。

当時の晩餐の様子を、ミニチュア人形で再現してありました。
オランダ人の他に、当時ならなおさら当然のことでしょうが、給仕をしたり演奏をしたり身の回りの世話をする人々を伴って来ていたのですね。

時には(常に?)日本人の遊女も呼ばれていたのでしょうか?

緑色の窓枠に嵌められたガラスとバルコニーが、控え目に西洋をアピールしています(^-^)
右側の建物は、日本側の貿易事務等を司った出島乙名(おとな)の詰所である、「乙名部屋」です。
日本側の建物なので、「純」和風ですw

カピタン部屋で最も奥まった、影のような場所に、「女中部屋」がありました。
10畳以上が当たり前なこの館において、「たったの(!)」6畳という、群を抜く「狭さ(!!)」。
「女中部屋」と呼ばれているものの、説明によれば、出島に出入りしていた遊女にあてがわれていた部屋のようです。
出島へ来訪するオランダ人には、妻子を同道することは許されませんでした。

西洋人の館にしては珍しく廊下のようなものが、このカピタン部屋には見られます。
これも、和洋折衷ならではの構造でしょうね。

先に巡ってきた「一番船船頭部屋」と同様、大変興味深くて面白かった、カピタン部屋探索でした!

カピタン部屋の1階は、出島の歴史等の展示コーナーとなっています。
当時の貿易船に使われた、オランダの帆船の模型も展示してありました。
労苦を補って余りある報酬が転がり込んできたのでしょうが、このような帆船で、今日とは比較にならない程の長い時間をかけて、世界を股に貿易をしていた当時のオランダはじめ欧州各国の商人たちの根性には恐れ入ります!
そんなことも頭の中をよぎらせつつ、精巧な模型を気の済むまで眺め倒してから、カピタン部屋を後にしました。
出島散策、あと少し続きます(^^;
アムステルダムで、昔の貿易船を復元した船に入ってみましたが、大きいとはいうものの、この中に300人ぐらいの人たちが寝起きしていたら病気でなくなる方達が多かったという事実もよく理解できました。お医者様も付き添っていたとのことですが、はからずもこの航海の過程でオランダ医学が発展したそうです。
人形のオランダ人を見ると…畳の上でも靴を履いています!
恐らく、畳の屋内でも就寝時以外は靴を履いていたのではないでしょうか;
それぞれの民族の習俗がそのまま持ち込まれているようで、結構インターナショナルな光景に思えます(^^;
厳しい航海のおかげで医学が発展…正に怪我の功名ですね!
1人ではなかったでしょうが、生命の危機と隣り合わせな300名の健康を預かった現場は、きっと戦場さながらの修羅場であったのでしょうね。
サンルームを畳の間にすれば、のんびり横たわってリラックスできるのに、と考えるのは日本人だけで、オランダ人は床に直接横たわるなんてことは考えられないのでしょうね。
当時の様子はなんとなく想像できますが、近くの近代建築が悲しいですね。
この出島再現、いっそのことハウステンボス内の一角に作ったほうがもっとしっくりしたかもしれません(笑)
そういう理由で、サンルームを畳敷きにしてもきっと、土足のままで畳は蹂躙されたことでしょう(-_-;
そう考えると、かつて日本をご訪問の折、靴をお脱ぎになったといわれるエリザベス二世陛下は、画期的な行いであられたのですね。
確かに、景観面からは他の場所の方が相応しいかもしれませんが、発掘を含めた学術的な調査に裏付けられた、元の地での完全復元にかける熱意にも頷けるところがあります。
ビルは仕方ないにしても、ゆくゆくは出島の区域を再び完全に島とする構想らしいので、実現時には、周囲の景観がどのように変化するかも、楽しみにしているところです^^