あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

「新屋まり」らしさへ原点回帰

2023-05-14 | ライブレポ

「JAで歌ったんだってね」と

最近になって何人からか聞かれた。

4月のことだ。

JAの女性部からオファーを頂き

吉野妙さんのサポートで90分

歌った。

随分前にもオファーを頂いて

ステージに「講師」と大きく

書かれていたので焦った。

「あの~講師となってますが

私で大丈夫でしょうか?」と

本番1分前に聞いた記憶がある。

あの時はまったくの一人だった。

重たい機材を持ち込んで、

本番はギターを弾きながらも、

カラオケの操作も自分でという

実に過酷な状況だった。

会場にどんな音が出ているのか

分からないのが最大の難点。

「新屋まりがもっと有名になって

音響担当者を連れて来れるように

なりたいです。」としゃべったっけ。

で、オファーを頂戴した時に

聞いてみた。

私一人よりピアニストが居た方が

クオリティーが上がりますと。

「どうぞ」とのこと。

私がギャラを払っているのですが

と言うと「ぶっちゃけギャラですよね~」

と担当者。

話が通ったので言ってみた。

「あの、音響担当者を連れて行けたら

有難いんですが。」

それに対しても大丈夫ですと

ギャラの話が通った。

あたしのぶっちゃけとしては

「所得税分」をギャラに乗せて

申請する必要があったけど。

そんなこんなで舞台裏を晒したが、

新屋まりのクオリティーをあげるのは

大事なことだ。

20数年にわたって苦労して

育てて来たのです。

この程度だけれど(涙)

相応のギャラをお願いするのは

私の義務だと思うことにした。

妙さんのピアノのサポートと

大崎さんの音響のサポートのおかげで

あのライブが近隣の人の話題に

上ったと推察している。

昨年夏は同じ地区のホールで

講師を迎えた上に合唱グループと

オリジナルの歌を合唱した。

内容として我ながら大したものだった

と自負はするけれど、

収支は惨憺たるものだったし

話題にも上らなかったようだ。

本当に残念だった。

悲しかった。

歌はもうやめると母と妹に言い放った。

妹は「はいはい」と相手にせず。

母は「えっと(たくさん)歌わして

もろうたんだし、もうやめたんがええで。」

と、私の無念さを分かってか

あきれてか、同意してくれた。

なのに・・まだやっている。

「まだ」どころかもっとやってる(爆)

でもま~れに歌っていて良かったと

思えるときがあるのがいけない。

JAのライブがそれ。

今回はJAの女性部「さくらの会」

の総会だった。

花をテーマに歌った。

特に思いを込めて作った歌を

無心で歌っている時に起こる現象で

左足からザワザワっとした振動が

上がってくることがある。

誰かに向かってしゃべっている

時も起こることがある。

その時の私は大きな愛を宇宙から?

受け取って目の前の人に

分けている感じと言えば良いか。

自分の肉体を通して大きな愛、

大きな名もなき意思が語るという感じ。

この時も珍しくその状態があった。

「誰かが泣いているな」と思った。

後で音響の大崎さんがライブ中だから

いけないのだが泣いたと笑っていた。

涙をぬぐっている人が何人かおられた。

珍しくCDを買って下さる方が

多かった。

CDは売れない時代だとか

ラジカセが滅びたとか

売れない理由はいくらでもあるけれど

ライブの内容次第のようだ。

終えて興奮気味の皆さん。

悲しいわけじゃないのに、

歌を聴いていたら涙が出ると言われた。

琴線に触れる何かが私の歌には

あるようだ。

いうなればそれが私の強み。

その強みをないがしろにしてきた

ここ10年だったと告白する。

聞いて下さる方とは違う視点で

活動していた自分に気づいた。

残念ながら「さくらの会」は

解散するそうだ。

最後の会で歌わせてもらったから

大事なことに気づかせてもらった。

もう一度、新屋まりの原点に戻って

歌いなおそうと思う。

滞っている創作の方向性も

そのあたりにポイントがあるのかも

しれない。

 

 

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