あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

映画「ひろしま」

2019-08-17 | 田舎暮らし

早志百合子氏とは

フェスブックでお友達になった。

予備知識なく繋がったので

NHKのテレビでお昼時に

健康体操を指導されているのを

拝見して

「あ!早志さんだ!」と思った。

テレビのお仕事はその後

一段落されたが4000人もの

会員を率いて

健康体操普及に尽力されている。

また、原爆の体験者として

この夏も多くのメディアから

ひっぱりだこ。

 

美貌と身のこなしの若さは言うに及ばず

知性と物事に対しての感性、

リアクションの早やさや鋭さ。

素晴らしい精神力と、

ゆるぎない気概をお持ちという、

脅威的な82才であられる。

まりさんべた褒めやめてね

と言われそうだ。

とても謙虚でナチュラルで、

けれど人として、

凛とした「迫力」をお持ちの女性。

リリィ先生なんて

気安く呼んだらダメでしょ、

にいやさん」

とある人に言われたばかりだが

日本人離れしたセンスと

あの軽やかな身のこなしは、

やっぱり「リリィ先生」だな~。

 

そんな早志さんが、

映画「ひろしま」に自身の体験を

反映すべく制作時点でお手伝いされたり

エキストラ出演をされたと以前

聞いたことがあった。

当時、広大の教授が

被爆体験を生徒に書かせて

後に出版された「原爆の子」に

リリィ先生の文面もある。

 

17日午前0時に放映された。

映画「ひろしま」は原爆投下から

わずか8年後に制作された。

広島市民9万人以上人が

エキストラで協力したそうだ。

冒頭は学校の授業の様子。

被爆して体調がすぐれない生徒。

一見して平和な時代と変わらない風景

に見えるけれど間もなく

その子は病床に。

「ピカから何年も経つのに

次々と死んでいく」と誰かが言う。

原爆投下直後へとシーンがさかのぼる。

例えば、出演者の肌は

本当のケロイドとは違うし

当時の傷つき方はとうてい

表現できなかったと思うが、

それでも十分に当時の悲惨さは伝わった。

 

破壊されつくした広島市を再現するのに

掛かる費用をある映画監督がたしか

10億円とテレビで言っていた。

大部分の人が日々の生活に

追われていたはずの

戦後間もない時期に制作されたとは

驚くばかり。

復興しつつある広島市の様子は

貴重な資料だ。

 

人間の命が軽んじられる状況下、

肉親を思う気持ち、

肉親を求める気もちが浮彫りになっている。

家族と暮らすというささやかな幸せさえ

踏みにじる戦争と狂気を、

どう自分の中で咀嚼するべきか・・。

見終えてしばし呆然とした。

友人の言葉を思いだした。

「私の母は、

がれきの下敷きになった自分の母親を

助けることができなかった。

母親を見捨てたという自責の念を

生涯手放すことができなかった。」

このような状況だったのだろうと

思えるシーンがあった。

多くの人が同じ思いに

苦しまれているに違いない。

 

逆説的ながら、

反戦を掲げる映画として括れない

凄みが「ひろしま」にはある。

もはやルポタージュだ。

「原爆の子」に文を寄せた

実際の被爆体験者の証言が

恐らくは盛り込まれているからか。

制作当時はプレスコードで

放映できなかったと聞いた。

だが、米国などの戦勝国や

核兵器を持っている国に対して

悲惨な目に合わされたと

アピールするのが目的だったと思えない。

原爆の恐ろしさむごさを

ありのままに伝えること。

そして、

被爆者に対する国の無策さ、

無責任さを伝えること、

被爆者が差別され、

ないがしろにされたという事実。

それが戦争の恐ろしさなのだと

訴えかけてくる。

 

あれほどの苦難と苦闘の果てに、

我々が手にした平和。

74年前、

人々が渇望して得られなかった

ごく当たり前の事々を

今どれほどの人が心から尊び、

享受しているだろう。

8月はそのことに思いを馳せて、

自分なりの意見を持つべきだ。

「ひろしま」が全国で放映されることを

心から期待する。

 

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