この頃、外務省で開かれた対策会議の内容をまとめた内部文書。
当時の担当局長の発言が記されていました。
「海兵隊の意中はやむを得ないのだろう。
新規接収の反対を正面に出すことはできまい。
沖縄の問題は、姿勢権を持つアメリカの内政問題で、深入りできない。」
それが外務省の判断でした。
日本政府は本土からの海兵隊移転を、いわば黙認していたのです。
海兵隊の移転について、日本政府からの支援が得られなかった沖縄。
辺野古の住民たちは、アメリカ軍の強硬姿勢を前に、追い詰められていました。
アメリカ軍は、各地で
基地の用地の強制収用を始めていました。
激しく抵抗する住民を、
武装した兵士が力ずくで排除。
ブルドーザーを使って、住宅や田畑を次々と更地に変えていきました。
嘉陽宗信さん
「米軍が力で抑える。要するに昔、日本軍が住民を抑え、国民を抑えたもんと同様に、米軍も同じことをやったんですよ。
だからもう日本国時代からその体験はあるから、ピンとくるわけですよね、すぐ。
だから、そういった意味で絶対反対ではあるが、
実力で抑えつけてくるから、結局動けなくなるさ。」
嘉陽さんたちは、
ついに海兵隊基地の建設を受け入れます。
これを機に、島ぐるみ闘争は内部分裂していきました