5月の連休に、三重県の実家への帰省がてら、方向はほとんど真逆でしたがw、舞鶴まで足を延ばしてきました。
舞鶴にある海上自衛隊の桟橋からの艦艇見学で、連休中の期間は護衛艦の甲板にも上がれるというので、このイベントをメインに、桟橋周辺の海自施設を巡ってみました。
舞鶴ご当地ということで、海自の艦艇や部隊等のレシピを基にしたカレーも、市内で味わいました^^
朝の特急で京都を出発して東舞鶴へ到着後、まずは海自の桟橋まで、昭和47年(1972年)に廃止となった、国鉄中舞鶴線の線路跡に整備された遊歩道を散策します。
東舞鶴の市街地と桟橋のある港湾エリアとを隔てるように、海の近くまで張り出してきている山の下を貫く、小さなトンネルをくぐり、桟橋へと向かいました。
<中舞鶴線>
どんよりと曇った朝のJR二条駅から、舞鶴行の行程スタート。
ホーム中央部をすっぽりと覆う、大きな木製のドームは、いつ見ても印象的です。
この高いドームのおかげでしょうか、1面2線の島式ホームのみの、こじんまりとした二条駅ですが、ホーム上屋の低い普通の駅のような、空間的な狭さを感じさせません。
この二条駅を7時37分に出発する、城崎温泉行の特急「きのさき1号」に乗車して、東舞鶴への乗換駅である、綾部を目指します。
特急の車窓から眺めた、保津峡。
5月に入り、美しい新緑に包まれた風景を堪能。
眼下を流れる保津川の川面も、この新緑のグリーンを映しているかのようでした。
二条出発からちょうど1時間程経過した8時38分に、綾部へ到着。
特急「きのさき1号」の乗車は、この綾部まで。
福知山方面へと出発していく「きのさき1号」を、見送ります。
10数分の接続時間で、「きのさき1号」が向かった福知山からやって来た、東舞鶴行の普通列車に乗り換えます。
普通列車は8時51分発でしたが、行違う東舞鶴からの列車の綾部到着が遅れたため、5分程遅れて綾部を出発しました。
綾部から約30分、定刻9時20分着のところ、やはり5分程遅れて、終点の東舞鶴到着。
出発した二条からは、約1時間50分の行程でした。
東舞鶴到着時も、天候は曇り。
京都では、少し歩くと上着の袖を捲る位の気温でしたが、舞鶴では季節外れの(5月に入ったというのに!)肌寒さすら感じて、捲り上げていた上着の袖を、再び長袖に戻しました;
東舞鶴駅からは、海上自衛隊の北吸桟橋の岸壁まで、2km程の道程を、ノンビリ歩いていくことに。
駅から少し西へと進むと、昭和47年に廃止された、国鉄中舞鶴線の廃線跡を整備した遊歩道に行き当たりました。
遊歩道はこの場所から始まり、海岸のある北方向へと延びています。
この場所から南の、現在のJR舞鶴線と合流するまでの廃線跡は、道路となっています。
中舞鶴線は、綾部から普通列車で乗車してきた舞鶴線の支線で、東舞鶴から海沿いの中舞鶴までの3.4kmを結び、大正8年(1919年)に開業。
明治34年(1901年)に開設された、海軍の舞鶴鎮守府の兵員・資材輸送を担ってきました。
遊歩道を少し歩いていくと、行く手に古色蒼然としたトンネルが見えてきました。
全長110mの、「北吸(きたすい)トンネル」です。
このトンネルは、中舞鶴線が営業戦として開業した大正8年より以前の明治37年(1904年)に軍港への引き込み線として開通した時に、「北吸隧道」として完成しています。
明治期に造られた、煉瓦積みの美しい北吸トンネル。
トンネル名を記した扁額こそ、今日風なものとなっていますが、それ以外は、かつて汽車が通行していた往時を思い起こさせてくれる、佇まいです♪
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
坑門や坑内の黒く見える染みも、SLの煤によるものなのでしょうね。
坑門も、どっしりとした堂々たる構えで、建設当時の中舞鶴線の軍事的重要性を推し量ることができます。
北吸トンネルは、今日では、日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴」の構成文化財の一つとして、文化庁から認定されています。
やはり、海軍に縁のある歴史的建造物、ということですね。
少し斜めから眺めた坑口もまた、大いに見応えがあります!
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
訪れる者を、静かに誘い迎え入れるような、落ち着いた雰囲気。
トンネルが纏いがちな、恐怖感や不安感を不思議と感じなかったのは、すぐに出口の見えている全長の短さや、温かみを感じさせる煉瓦の質感によるものでしょうか。
トンネルをくぐって反対側の、西側の坑口を振り返って撮影。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
しっかりと造られた、トンネル坑口のアーチの美しさに、見とれていました。
坑門もさることながら、坑内の天井周辺の見事な煉瓦積みの様子も、圧巻です!
西側坑門の脇に掲げられていた、登録有形文化財のプレート。
北吸トンネルは、平成14年(2002年)に、国の登録有形文化財に指定されました。
趣深い風情の感じられる、北吸トンネルの西側坑門。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
坑門のすぐ近くまで住宅が建つ東側よりも、幾分か切通しの部分が長く、その突き当りに坑門が口を開けている奥まった感じが、トンネルらしい雰囲気を醸し出しています。
中舞鶴線は、海寄りのエリアと東舞鶴駅周辺とをショートカットするような線形となっていて、自転車道との兼用仕様となっている遊歩道は、結構頻繁に歩行者や自転車の通行があります。
北吸トンネルに別れを告げて、歩を進めます。
覆い被さるような、鬱蒼とした茂みの風景に半ば溶け込んでいながら、なお存在感を示して、鉄道から歩行者・自転車道へと、舞鶴に第二の貢献を果たしている、北吸トンネルです。
北吸トンネルをくぐって後も、遊歩道はしばらく続きます。
道なりにしばらく進むと、遊歩道は国道27号線の歩道と合流し、その合流地点が終端となります。
この合流地点附近には、中舞鶴線唯一の中間駅であった、北吸駅がありました。
北吸駅は、大正8年の中舞鶴線営業開始時に、東門(とうもん)駅として終点の中舞鶴駅と共に開設され、昭和21年(1946年)に北吸駅と改称されました。
この周辺には、舞鶴市役所も建っています。
国道27号線と合流後は、その歩道を、更に西へと歩いていきます。
この辺りでは、中舞鶴線の廃線跡は、今日4車線となっている国道27号線の拡幅のための敷地に、転用されました。
この画像の山側の部分を、かつては中舞鶴線が、道路と並走していました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
中舞鶴線廃止前の画像が、こちらのサイトで掲載されていました。
舞鶴からフェリーで北海道へ1泊の弾丸旅行をした帰路に立ち寄った煉瓦倉庫群を横目に見ながら歩くことしばし…前方には満艦飾で華やかに飾られた海自の艦艇群が、艦橋を屏風のように聳え立たせた、迫力のある光景が広がってきました!
東舞鶴駅から、北吸トンネル等を撮影しつつノンビリと遊歩道等を散策すること40分弱、目指す最初の目的地、海上自衛隊舞鶴基地の北吸桟橋へは、あと少しで到着です。
<舞鶴日帰りミニ旅-02>>
舞鶴にある海上自衛隊の桟橋からの艦艇見学で、連休中の期間は護衛艦の甲板にも上がれるというので、このイベントをメインに、桟橋周辺の海自施設を巡ってみました。
舞鶴ご当地ということで、海自の艦艇や部隊等のレシピを基にしたカレーも、市内で味わいました^^
朝の特急で京都を出発して東舞鶴へ到着後、まずは海自の桟橋まで、昭和47年(1972年)に廃止となった、国鉄中舞鶴線の線路跡に整備された遊歩道を散策します。
東舞鶴の市街地と桟橋のある港湾エリアとを隔てるように、海の近くまで張り出してきている山の下を貫く、小さなトンネルをくぐり、桟橋へと向かいました。
<中舞鶴線>
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どんよりと曇った朝のJR二条駅から、舞鶴行の行程スタート。
ホーム中央部をすっぽりと覆う、大きな木製のドームは、いつ見ても印象的です。
この高いドームのおかげでしょうか、1面2線の島式ホームのみの、こじんまりとした二条駅ですが、ホーム上屋の低い普通の駅のような、空間的な狭さを感じさせません。
この二条駅を7時37分に出発する、城崎温泉行の特急「きのさき1号」に乗車して、東舞鶴への乗換駅である、綾部を目指します。
特急の車窓から眺めた、保津峡。
5月に入り、美しい新緑に包まれた風景を堪能。
眼下を流れる保津川の川面も、この新緑のグリーンを映しているかのようでした。
二条出発からちょうど1時間程経過した8時38分に、綾部へ到着。
特急「きのさき1号」の乗車は、この綾部まで。
福知山方面へと出発していく「きのさき1号」を、見送ります。
10数分の接続時間で、「きのさき1号」が向かった福知山からやって来た、東舞鶴行の普通列車に乗り換えます。
普通列車は8時51分発でしたが、行違う東舞鶴からの列車の綾部到着が遅れたため、5分程遅れて綾部を出発しました。
綾部から約30分、定刻9時20分着のところ、やはり5分程遅れて、終点の東舞鶴到着。
出発した二条からは、約1時間50分の行程でした。
東舞鶴到着時も、天候は曇り。
京都では、少し歩くと上着の袖を捲る位の気温でしたが、舞鶴では季節外れの(5月に入ったというのに!)肌寒さすら感じて、捲り上げていた上着の袖を、再び長袖に戻しました;
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東舞鶴駅からは、海上自衛隊の北吸桟橋の岸壁まで、2km程の道程を、ノンビリ歩いていくことに。
駅から少し西へと進むと、昭和47年に廃止された、国鉄中舞鶴線の廃線跡を整備した遊歩道に行き当たりました。
遊歩道はこの場所から始まり、海岸のある北方向へと延びています。
この場所から南の、現在のJR舞鶴線と合流するまでの廃線跡は、道路となっています。
中舞鶴線は、綾部から普通列車で乗車してきた舞鶴線の支線で、東舞鶴から海沿いの中舞鶴までの3.4kmを結び、大正8年(1919年)に開業。
明治34年(1901年)に開設された、海軍の舞鶴鎮守府の兵員・資材輸送を担ってきました。
遊歩道を少し歩いていくと、行く手に古色蒼然としたトンネルが見えてきました。
全長110mの、「北吸(きたすい)トンネル」です。
このトンネルは、中舞鶴線が営業戦として開業した大正8年より以前の明治37年(1904年)に軍港への引き込み線として開通した時に、「北吸隧道」として完成しています。
明治期に造られた、煉瓦積みの美しい北吸トンネル。
トンネル名を記した扁額こそ、今日風なものとなっていますが、それ以外は、かつて汽車が通行していた往時を思い起こさせてくれる、佇まいです♪
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
坑門や坑内の黒く見える染みも、SLの煤によるものなのでしょうね。
坑門も、どっしりとした堂々たる構えで、建設当時の中舞鶴線の軍事的重要性を推し量ることができます。
北吸トンネルは、今日では、日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴」の構成文化財の一つとして、文化庁から認定されています。
やはり、海軍に縁のある歴史的建造物、ということですね。
少し斜めから眺めた坑口もまた、大いに見応えがあります!
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
訪れる者を、静かに誘い迎え入れるような、落ち着いた雰囲気。
トンネルが纏いがちな、恐怖感や不安感を不思議と感じなかったのは、すぐに出口の見えている全長の短さや、温かみを感じさせる煉瓦の質感によるものでしょうか。
トンネルをくぐって反対側の、西側の坑口を振り返って撮影。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
しっかりと造られた、トンネル坑口のアーチの美しさに、見とれていました。
坑門もさることながら、坑内の天井周辺の見事な煉瓦積みの様子も、圧巻です!
西側坑門の脇に掲げられていた、登録有形文化財のプレート。
北吸トンネルは、平成14年(2002年)に、国の登録有形文化財に指定されました。
趣深い風情の感じられる、北吸トンネルの西側坑門。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
坑門のすぐ近くまで住宅が建つ東側よりも、幾分か切通しの部分が長く、その突き当りに坑門が口を開けている奥まった感じが、トンネルらしい雰囲気を醸し出しています。
中舞鶴線は、海寄りのエリアと東舞鶴駅周辺とをショートカットするような線形となっていて、自転車道との兼用仕様となっている遊歩道は、結構頻繁に歩行者や自転車の通行があります。
北吸トンネルに別れを告げて、歩を進めます。
覆い被さるような、鬱蒼とした茂みの風景に半ば溶け込んでいながら、なお存在感を示して、鉄道から歩行者・自転車道へと、舞鶴に第二の貢献を果たしている、北吸トンネルです。
北吸トンネルをくぐって後も、遊歩道はしばらく続きます。
道なりにしばらく進むと、遊歩道は国道27号線の歩道と合流し、その合流地点が終端となります。
この合流地点附近には、中舞鶴線唯一の中間駅であった、北吸駅がありました。
北吸駅は、大正8年の中舞鶴線営業開始時に、東門(とうもん)駅として終点の中舞鶴駅と共に開設され、昭和21年(1946年)に北吸駅と改称されました。
この周辺には、舞鶴市役所も建っています。
国道27号線と合流後は、その歩道を、更に西へと歩いていきます。
この辺りでは、中舞鶴線の廃線跡は、今日4車線となっている国道27号線の拡幅のための敷地に、転用されました。
この画像の山側の部分を、かつては中舞鶴線が、道路と並走していました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
中舞鶴線廃止前の画像が、こちらのサイトで掲載されていました。
舞鶴からフェリーで北海道へ1泊の弾丸旅行をした帰路に立ち寄った煉瓦倉庫群を横目に見ながら歩くことしばし…前方には満艦飾で華やかに飾られた海自の艦艇群が、艦橋を屏風のように聳え立たせた、迫力のある光景が広がってきました!
東舞鶴駅から、北吸トンネル等を撮影しつつノンビリと遊歩道等を散策すること40分弱、目指す最初の目的地、海上自衛隊舞鶴基地の北吸桟橋へは、あと少しで到着です。
<舞鶴日帰りミニ旅-02>>
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