黙々と木植えた立松和平さん 足尾の再生にも尽力(朝日新聞) - goo ニュース
朝日新聞が立松さんの足尾銅山での緑化運動について報道していた。
長良川では半日ご一緒したが、アポ無しの邪魔が入ったり、鵜匠さん宅でインタビューしたり。そして、長良川のアユの小型化について資料を見ながら確認したりと、立松さんのスケジュールはかなりあわただしかった。
そのなかで、足尾銅山での緑化運動の話を伺ったのだが、熱意とこだわりを強く感じた。
ところで、昨日来、立松さんを知る方のコメントを各紙が報道しているのだけど、ゆったりした。心温まるといった風に人柄は語られることが多いみたい。
先のエントリ 長良川と足尾銅山でも書いたことだけれど、ボクはどちらかというと、能弁で早口という印象があったので、意外な気もする。
ボクが早口だから、それに合わせて下さったのかなぁ。
足尾での緑化運動は立松さんにとって、とても重要なものだったと思う。それをきちんと報道した。朝日新聞はえらい。
☆テキスト版
黙々と木植えた立松和平さん 足尾の再生にも尽力
2010 年2月10日1時12分
宇都宮市出身の作家、立松和平さんが8日、62歳で亡くなったことに対し、栃木県内の関係者からも惜しむ声が上がった。
「ちょっと前までは、健康に見えたのに……」。NPO法人「足尾に緑を育てる会」の理事、石川栄介さん(59)は突然の悲報に驚きを隠せなかった。環境問題に積極的だった立松さんは、銅山の煙などで荒廃した足尾の山の再生に取り組む同会にライフワークとして参加していた。
「一本一本の木を手で植えることで、自分の心の中にも木を植えることができるんです」。常に山の一番高いところに登って、黙々と木を植えていた立松さんは、こう静かに語っていたという。石川さんは「会がここまで大きくなったのは立松さん抜きには考えられない」と振り返る。
「100年はかかる」と立松さんが言っていた足尾の山の再生。石川さんは「立松さんに笑われないように(会の活動を)続ける」と話した。
宇都宮市のグラフィックデザイナー、佐藤信明さん(65)は「書きたいことがたくさんあるんです」と語っていた立松さんの姿が忘れられない。30年ほど前、同市であった出版記念パーティーで「書き続けるのはつらくないの?」と尋ねた時のことだ。
立松さんは、早大のサークル「文章表現研究会」の3学年後輩だ。「若い頃から書く意欲にあふれていた。書き足りないことがあったはずなのに……」
「田中正造大学」の事務局長、坂原辰男さん(57)も「惜しい人を亡くした」と肩を落とした。先月、日光であった出版祝賀会で話したのが最後。この時、立松さんは「田中正造の臨終の場面を書く構想を練っている」と話していたという。坂原さんは「まだまだやりたいことがあっただろう」と語った。
朝日新聞が立松さんの足尾銅山での緑化運動について報道していた。
長良川では半日ご一緒したが、アポ無しの邪魔が入ったり、鵜匠さん宅でインタビューしたり。そして、長良川のアユの小型化について資料を見ながら確認したりと、立松さんのスケジュールはかなりあわただしかった。
そのなかで、足尾銅山での緑化運動の話を伺ったのだが、熱意とこだわりを強く感じた。
ところで、昨日来、立松さんを知る方のコメントを各紙が報道しているのだけど、ゆったりした。心温まるといった風に人柄は語られることが多いみたい。
先のエントリ 長良川と足尾銅山でも書いたことだけれど、ボクはどちらかというと、能弁で早口という印象があったので、意外な気もする。
ボクが早口だから、それに合わせて下さったのかなぁ。
足尾での緑化運動は立松さんにとって、とても重要なものだったと思う。それをきちんと報道した。朝日新聞はえらい。
☆テキスト版
黙々と木植えた立松和平さん 足尾の再生にも尽力
2010 年2月10日1時12分
宇都宮市出身の作家、立松和平さんが8日、62歳で亡くなったことに対し、栃木県内の関係者からも惜しむ声が上がった。
「ちょっと前までは、健康に見えたのに……」。NPO法人「足尾に緑を育てる会」の理事、石川栄介さん(59)は突然の悲報に驚きを隠せなかった。環境問題に積極的だった立松さんは、銅山の煙などで荒廃した足尾の山の再生に取り組む同会にライフワークとして参加していた。
「一本一本の木を手で植えることで、自分の心の中にも木を植えることができるんです」。常に山の一番高いところに登って、黙々と木を植えていた立松さんは、こう静かに語っていたという。石川さんは「会がここまで大きくなったのは立松さん抜きには考えられない」と振り返る。
「100年はかかる」と立松さんが言っていた足尾の山の再生。石川さんは「立松さんに笑われないように(会の活動を)続ける」と話した。
宇都宮市のグラフィックデザイナー、佐藤信明さん(65)は「書きたいことがたくさんあるんです」と語っていた立松さんの姿が忘れられない。30年ほど前、同市であった出版記念パーティーで「書き続けるのはつらくないの?」と尋ねた時のことだ。
立松さんは、早大のサークル「文章表現研究会」の3学年後輩だ。「若い頃から書く意欲にあふれていた。書き足りないことがあったはずなのに……」
「田中正造大学」の事務局長、坂原辰男さん(57)も「惜しい人を亡くした」と肩を落とした。先月、日光であった出版祝賀会で話したのが最後。この時、立松さんは「田中正造の臨終の場面を書く構想を練っている」と話していたという。坂原さんは「まだまだやりたいことがあっただろう」と語った。
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