リバーリバイバル研究所

川と生き物、そして人間生活との折り合いを研究しています。サツキマス研究会・リュウキュウアユ研究会

いなさの昔話

2007-02-27 22:09:28 | 猪の早太 イノハヤタ
いなさの昔話 井の八郎 登場

参考 井伊家歴史年表 
☆テキスト版
いなさ昔語り(1)
渋谷金王丸(しぶやこんのうまる)
 今から800年の昔のことでした。京の都では源氏と平氏の戦いとなった平治の乱が平治元年(1159)に起こりました。平清盛の軍勢に敗れた源義朝は京を逃れて、尾張(愛知)の家人(けにん)長田荘司平忠致(おさだしょうじたいらのただむね)の基に身を寄せました。怪力無双の家来渋谷金王丸がつき従っていましたが、義朝が風呂に入っているすきに、平家に寝返った忠致に切られてしまいました。
 金王丸は義朝を切った者たちを単身乗り込んで切り倒し、追っ手から逃れるために逆さ馬つまり裸馬に逆に乗って、京にいる義朝の妻常盤御前(ときわごぜん)にその様子を知らせたということでした。
 主人を失った金王丸は各地をさまよった後に、同じ源氏の家来(けらい)であった井の八郎を頼って井伊谷に来て、やがて渋川の珍撓(ちんだ)に住むようになりました。怪力無双の評判の高い金王丸の評判を聞きつけた源氏の残党74人が、やってきて平家に仕官するように進めてきました。金王丸は平家の出身でしたが、源義朝に助けられたご恩にそむくことはできないと言って、一向に応じませんでした。
 口論しているうちに争いになり、金王丸は1人で74人を討ち取り自らも自決してしまいました。
 その血が川のようになって流れたところから血沢と呼ばれ今は「珍撓」と呼ばれるようになりました。
 以来、珍撓の人々は年に3回、敵味方合わせて75人の霊を密かにお祭りしているのです。このお祭りが終えてもこのことを人に伝えてはならないというのです。聞かれても「何もしていなかったよ」と応えることになっていることから「かくれ祭り」と呼ばれているのです。
 このお祭りの時になると、時あたかもNHKの大河ドラマ「義経」の800年前の平家の時代にタイムスリップするのです。
 代々引き継いできた山本榮さんたち地区の人たちは、その時を迎えると源平武将の面持ちさえを漂わせながらお祭りをされているのが印象的でした。
文責 柴田宏祐
絵  小出恭庸

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