あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

父の命日

2022-12-28 | 心の栄養

毎朝、妹が立ち寄る。

麻呂もそれが習慣になっていて

外を眺めて待っている。

いつもより遅かったが

待望の妹がご帰還して

麻呂もおおいにはしゃぐ。

それも20秒だけれど。

実は妹を待っているんじゃなくて

その後のティータイムを何より

楽しみにしている麻呂なのだった。

その日26日は父の命日だった。

一息ついてから3人でお参りだ。

仏壇に行こうと母を誘う。

「寒いの~。ここでえ」と言う。

こたつから手を合わせるだなんて

横着にもほどがある。

本人も笑っているからね。

客間にこたつをすえてストーブで

早々に部屋を温めておいたと説明。

脚が不自由な母には椅子もある。

私が正信偈を上げて3人で

ささやかな法要となった。

「正信偈は長い。

もちっと短いのやろうや」と

ここでも横着な母なのだった。

ならば阿弥陀経とか?と

経本を見たが長さは同じか

もっと長いかも。

年に1度も上げないんだから

これくらい我慢しようよと始めた。

嫌がっていた母が思いの外

力強い声で煽ってくる。

テンポが速い。

早く終わらせる戦術だ(笑)

で、煽られながらどんどん進む。

どこまでが正信偈なのか

分からなくなってしまった。

どうやらもう終わっているらしい。

知らないのが出てきて崩壊した。

「もうやめよ」と不自然な終わり方(笑)

滞りなく?滞りつつ?

父の命日を忘れずにお参りはできた。

阿弥陀様から叱られるかもと

頭をよぎったけれど

父が好きだったお酒をお供えした。

父はお浄土からこちらを見ていて

「ニカッ」と笑ったと思う。

仏壇から下げてそっと飲んだ。

終わってあれこれしていたら

母が客間に取り残されていた。

膝が不自由で太ももの筋力がなく

低めの椅子から立ち上がれない。

取り残されて一人で悪戦苦闘

していたようだ。

「ちょっと~!」と呼ばれて

気づいた。

無情な妹が

「そのまま忘れてたらいいじゃん」

と言う。

リビングに鎮座して指示命令を出して

結構口うるさいからだ。

その手があった。

私は大いに笑った。

父が亡くなって何年になるか

正確な年が分からない。

ついでに母が自分の年齢を

忘れていることが発覚。

87歳だと私は記憶しているが

昭和10年生まれが何歳か、

もはや昔過ぎて計算がややこしい。

「お父さんが亡くなって8年目。

お母さんは87歳」

後から妹が調べてラインしてくれた。

 

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