あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

東北へ慰霊の旅。笑顔に会いに(1)

2020-03-13 | 心の栄養

岩手県大船渡市の中心部から

一山越えたところに小さな街、

越喜来(おきらい)がある。

東日本大震災で津波によって

街は一時期、壊滅状態になった。

施設のお年寄りがたくさん

亡くなられたとか。

海岸にほど近い場所に立つ

小学校の児童は全員無事だった。

「越喜来の奇跡」と呼ばれている。

東日本大震災から9年。

思うところあって

岩手県の被災地に行きたくなったが

行こうかそれとも行くまいかと

数日間悩んだ。

「東北に行きたいので

お金が降って来ますように。」と

近くの社で手を合わせて

虫の良いお願いをした。

「降って来るわけないけどね」

と思いながら所得税の申告会場へ行く。

昨年は無謀な大規模コンサートを主催し

CDを作った。

その甲斐あってめでたく?

歌活動の赤字が認められて

お金が戻ると言われた。

帰宅の道すがらお金が降って来たことに

気づいた。

ちょうど旅費分だ!

行くしかないと腹をくくった。

母にどう切りだそうかと迷ったが

「あんたの自由だ」と

拍子抜けするほど簡単に許可が出た。

庄原市萬福寺の和尚さんが

復興祈念法要で集まった寄附金を

宮城県気仙沼のお寺へ持参すると聞いて

途中まで同行させてもらうことにした。

和尚と私一人の途中まで2人旅。

私の最終目的地は岩手県大船渡市。

3月10日。

広島から仙台空港へ。

それぞれレンタカーを借りて

サービスエリアで合流。

雨の中を大川小学校跡地に向かった。

あれから9年。

今でもたくさんの児童が

両親の迎えを信じて校庭で待っている

かもしれないなんて思う。

大川小学校跡地で「風の子守唄」を歌うという

ばかげたミッションを胸に秘めていた。

どんよりした厚い雲の下に

津波で破壊された無残な校舎の姿。

巨大な墓標に見えた。

和尚さんのお経が響き渡る。

カメラを回す人が二人いた。

子供たちに慰めのことばを掛けて

御仏の腕に救い取ってくださいと祈り

「風の子守唄」と「詠み人知らずの歌」

を歌った。

私の気が済んだ。

そこから数分下ったところに

広島の横山雄二さんが支援されている

地区がある。

和尚さんと横山さんはお友達。

「ヨコヤマナイト」で和尚さんと

コラボさせてもらったことがある。

ボランティア活動をする人の為に

建てられたプレハブにたくさんの

ちらしやポスターが。

萬福寺の法要のポスターも。

和尚さん、こんなに遠くまで

新屋まりを拡散して下さったと知る。

午後2時半。

そこから別れて一人で

岩手県の大船渡市を目指す。

レンタカーのナビがあてにならないので、

スマホで検索した。

ゴールまで3時間と出て驚く。

ここまで2時間。

更に3時間?

地元の人に聞くと1時間半くらいだろう

とのことだったのでちょっと安心して出発した。

2時半とは言えどんよりとしてもう薄暗かった。

大川小学校を飲みこんだ海が

右手奥に見えた。

どんよりと暗い空から

大粒の雨が降り始めた。

津波がこの川を上がって来たと

思えば自分も飲み込まれそうで怖かった。

どんどん霧が濃くなり夕闇が迫る。

1時間半走った。

そろそろ到着かとナビ検索をしたら

目的地は実に1時間半も先!

ナビの言うとおり3時間くらい

掛かるということ。

更に暗闇が深くなる。

津波で破壊されたままで

高速道路が途切れた箇所は海岸線を走る。

海水がこの道まで押し寄せるんではないか

という恐怖心が頭をもたげた。

行くと決めたら行ってしまう自分のキャラが

恨めしくなった。

とっぷりと陽がくれた頃、

林を抜けて細い道を下った先に開けた場所が。

見覚えがある坂道を上がると

「嘉宝荘」の文字を見つけた。

心底安心した。

 


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