あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

まろまろ母、母まろ。まれに自分。

2023-12-26 | 愛犬がいる暮らし

帰宅すると母はたいてい

リビングの洋式こたつに

足をつっこんで体を毛布にくるみ、

せもたれ椅子に深くうもれている。

毛布は大判のひざ掛けで

ふっくらと上質だ。

電気仕掛けになっている。

それを布団の下に入れて

お昼寝したら暖かくて最高だ。

母が孫から米寿のお祝いに

もらったものだが、

たぶん覚えていない。

米寿を迎えたことも何度も

忘れた。

何歳かと聞いたら86とか

87と答えるに違いない。

実年齢より若く見積もっている

のは良い前兆らしい。

母は「かえり」と言って

目玉だけ動かしていう。

二の句が「サムイの」だ。

漢字変換すると「寒い」。

そこで麻呂が同じく

リビングのこたつから這い出て

来るか眠りこけている。

たいてい母とどうだこうだと

言い合っていると

麻呂が声に気づいて出てくる。

麻呂がその気がなくても

外におしっこに連れ出す。

最近、麻呂の排便のコツを

つかんだ私はウン〇を

横に向いたお尻の穴から

上手に押し出せるようになった。

いきんでもびくともしない

ウン〇を出してやる爽快感。

癖になりそうだ。

帰宅してからはそんな風に

排尿、排便、麻呂の水やり、

薬やり、そしておやつタイムと

忙しい。

たいてい床が汚れている。

掃いたり拭いたりする。

玄関を開けるやおしっこの

水たまりを発見するのだが、

3日のうち1日という頻度。

麻呂がおなかをすかせて

いることもあるし、

おやつを無性に欲しがることも。

喉が渇いていたり、

元気がないこともあれば、

私の後を付けまわしてくる

ことも。

よしよししたり抱っこしたり、

叱ったりだ。

お昼ごはんのせわを焼き、

やっと落ち着いてこたつに潜り

お昼寝タイムになるとほっとする。

赤ちゃんの世話と同じだわ。

そのほかに雪を掻きわけて

大根と白菜を採ってきて

泥を落としておでんを煮るとか

洗濯するとか。

母の頭があまりに汚いので

昨日は洗面台で洗った。

「どうもどうも」とお礼のことば。

ドライヤーで乾かした。

で、麻呂の要求がどうしても

分からなくて困る。

リビングをウロウロしている。

水?おしっこ?ウンチ?

ご飯?ヨーグルト?

すべての心当たりを

つぶしてみるのだが

いつの間にか廊下やリビングに

おしっこの水たまりが。

さっき外に行ったよね?は

通用しない。

母の要求にもこたえねばで

何かにつけていちいち

「どうかの」「こうかの」

「何日?」「何曜日?」

「いつ行くんかの?」とは

デイサービスのことだ。

誰にも日取りを決めさせないのに

自分で決めた日にちを忘れる人。

「も~~~~!」と吠える私です。

「麻呂麻呂、ばーちゃん。

ばーちゃん麻呂麻呂!

なんだからっつ!

気を取られて自分のことが

ゼンゼンできないっ!」と言う

私の傍で「ほほほ」と笑う母。

何がおかしいのっ。

自分のことは自分でやって。

どんなに叫んでもその気に

ならない母よね。

「あんたが甘やかす」と母が言う。

確かに麻呂を甘やかしている

かもしれない。

だって犬だから。

無力な犬でしょ。

母は高等な生き物=人類じゃ

ないか。

高等はちょっと望めないかも

しれないけど。

夕方、どこへ行くんだと

毎日聞いてくる母。

誰も養ってくれない身の上。

仕事に行くに決まっている。

その後でかならず妹の名前を挙げて

「あれも仕事かの~?」と言う。

「平日だから行くに決まっている。」

と、私も何百回も返答している。

後何千回このやりとりを

するのでしょう。

それもこれも「幸せの一形態」と

呼んでおきましょう。

 

 

 

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