あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

我が家にまつわる謎のミッション

2021-07-24 | 半径30メートルの事件

10年ほど忘れていたことを

ふと思い出した。

我が家の家系に関わることだ。

10数年前に縁あって出会った

社長夫妻の別荘で歌わせてもらった。

そこは平家の落人村と言われている。

その時はもう廃屋だったが、

目の前には叔母の嫁家があった。

社長夫妻が買われた古民家は

その婚家と親戚だった。

集落で叔母を知る人が私を見て、

「おばさんと良く似とる」

「うりざね顔だの」と言われた。

その方は叔母や私を

「平家の出」と暗に思われたようだ。

我が家は由緒正しい百姓。

本当のところは謎だ。

それからもイベントに何度か

行かせてもらった。

沖縄在住で特殊能力のある方と

そこへご一緒したことがある。

敷地に入るや

「あなたがここに来たのは

偶然じゃない」と言われた。

「あなたのご先祖の武将が

都からここに落ちてきた。」

と、思いがけないことを言われた。

その真意を考える間もなく、

自分の中から言いようのない

強烈な感情がこみ上げてきて

嗚咽した。

足元から震えが上がってきて、

私はしゃがみこんだほどだ。

我が家はその武将の「直系」で

おつきの武将が二人居る

とも言われた。

「ここに来る時はまんじゅうを

3つ持って来い」と

言っているそうだ(笑)

その話のだいぶ後だったと思う。

3人の武将が大きな桜の下で

花見をしている絵が脳内に

「見えた」ことがある。

ある高校生女子もそれと

全く同じことを私に言った

ことがある。

私と同じものを見ていた。

彼女は自分の特殊能力を

ココロから嫌がっていたが

「私に何かくっついていない?」

と確認すると

「女の子が3人くっついていて、

居心地が良いって言ってます。」

と教えてくれたりして

便利だった(笑)

例の土地を買った社長は、

大きな桜の木が土中から出てきた、

この当たりにはそんな桜はないと

言われた。

武将が都から苗を持って落ちて

来られたのだろう。

社長は我が先祖の為に

小さな祭壇を作って下さった。

「屋根のあるところに祀ってもらって

感謝していると言っているよ」

と、霊的な通信をできる方が

言われた。

特種能力の人間は至るところに

いるもので、

社長のお友達の男性も

そういう方だった。

ある日の早朝、電話をもらった。

後にも先にもこれ1回だけだ。

一体何の話をされているのか

さっぱり分からなかった。

例の土地のご先祖のことらしかった。

「もう国は関係ない」としきりに

言われた。

あなたが管理したら良いとかーー。

どうやら重要な巻物を武将が抱いて

敷地内の土中に埋もれているようだ。

何百年も前のことだろう。

巻物ならばもう朽ちているんじゃ

ないでしょうかと聞いたら

「いや、ちゃんとしているらしい」と

誰かから聞いたような口調。

「どこに埋もれているか

あなたが分るようになる」

という言葉は印象に残っている。

その時期は何となく60才過ぎだと

当時40代だった私は思った。

で、いつの間にか60代になった。

今、記しておかないと

もう2度とこんな荒唐無稽な話は

思い出すこともないかもしれない。

荒唐無稽ながら、

嗚咽した自分のリアクションが

あまりに妙だったので気になり、

どんな内容の巻物なのだろうかと

2,3人に推測してもらったが、

推測の域を出ない。

「平家」関係だろうか、

もっと古くて「壬申の乱」あたり

だろうかという人がいた。

時の朝廷絡みの大きな騒乱が

あったのは確かだ。

平和な世になった時に

自分たちのルーツを世に明かせと

ご先祖はそれだけを願って

眠っておられるだろう。

その願いを私が受け止めるべきだ

とその時は信じた。

年月はしかし容赦ない。

100年の生涯の最後の20年ほどは

自分の肉体やメンタルを

維持するだけで精一杯だろうな。

動けるのは10数年となった。

あるようでない手がかり。

何百年もこのことを伝えたいと

亡くなっても思い続けている

存在がいるのだろう。

伝える為に色々な人を出会わせて

結婚させて、子孫を産ませて、

この土地を買う人間を探して

偶然を装い子孫の私と出会わせた。

話を聞いて信じる妙な子孫=私

を世に生み出すのに一体

どれほどの忍耐と時を掛けねば

ならなかっただろう。

気の遠くなるほどだ。

ご先祖の苦労?や願いを思えば

胸が痛む。

しかし、あまりにも過去のこと。

武士はとっくに滅んだ。

繰り返すが、

我が家は由緒正しい百姓になって

もう21代か22代だ。

家系より個人が重視される時代に

なった。

「私がどうにかするべきと

思わなくて良くないか?」

と結論した。

もう終わったのだ。

ご先祖にそのことを

分かってもらわねばならない。

我々がこれから幸せに生きることが

ご先祖の願いでもあるはずだ。

そう言えば、

我が家の敷地にもお宝が

埋もれているそうだ。

例の女性に言われた。

父がまだ存命中だった。

母は「また変なことを言いだした」

と言うに違いない。

父には言った。

敷地で掘り返していないのは

蔵の跡地だけだと言ったが

掘り返すまでもなく父は

お浄土へ旅立った。

些末で子細なあれこれに

日々追われて人は

短い生涯を終えるしかない。

ご先祖の願いまでは

手が回らないのが現状だ。

「すみません、手が回りません」

とご先祖に謝るしかない。

せめてあの土地でお祭をさせて

頂こうと思う。

 

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