時には、旅の日常

管理人:taろう/旅先で撮ったスナップにコメントを添えて、他にも気の向いた事を綴っていきます。

御堂筋 地下鉄一駅間プチ散策-2&京都への帰途の車窓

2014-03-28 19:41:10 | 近畿/日本
 梅田から歩き始めた、御堂筋の地下鉄一駅間のプチ散策は、中之島へと差し掛かってきました。

 大阪の心臓部と言っても過言ではない中之島。
 その、大阪の都心部を貫いてゆったりと流れる旧淀川…のんびり時間を掛けて、かつて「水の都」と称された名残を留める景観を楽しみました♪

 川岸に立ち並ぶビル群、個性豊かな造形が魅力的な御堂筋の橋、御堂筋の彼方まで続く信号の連なり等々、これまでは特に気に留めるでもなく見過ごしていた風景を、改めてジックリと眺め直してみました。

 旧淀川を渡りきった所で、地下鉄御堂筋線で梅田の次の駅である淀屋橋となり、淀屋橋をターミナルとして京都へ向かう京阪電車に乗車、京都への帰途に就きました。

 <大阪都心部>

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 プチ散策の終点、淀屋橋駅まであと数100mといったところでしょうか…この交差点を渡ると、大阪の都心を東西に貫いている旧淀川のうち、中之島北側部分(堂島川)に架かる、大江橋となります。

 御堂筋(みどうすじ)の信号が青の間、絶えることのない車の群れが一斉に南の難波方面を目指して、御堂筋のレーンを埋め尽くして走り去っていきます。

 旧淀川は、明治40年(1907年)に淀川放水路が梅田の北側に開削されるまで、淀川の本流でした。



 橋の北詰が阪神高速道路の高架下になってしまった大江橋ですが、どっしりと格調高い立派な照明もまた目を引く、かつて「水都」と呼ばれた大阪のメインストリートを飾るに相応しい橋です。

 大江橋は、江戸時代の元禄年間に初めて架けられ、明治43年(1910年)に鉄橋として架け替えられ、更に御堂筋の拡張工事に伴い昭和5年に着工して昭和10年(1935年)に完成したコンクリート製のアーチ橋が、今日まで現存しています。
 大江橋は、パリのセーヌ川の景観を参考にデザインされたそうです。
 平成20年(2008年)、この後渡る淀屋橋と共に、重要文化財に指定されました。



 大江橋から眺めた、堂島川(旧淀川の中之島北側部分)。
 川下の西の方向を望んでいます。
 画像の左側が、旧淀川の中洲である大阪の心臓部、中之島です。

 かつては、街中に運河が張り巡らされていた、「水の都」大阪。
 現在、そのほとんどが埋め立てられて道路等に変わってしまいましたが、この中之島界隈には、潤いのある景色が健在です!
 …水の色はいただけませんが;



 コンデジの望遠を効かせて、御堂筋の遙か南方向を撮影してみました。
 信号機の灯が、どこまでも連なっています。
 こういう眺め、好きなんです^^



 大江橋を渡り、中之島へと進入しました。

 中之島で御堂筋の東側に面して建っている、大阪市役所。
 どっしり構えた、落着きの感じられる佇まいの庁舎です。



 御堂筋を挟んで、大阪市役所の対面に建っているのは、日本銀行大阪支店旧館。
 中之島で御堂筋の西側に、明治36年(1903年)に建設された、美しい洋風建築です。

 この旧館は、東京駅丸の内駅舎も手掛けた、辰野金吾が設計しました。



 日銀敷地の傍らに、一風変わったスタイルのポストが。

 ポストの下部には、「1971 郵便創業100年記念」とあります。



 ポストと共に立てられていた、「駅逓司大阪郵便役所跡」の石碑。
 明治4年(1871年)に日本で初めて郵便制度を司った、駅逓司の役所がここに設けられていたのですね。

 中之島には、近代大阪が歩んできた歴史そのものが色々と残っています。



 土佐堀川と呼ばれている、旧淀川の中之島南側を流れる部分を、御堂筋は淀屋橋で越えます。

 淀屋橋は、江戸時代に豪商・淀屋によって架けられ、大江橋と同様、大正13年(1924年)に大阪市の第1次都市計画事業で公募されたデザインで架け替えられて、現在に至っています。
 大阪では数少なくなった、貴重な歴史的建造物の一つです。

 淀屋橋の南側に立ち並ぶビル群は、かつて存在していた高さ規制(ビルの高さを31mに制限)によって、綺麗に高さが揃えられているのがよく分かります。
 現在では、この31mの高さ制限は緩和されて高層ビルの建設も計画され、ビルの高さが揃った美しいスカイラインという御堂筋独特の景観も、あと僅かで見納めになるかもしれません。。。



 この淀屋橋を南へ渡りきれば、大阪市営地下鉄御堂筋線と京阪電車の淀屋橋駅…このプチ散策のゴールとなります。

 橋の袂で、少しだけ休憩。



 淀屋橋を渡る前に、御堂筋を横断してみます♪
 車道の真ん中で、南の方向を眺めています。

 規制緩和後に建てられた、高さの突き出ているビルも見受けられますが、概ね高さの揃ったビルのスカイラインが、辛うじて判別できますね^^



 御堂筋周辺は、淀屋橋の南側でもオフィス街が続き、「天下の台所」の中心であった、船場(せんば)へと至ります。

 赤信号の灯が、イルミネーションの電飾のように見えます。

 何度も繰り返しになってしまいますが、建物の高さが揃っているというのは、美しい都市景観の条件なのだなぁ、ということが本当に実感できました。



 遙か彼方まで続く、信号の連なり…御堂筋で、望遠効果の効いたこういう光景を見て撮ってみたかったのです(^o^)
 車のテールランプも、良い情感を出してくれていますね♪

 夜景が綺麗そうな、夜の光景もいつかじっくり見てみたいですね。

 因みに、御堂筋の街路樹は銀杏で、秋にはギンナンがたわわに実るのですが、道路に落ちて潰されたギンナンから発する強烈なニオイに、鼻が曲がりそうになります><

 御堂筋は、淀屋橋から船場に至り、更に心斎橋を経て、梅田を中核とするキタと並ぶ大阪の二大繁華街の一つであるミナミの中心、難波(なんば)を目指し、南下を続けます。



 淀屋橋を渡りきり、地下鉄と京阪電車の淀屋橋駅に到着、御堂筋プチ散策が終了しました。

 階段を下りて京阪電車の駅へ向かい、京都への帰途に就きます。

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 午前に到着した時と同じホームから、京都の出町柳行特急に乗車します。

 時計を見て、ほぼ6時間ぶりに戻ってきたことが分かりました。



 特急の車内。
 運賃のみで乗車可能な快適シートは、疲れた身体を休めるのに最適^^



 京阪電車の特急は、天井もスッキリ♪
 特急車両の車内には、一切広告がないというのも、京阪電車のこだわりですね。

 こうした特色ある、京阪電車の特急車両ですが、平成24年(2012年)7月までは、テレビを視聴できる「テレビカー」を連結していました。
 また、現在でも8両編成中に2階建ての車両を1両組み込んでいて、通勤通学等の都市間輸送と共に京都への行楽利用も考慮された、快適な電車です。



 淀屋橋を出発した電車は、2つ先の天満橋を過ぎると地上へ出て、沿線の建物の間から、大阪城を垣間見ることができます。
 大阪城は、西日を一身に浴びて、美しく輝いていました。



 特急は京都を目指し、ひた走ります!

 途中では、クスノキの大木が高架にあるホームを突き抜けている駅を通過し…



 大阪府から京都府へと入って…
 先程の御堂筋プチ散策で渡った旧淀川(堂島川と土佐堀川)(=淀川)の上流を鉄橋で走り抜け…



 …淀屋橋から52分の所要時間で、朝出発した京都の三条に到着しました。
 この日の、交通科学博物館から御堂筋プチ散策の行程が、ここに全て終了しました!

 交通科学博物館の見学や御堂筋の散策からは、普段見慣れてきたものを改めて見直してみると、見慣れてしまったばかりに見過ごしていた価値あるものが、実にたくさんあることに驚きました。
 こうした身近な再発見の驚きを感じるのも、実に楽しいものですね♪
 近場でできる気軽さも嬉しいところ…機会を得て、ぜひまたフラフラ歩きたくなってきましたw

 交通科学博物館&御堂筋プチ散策の記事は、これにて幕となります。
 思い切り趣味に走った記事にお付き合いくださり、ありがとうございました。



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2 コメント

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タヌ子さん。 (taろう)
2014-03-29 19:49:12
地下鉄の一駅区間なら疲れることもなく、時間を忘れてプチ散策を楽しんでいましたw
道路の真ん中で立ち止まって構図を決めてシャッターを押すまでに、信号が変わってしまうのではないかと、結構スリリングでした(^^;)
ずっと先まで同じ色に灯る信号機を、望遠きつめの圧縮された眺めも、以前から撮りたいと思っていた景色なので、今回ようやく叶いました!
日本と西洋の、土地の公共性に対する考え方の違いがあるのでしょうね。
あと、耐震性等の規制や老朽化により立て替えの必要が生じ、その際建坪率や容積率の基準が厳しくなっていて、新ビルがペイするためにはどうしても階層を増やす必要が出てきているという現実もあると思います。
とても難しい問題ですが、新しい景観が無秩序にならないことを願うばかりです。。。
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Unknown (タヌ子)
2014-03-29 08:35:49
疑似大阪散歩楽しませていただきました。
横断歩道の真ん中からのショットがちょっと怖かったですけど(笑)
信号が見事にシンクロされてるところが日本らしい。
フランスは信号が変にずれていて、それが原因で無駄な交通渋滞が起こっているような気もします。
どっしりとした品格のある橋や日本銀行の歴史ある建物が空襲で破壊されなくて本当に良かったですね。
なんで規制緩和されちゃったんでしょうね?
規制緩和する前に、凱旋門からの、はみ出る物がない美しい眺めを見て、考え直して欲しかったです。
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