午前6時に起床する
布団の上に被せたツエルトのおかげで夜明けの冷え込みも感じずぐっすり眠れた
これならこじらせた風邪も治るに違いない さらにしっかりと栄養を摂れば・・・と
蒸し鶏とブナシメジとニンジンとピーマンを出汁で煮てバーモントカレーを溶いたのを
腰が抜けるまで茹でたうどん玉にブッかけ斜め薄切りにした青ネギを散らして喰う
口直しにはラッキョウの甘酢漬けをふたつ添えた
うどん玉は国産小麦粉を使っているものをスーパーで買ったが
その成分表示を見ると国産小麦粉のほかに「加工澱粉」と書いてある
ではその加工澱粉の正体は何か?というと実はタピオカ澱粉のことなのだ
タピオカは里芋の仲間だ 飲み物に浮いた丸いタピオカはそれで作っている
初めてうどんにタピオカ粉末を使ったのはカトキチの冷凍うどんだった
もちろん讃岐うどんの強い腰と歯ごたえを再現するためだったのだが
冷凍うどんが家庭に広まったことで讃岐うどん自体もより強い腰を求めるようになった
そのあまり讃岐うどん店はオーストラリアの小麦粉無しではうどんが打てなくなった
あの腰と歯ごたえは豪州産のうどん用小麦粉で無ければ出せないのだ
元々の讃岐うどんは当然ながら国産小麦粉・・・つまり「ウドン粉」を使っていた
だから子供の頃の讃岐うどんは今のようなモチモチとして滑らかなものではなかった
どちらかというとゴチッと硬い団子のような歯ごたえだったと記憶している
そのうち米国産の薄力粉と強力粉を組み合わせて打つようになり
さらに豪州産の小麦粉に辿り着き今の讃岐うどんが生まれたのだった
つまり国産の小麦粉にこだわるなら巷の讃岐うどんは喰えないのだ
ふにゃふにゃの柔らかいうどんをすすると子供の頃を思い出す
私にとって「うどん」とは子供の頃に馴染んだ「かめや」と「ずぼらや」のうどんだ
かめやは松山の繁華街にあった大きな店で手軽な値段が売りだった
祖母や伯母や母に連れられて街歩きする時におやつ代わりに良く入ったものだった
ずぼらやは子供の頃に住んでいた家の近くにあったちいさな店だった
大叔母と母が縫い物をしている時に大叔母が「お腹が減った?」と出前を取ってくれた
ずぼらやの店先には「かやくうどん」と大きく書いてあった
幼い私は「かやく」を火薬だとずっと勘違いしていた
ずぼらやのうどんを食べながら「火薬うどんはどういうものだろう?」と考えていた
しばらくしてから母に訊ねて「かやく」が薄切りの蒲鉾のことだと知って・・・落胆した
それからはずぼらやの前を通ってもかやくうどんの文字に目が行くことも無くなった
ヒトは解らないものに興味を持ち 知って 認識して 興味を無くす
いつも通りだと思わせて 驚かせて 落ち着かせて 興味を無くすように導く
我々は判っているはずなのに何度も騙される
手品師はいつでも他人をミスリードさせることを考えている
中世の魔女狩りは信じられないほど沢山の無実の人を処刑した
そのほとんどはただ気に喰わない者や商売敵を陥れたのだということが判っている
陥れる手口に使われたのが今でいう手品だ
刺しても血が出ないナイフや針を用いたのだ
種明かしすると単純で素朴な手品だが生け贄を欲する群衆にはじゅうぶんだった
無実なのにいったん魔女と認定されたら裸にされて火あぶりの刑にされたのだ
他国からの圧力や自然災害や疫病が世情不安を産み理性を失う
人々はその不安に耐えられず生け贄を求める
そしてそれを利用する奴らがいる
魔女狩りは今も行われているのだ
エチオピア・モカを挽いて飲む
今日は薬無しで大丈夫そうだ
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